本日の読書 #015 「ハイエナのような」
参考書籍:『ナショナル ジオグラフィック 2024年3月号』
「まるでハイエナのようだ」。
この言葉から何を想像するだろうか。
おおむね、「狡猾」とか「陰険」、そして「屍肉をあさる」とかだろう。
それは『ライオンキング』に出てくるハイエナ三兄弟のイメージだったり、
オンラインゲームなんかでも他人の功績に便乗して利益をかすめ取ることを「ハイエナ」などと言ったりする。
しかし衝撃的なことに、ハイエナの食事はその95%が「自力での狩り」であるらしい。
私たちの考える「屍肉をあさる」イメージは、ハイエナのたった5%の一面を見ているに過ぎないというのだ。
何ならハイエナとライオンが一つの死骸を取り合っている場合、それはハイエナが仕留めた可能性のほうが高いとまで書いてある。
ではなぜ、そのような悪いイメージが付いたのか。
それは「ハイエナ以外が屍肉をあさらない」からではないか。
たった5%の要素だったとしても、「屍肉をあさる」という行為そのものがハイエナに特有の行動であるために、それがイメージとして固定されてしまったのだ。
このようなレッテル貼りは人間に対してもよく行われる。
「◯◯さんは✗✗な人」というレッテルは情報を理解しやすく、あるいは管理しやすくするのは間違いない。
例えば「山田さんは気難しい人」「田中さんは遅刻しやすい人」など。
しかしそれは「他の人と比べて」という前提にある相対的なものであり、そのレッテルが独り歩きしたり、それに認識が歪められる危険性があることは意識しておかないとならない。
私たちがハイエナを忌み嫌う理由が、実態とはズレているのと同様に。
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