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「承認欲求」を掘る

「褒められる」「認められる」ということは嬉しい。

あまり深くそのことを考えようとはしてこなかったように思います。
というのも、承認欲求はみんな持っているものだし、あって当然だろう、というくらいに思っていたからです。

でも、周囲を見てみると、そのことにあまり興味・関心がない、という人も少なからずいるということがわかってきて、驚きと同時に「では、自分の持つ承認欲求ってそもそもなんであるのかな?」という感覚が生まれるに至ったのです。

私の「承認欲求」の根っこ

考えるに「居場所がある」という感覚からであろうか。
「生きていても良い」という実感を「承認」から得ているのかもしれない。

それは逆に言うと、「承認」がない状態では「本当に自分は生きていて良いのか?」という存在についての自信のなさがあるように思う。

「自信のなさ」

根本的な「自信のなさ」というのが「自分を成長させよう」「勉強しよう」「頑張ろう」ということの原動力にもなっているように思う。だから「自信のなさ」ということは、悪いことばかりではない。「自信のなさ」があるから、ここまで自分が生きてこられて、今の立ち位置に立てているのでもある(適度なストレス状態が一番生産性やパフォーマンスを出させるという説もある)。

逆に、そうやって積み上げてきたものだから、その自信の積み木を崩されるような人物や出来事にはとても脆いようにも思います。過剰に避けるか戦うか、そんな反応をとるのかな、と自分のことを推測します。

自分を活かす観点で・・・

自分をより活かすには、おそらく「自信の積み木」に頼りすぎないということでしょうか。積み木は崩すもので、何度でも形を作れるものです。積み木のブロックを手に入れる努力は自分で自分を認めてあげるとして、そこから先は、違いとの出会いによって「壊して積んで」をして楽しめたら・・・なんて。

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