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短編小説 キシ 一歩目『街角パン屋ふんわり色堂』

一歩目「街角パン屋ふんわり色堂

 ウーーー、ドンドン、ドンドン・・・。

 背後で電車が動き出した。

 それと同時に古都貴嗣(ふるいちたかあき)も歩き出す。初めて来るホームだが、とりあえず階段の方に行けば間違いないのでそちらに向かう。古都と同じ電車で降りてきた人はちらほら、そんなに多くはない。なので、ちょっと危ないがこのタイミングで歩きながらカメラのバッテリー残量とデータ残量を改めて確認しておく。何枚写真を撮ることになるかは完全に気分だ。もしかしたらこの街の風景が古都にたくさん写真を撮らせるかもしれない。

まあ、それは街を歩き始めないとわからないし、歩き終わらなければわからないことだ。

 古都貴嗣にこの街を訪れた理由は特にない。ただの散歩の延長である。この街を選んだのも電車に乗りながら「ここにしよう」と適当に決めた。

 ただし、その中でなにか惹かれるもの、良いなあと思う風景に出会わないかなという淡い期待は胸に秘めている。

 元々散歩は好きだった。生まれてからずっと近くに大きな川が流れる所謂近郊と呼ばれるような場所に住んでいたので昔飼っていた犬のサンタと散歩に共にその河川敷を歩いていた。初めは散歩目的だったが、だんだん視線が上がり、河川敷にいる様々な人や遠くの街並みを時間帯ごとに見るのが好きになっていった。

 そしてそんな何気ない風景もその時そこにいる人によって変わること、季節によって植物、雑草ですら様相を変えることになにか心動かされ、気づいたら水彩画を描き始めていた。今でもその趣味は健在だが、だんだんと写真を撮ることの方が多くなって今に至る。


 改札を抜けてとりあえず北口と書いてる方から外に出ると、正面はちょっとしたロータリーになっており、制服姿の学生や家族、その他私服の人々が散見される。良い感じの人口密度。

