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言霊というものがあるならば

SNS以前の社会では、集団Aと集団Bは隔絶されていて、互いに直接接点を持つことはなかった。もし集団Aと集団Bが接触する場合は、また別の集団Cが間を取り持っていたはずだ。SNSが当たり前の今、集団Aと集団Bは隔絶されておらず、集団Aのみで話されていたことが、集団Bに直接伝わるようになった。


私たちがテレビなどを観て、「私あの人きらーい」とか「あの芸能人キモいよね」とか「このタレント生理的に嫌い」とか、そういった罵詈雑言は以前ならリビングで、学校で、職場で話されていたはずだ。それが今SNSを通して直接芸能人に届くようになってしまった。以前には誹謗中傷や脅迫などが手紙で届くことがあったようだが、事務所のスタッフが確認してからタレントに渡されていただろう。

私のような障害者に対する差別的発言・無理解な言動などは、もちろん以前からあり、時折私たちに直接届くことはあった。障害者でそういった心無い言葉を聞いたことがない人はきっといないのではないだろうか。しかし、今は非障害者の間で話されていた更にえげつない言葉が、SNSを通して直接私たちの目に・耳に常に入るようになってしまった。


私は世の中から差別や悪意はけして無くならないと思っているが、SNSを使っていると、それが思いの外多いことに気づかされる。
当人たちは自分が正義だと思っているから、滾々と説明したところで、最終的には「生理的に好かない」の一言で終わるだろう。


ところで、少し視点を変えてみる。
人に罵詈雑言を吐く時、その言葉をまず最初に見聞きするのは、その言葉を吐く人だ。言霊というものを私は過去の人々ほど信じてはいないが、それを言った人の精神状態を想像すれば、その人たちは幸福感を感じていない。お腹の中に黒いドロドロとしたものがあるはずだ。自分自身のことを考えても、とても幸せな気分の時は努めて人に優しく使用とするし、イライラしているときは棘のある言葉を吐いてしまいそうになる。相手を罵る言葉を吐いて当人はスッキリした気持ち、正義を貫いた気持ちになっているかもしれないが、負の感情を増長させただけであって幸福にはなっていない。吐いた言葉が返ってくるというのは、そういうことだと私は解釈している。


もう一度書こう。世の中から差別や悪意はけして無くならない。
しかし、幸福ではない人たちに、自分たちが幸福になる権利を侵されてはならない。
言霊というものがあるならば、自らの幸福感によって、人が幸せに思う言葉を吐き、穢れを跳ねのけよう。

神代より言ひ伝て来らくそらみつ大和の国は皇神の厳しき国言霊の幸はふ国と語り継ぎ言ひ継がひけり

好去好来歌一首反歌二首 山上憶良『万葉集』


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