父への手紙 はじめに
父がアルツハイマーに罹った。
兆候が見られてからの進行は実に早かった。施設に入って急速に動けなくなり、目も見えなくなり、話せなくなり、まさに目の前にはいるものの、コミュニケーションは全く取れなくなった。
父は、子供を気にかけてくれるというような父ではなかったし、一緒に過ごした時間も思い出せないほど、殆ど一緒に過ごしたことはなかった。
どこへ行くにも、忙しい中、母がしんどい気持ちを奮起して私と兄に愛情を注いでくれた。
世の中でのふるまい方を教わったのは、母と社会からであった。そういう家庭で育ったのは、私だけではないだろう。
そんな父でも、私に一つだけ最高の宝を与えてくれた。
それがアメリカ生活という機会だ。詳細は後に述べるが、家族との対話が上手ではなかった不器用な父も、最大限に与えてくれた愛情が「機会」という一生をかけても経験できない人も多くいるものを与えてくれた。
この宝を手にした私は、最初、その宝の価値を実感できなかった。
留学をすると他にも留学生が大勢いるわけで、その環境にいると誰にでも与えられる機会の一つにしか感じなかった。
この宝が効果を発揮するのは、人生の後半になってからだった。
しかも、アメリカ生活十七年を経て帰国した後、より大きな力を発揮した。
父には、そういう未来が見えていたのだろうと思う。はっきりとした未来は見えてはいなかったと思うが、当時のまま日本で今の年齢まで過ごしていたら、この風景は見えていないということだけは分かっていたはずだ。
父は、自分の感情を子供に出すことは殆どなかった。無関心さに思える冷たい言葉の節々も、父からすれば伝えたかったことを相手に同じ感覚のまま伝える表現力はなかった。
今、自分が家庭を持ち、冷静に考えてみると、父が向かおうとした道をきっと自分も少なからず歩んでいるんだなと思える日々が増えてきている。
これが血というものなのだろうと改めて思う。
世の中の人は、親に感謝を伝えられる時期に感謝を伝えるよう、多くの人が色々なところで教えてくれている。
父がアルツハイマーになった今、それは叶わなくなった。
これが多くの人が残した言葉の意味だろうと改めて認識できる。
父はアルツハイマーになって話すことができなくなった後、急激にありがとうという意味で涙を流すようになった。
母ですら見たことない現象だ。
アルツハイマーのなせる業であることを確信した。
今、施設に父を見舞いに行っても、正直、本人は身動きも取れず、また恐らく車いすに乗っていることだけでも体が痛いのだろと辛そうに見え、寧ろ、お見舞いが本人の負荷になっていることは容易に感じる。
手紙を残そう決めたのは、父は読書が好きだったからである。
書物で今までの感謝を示そうと思った。
父の人生はきっと読書に始まり読書に終わった人生だろうと思う。
施設にいる医者からは、もう長くはないからなるべく頻繁に会いに来た方がいいと言われている時期にこの手紙を書いている。
今の状態でも父がこの手紙を読むことは叶わないが、同じ境遇のある人、その境遇になってはいないが、自分の親への感謝を普段伝えられていないという人が読んで、改めて感謝をする機会を作ってもらえればいいなと思う。
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