 今日は雲一つない秋晴れの土曜。時間はちょうどお昼。

 古都が一息つくと、涼しい青北が吹き抜ける。

 最近知った言葉だが、秋に吹く涼しい北風を西日本では青北というらしい。ここは東日本だが、今頭上に広がる雲一つない青空を駆け抜ける秋風を表すにはこれが一番いい。

 小学生の運動会の日ってこんな感じで雲一つない快晴だったな、とかそんなことを考えながら駅の敷地を出る。さて、どこに行こうか。

 無論、目的地もないのでどこに行ったって構わない。

 なんとなく向こうに山が見えるので、とりあえずそっちに行くことに決めた。方角で言うと北だ。

 この街は駅の北側すぐの道が古びた商店街になっており、その次の区画からは住宅街が広がっている。

 古都は趣のあるセピア色の商店街を何枚か写真に収める。

 古びた傘立て、色褪せた食品サンプル、たまたま居た猫。

 この場所ではポイ捨てのタバコでさえ画になる。良い雰囲気だ。

 次は商店街を抜けて住宅街の方へ。

 歩きながら古都は考える。この道も平日は自分の知らない人たちの往来があり、その一人一人に物語があるのだろう、と。そう思うとどんな道でも色がついて感じられる。


 住宅街を歩いていると目に入るのは季節を彩る生き物たち。

 家を守るブロック塀には青磁色や白緑の地衣類、その下にはナギナタコウジュやシロザといった植物が生えている。

 家と家の間、ちょっとした空き地からシソやヤナギハナガサが道路に手を伸ばしている。古都はそれらを写真に収めた。

 そんな中、ふと子供の声が聞こえてきた。遠くだがなんにんかが遊んでいるような声。少し先に公園があるのだろうと考え、古都はその声の方に歩き出す。

 声の方に少し歩いていくとすぐに公園が姿を現した。子供たちが遊んでいる姿をみると、この時代に外に出て遊んでいる彼らになんだかエールを送りたくなる。

 古都に人を、ましてや知らない子供を写真にとる趣味はないので、なんとなくいい感じの遊具を、秋晴れを背景に下から写真に収める。

 そしてベンチに座って子供たちの声をBGMにここまでの写真を見返し、整理を始めた。

 少しすると彼らの母親らしき人たちがやってきた。

 「ほらーパン食べるよー」

 その声に彼らは母親たちの方へ一直線で走っていった。見ると手にはたくさんのパンが入っていると思われる大きめの紙袋が握られている。近所にあるのだろう。

 お昼ご飯を特に食べていなかった古都は少しそのパン屋に興味が出て探してみることにした。

 とりあえずさっきの人たちが来た方へ歩いてみることにする。

少し歩くとまた一人先ほどの紙袋をもった学生とすれ違う。方向は合ってそうだ。

そしてさらに少し進むと、見つけた。

住宅街の間、山の方向へ伸びる二本の道、Y字路のその真ん中に三角形のパン屋はあった。

「ふんわり色堂・・・。」

看板にはそう書かれている。色堂と書いて“しょくどう”と読むのだろうきっと。

良い名前じゃないか。そう思いながら古都はOPENの札がかかったドアを開ける。札はウサギが抱えたようなデザインでかわいらしい。

「いらっしゃいませー」店内奥のレジにいる中年の女性がそう言った。

そして、その声と共に温かな香りが古都の脳を刺激する。

店内を見渡すと思ったよりも奥行きがあり想像したパン屋よりも広々としていた。

なにしろ驚いたのは、イートインのスペースがある上にカフェ的要素もあるようでで、奥のカウンターでマスターがコーヒーを淹れていたのだ。イートインのスペースには男子高校生が数人、勉強しながらパンとコーヒーを楽しんでいる。お昼時だからか他にも店内には若い女性や子連れの家族が居て賑わっていた。

 これはなかなかいい場所を見つけてしまったぞ。

 早速古都は入り口に置かれた消毒で手を清潔にし、すぐそばのトレーとトングを取る。

 一見したところ、右手窓際には甘い系のパン、左手には総菜系、さらに真ん中には他にもチョコでコーティングされたものなどが置いてある。種類はかなり豊富だ。

そして、店の形も相まって窓際のパンたちには良い感じの光が当たり、輝いていた。きっと手に取るとちょうどよく暖かいだろう。

古都はとりあえず一通りのパンを見てみることにした。

香り高いブール、粒こし両あんぱん、耳の大きいメロンパン、きつね色のクリームパン、見た目からサクサクなクロワッサン、各種入ったジャムパン、ドライフルーツ入りのコーンブレッド、おやつによさそうなマフィン、秋と言えばのマロンパン、揚げたてじゅんわりカレーパン、ボリューミーなポテトサラダパン、子供に人気がありそうなミニドッグパン、これまたいい匂い焼き立てのピザパン、分厚いコロッケパン、トロっとチーズのベーコンポテトフランス、紅茶の香りのシフォンケーキ、よりどりみどりのドーナツ系、やっぱこれだよチョココロネ。などなどなど・・・。

商品紹介は手書きで、シンプルなデザインだがかわいらしくて購買意欲がそそられる。中には入り口の札のようにウサギがあしらわれていた。

どれにしようか。これは全員が優柔不断にならざるを得ない。

もうお昼のピークは過ぎていそうでところどころパンがなかったりもする。

一か所目を引いたのは、「ヒメちゃん練習中お菓子‼」という札が出ているもの。なんだかこの一言に地域の温もりが感じ取れる。パンが置かれていたであろうトレーにはもう何も残っていないが、「ウィークエンドシトロン」というものが乗っていたらしい。

ヒメちゃんというのは先ほどいらっしゃいませと言ってくれた方だろうか、きっとあの人は美味しいお菓子を作る。そう確信させていただけに、売り切れているのことを残念に思った。

そんなことを思いながらパンを選んでいると、レジの奥、おそらく調理場があるであろうところから若い女性がトレーに乗ったたくさんのパンを持って出てきた。

「あ、ヒメさん!さっきのお菓子美味しかった!」

と勉強をしている高校生の一人が彼女に話しかけた。どうやらヒメちゃんとはこの若い女性らしい。

その後もヒメさんは店内にいるお客さんに次々と声をかけられつつ、パンを補充していき、古都の目の前のトレーにもパンを補充した。その時、

「あ、初めましてですかね?カレーパン、おすすめですよ」

とヒメさんは声をかけてきた。

「ありがとうございます。どうして初めてだと・・・?」純粋に疑問だ。

「あ、この店、ここら辺の人しか来ないんで、みんな顔なじみなんですよ、」

確かに駅からもそこそこ離れている住宅街の中だし納得だ。

「そうなんですね、とても良い雰囲気のお店で立ち寄っちゃいました。他に

おすすめはありますか?」

「そうですね、今あるのだとお母さんが作ったシフォンケーキも美味しいですし、もう少し待っててくだされば出来立てのウィークエンドシトロンを召し上がれますよ!お父さんのコーヒーと最高に合います!」

この家族はかなり仲が良いらしい。

「じゃあ、先にこれ買って、あそこで頂いていてもいいですかね?」

「もちろんです!」

古都は提案に乗らせてもうことにし、母親のいるレジにカレーパン、シフォンケーキ、コロッケパンを持っていく。一つだいたい百円ちょっと。超安い。

「ここで食べていきます?」

「はい、利用させていただきます。あ、店内でパンの写真って撮っても大丈夫ですか?」

「もちろん大丈夫ですよ、」

「ありがとうございます。」

「ごゆっくりしていってくださいね、」

母親の笑顔を受け、古都はイートインスペースに向かう。

窓際の木製丸テーブル3つ、高校生たちがいる隣の机に古都は座る。

そして一度立ち上がり、父親のいるカウンターへ。

「すみません」

「はい、いらっしゃい」

「紅茶を一杯いただけますか?」

「紅茶ね、百五十円になります。」

これまたリーズナブル。

「あ、席に持っていきますのであちらでお待ちください。」

「ありがとうございます。」

古都は百五十円を渡して席に戻る。カウンター上のボードにはメニューが書いてあり、ホットコーヒー、カフェオレ、アイスコーヒーが百五十円、紅茶、ミルクティー、その他ジュース類が一杯百円で飲めるようだ。

少し待つと父親がティーカップに入った紅茶を持ってきてくれた。

「ありがとうございます」

「ごゆっくり。」

かっこいい。

さて、物は揃ったので早速食べ始める、と思いきや、せっかくなので綺麗に写真に収めたくなった。

この店は購入時に持っていたトレーをそのまま使える形を取っており、古都はそこに購入したパンを、隣に紅茶を並べて、写真を撮り始める。

良い感じに柔らかな光が差し込む窓際、カメラ越しにパンが生きているように見える。早く食べたいが、今は冷静に。渾身の一枚を作る。

満足な一枚が撮れたので、食べ始める。どれから食べよう・・・。

そうだな、まずはヒメさんがおすすめしていたカレーパンから食べてみよう。

ざじゅわっ。

揚げたてのような衣生地とすぐ下のじゅわっとした層を一噛みで貫く。すると少しの空洞の後、温かなカレーに到達する。

カレーは無難な言い方だが様々なスパイスが効いている。強いてい挙げるならなにやら辛みと甘みが同居している独特な味わいだ。隠し味だろうか?ともかく旨い。感想を言葉にしているよりも脳で味わいたい。

そして、分厚くジャガイモがごろっとしたコロッケパンも食べ、いい香りのシフォンケーキと紅茶も楽しんだ。

食事を終えるころには店内も落ち着いていた。

そんなタイミングでふと隣の席にいる高校生たちの会話が耳に入って来る。

「おい、三浦、そうえいばいい加減告白しちまえよ!」

小声でそんなことを話しているのが。

「え、いやだって俺今年受験だぜ?」

「だからだろうがっ」

見えてはないが三浦というやつが小突かれた姿が目に浮かぶ。

その後もなんだかそれ系統の話でわちゃわちゃしていた。これはなんだか物語を感じるなあ。

「お待たせしましたー!」

そんなやり取りをさらに向こう、ヒメさんが風のように現れた。

古都が声の方を向くと、ヒメさんと目が合う。

そして、こちらに向かって歩き始めた。

トレーを持っており、その上になにか乗っている。多分、先ほど言っていたお菓子だろう。直接持ってきてくれるのだろうか?

そんなことを思いつつ名前を忘れたお菓子を楽しみにしたのも束の間、古都とヒメさんの間に「ふえっ!」という変な声と共に影が入り込んだ。

「ヒオウくん!大丈夫?」ヒメがヒオウと呼んだその少年、先ほどの三浦くんである。

「あ、あ、すみません!こいつが!」

どうやら横の友達になにかされたらしい。

「びっくりしたよ、勉強頑張ってね、」

そしてヒメさんがヒオウ少年の横を通り抜けようとしたとき、

ばちんっ

横の友達がヒオウの背中を叩き、

「ヒメさん!俺と付き合ってほしいっす!!!」

ヒオウが反射的にそう言った。


まさかの展開に古都は驚いたが、誰よりもヒメさんが驚いていた。

と、古都は考えたのだが

「うーーーん、まずはちゃんと受験がんばって!」

予想外の反応だった。


なんと、ヒオウは友人には言わずに一回、約二年前ヒメさんに告白していたらしい。

予想外すぎるヒメさんの反応に友人たちから轟轟と言葉が出て来て発覚した。

ヒメさんは古都にお菓子を持ってきてくれる途中だったこととがっつり古都も驚きの表情をしてしまったことで、その話には古都も巻き込まれた。

「あ、ごめんなさい、これ、ウィークエンドシトロンっていうお菓子です。みんなで食べよう!お兄さんも一緒にどうぞ!」

そして古都が高校生たちの席に合流し、ヒメさんがお菓子をみんなの前に置いた。

さらに、気を利かせた父親がみんなにコーヒーも淹れてくれた。

古都が財布に手を伸ばすと「お代は結構ですよ」と言ってくれた。


ヒメさんこと追川陽芽菜(おいかわひめな)さんとヒオウこと三浦燈桜(みうらひおう)は幼馴染、とは言わないまでも古くからの付き合いだったようで、燈桜は2つ年上の陽芽菜さんにずっと恋していたらしい。そして陽芽菜さんと同じ高校に入り、陽芽菜さんが卒業するタイミングで一度告白。しかしその時は陽芽菜さんには彼氏がいたため断られる…。陽芽菜さんは高校卒業と同時に本格的に家のパン屋、この店を手伝い始め、燈桜はその後も告白せずにこの店に通い続けて今に至るらしい。

といった感じらしく、古都はこの街で出会えた物語に感動した。

「で、結局答えは・・・?」友人の一人が言う。

その言葉に陽芽菜さんは顔を少し赤らめ、

「受験が終わったらこたえるから・・・。まずはちゃんと勉強してほしいかな、」と答えた。

「俺、超がんばります!」

「うん、待ってるよ」

ここにも一つ、新しい物語の始まりが生まれた。

「あ、そうだ。よかったらお写真撮らせてください。」


 古都は二人、みんな、ご家族も、様々な角度で、色んな表情でそれらをカメラに収めた。

 柔らかい光が差し込む土曜の午後、この街は焼き立てのように温かい。

 やわらか色堂のドアを開けて外に出る。

 心地よい、温かな、良い匂いの風が古都の横を吹き抜ける。


 家に帰り、データ化した写真を陽芽菜さんと燈桜に送る。

 それぞれからそれぞれのお礼が来る。二人とも考えていることは同じようだ。



 次の三月、古都は今日もふんわり色堂のドアを開ける。ただし今日は入り口にCLOSEの札が出ている。

 古都はそれをなんの躊躇いもなく開ける。

 今日は客としてではなく、仕事として赴いた。

 「こんにちはー」いつ来てもドアを開けた時の豊かな香りは良い匂いだ。

 「あ、古都さん、今日はありがとうございます!」

 ふんわり色堂の中にはいつものエプロン姿の陽芽菜さんと、制服姿の燈桜がいた。

 「燈桜くん、卒業と合格、おめでとう。」

 「ありがとうございます!あの時の古都さんの写真が無かったら乗り越えられなかったかもしれないっす・・・」

 「いやいや、どんなに風が強くても、頑張ったのは君だよ、自信もって」

 実は古都が前に撮った写真を特に気に入ってくれたのは陽芽菜さんのご両親で、この店の宣伝に使ってくれたのだ。その後も新作のパン屋広報誌に乗る時は古都に写真をお願いしてくれていたのだ。古都は意図せずカメラマンとして歩き出していた。

 そして、今日は陽芽菜さんと燈桜くんの依頼で、二人の記念日の写真を撮るためにここに来ていた。

 「じゃあ、撮りますよ。」

 これから二人がどんな道を歩むかわからないが、地面は続いているんだ。きっとまたどこかで会うだろうし、きっと大丈夫。


 一通りの写真を撮り終わったたら、陽芽菜さんが前に振る舞ってくれたお菓子を作ってくれた。きっと今日のために仕込んでおいたのだろう。

 「これ、美味しいですね。本当に。」思わず古都の口から漏れる。

 「なんて名前のお菓子だっけ?ヒメさん」燈桜のヒメさん呼びは多分ずっとこのままなんだろうな、微笑ましく思う。

 「これは、ウィークエンドシトロン。フランスのお菓子で、大切な人たちと週末に食べるのよ、いいでしょ」陽芽菜さんはそう言うと微笑んだ。

 その後はいつの間にかいたマスターがコーヒーを淹れてくれて、燈桜が呼んだ友達も来て、ささやかな卒業祝いをした。

 古都はそれも写真に収めた。


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