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今日の写真。アルアル言いたい、銭湯に富士山の絵を描きがち。

どうもgucchon(@gucchon07)です。


今日は東小金井駅からバスで10分程度の江戸東京たてもの園にある「子宝湯」という銭湯の写真です。

この銭湯は宮造りとよばれる、お寺のような銭湯です。

展示のみでお湯に浸かることはできませんが、十分に建物の大正〜昭和の感じを味わうことができます。


ということで、撮ってきた写真がこちらです。

写真




構図に関して

1枚目は富士山が右2/3を思いっきり占めるようにしました。

2枚目は脱衣所からお風呂に入る前の入り口である木枠をフレーミングとして使いました。

3枚目はライトで照らされる富士山をイメージしました。左1/3の上部に富士山を持ってくることで、ライトから自然に富士山に視線がうつるように意図しています。


銭湯と富士山の謎

では今回の裏テーマである、銭湯に富士山の絵がかかれがちという点にうつります。

調べてみると、今から100年ほど前に、銭湯にくる子供達を楽しませようとした銭湯の経営者と、それを請け負った静岡出身の画家とのコラボレーションが発端のようです。

銭湯に初めて富士山が描かれたのは大正元年(1912年)のこと。東京都千代田区猿楽町にあった銭湯「キカイ湯」(風呂釜に汽船ボイラーを使用したのが名の由来)の経営者が施設を増築する際、「子どもたちに喜んで湯船に入ってほしい」と願い、浴室の壁にペンキ絵を描くことを発案。依頼した静岡県出身の洋画家、川越広四郎が生まれ故郷の富士山を描いたのがきっかけになったという。


今は富士山でも、「赤富士」や、海外の「マッターホルン」など、バリエーションが増えてきているようです。


写真を撮る事で、歴史にも興味がわき、一石二鳥ですね笑。


終わりに

今回は、江戸東京たてもの園で、「子宝湯」という昔ながらの銭湯のノスタルジーを撮ってきました。

また、富士山が描かれるようになった理由も、子供を喜ばせたい銭湯の経営者と、静岡出身の画家の協力があって生まれたという、なんとも「温まる」話を知ることができました。


もし銭湯に入るときは、後ろに描かれている絵に注目して行こうと思います!


最後までご覧いただき、ありがとうございました!


*撮影機材 富士フイルムX-T10、フジノンレンズ XF35mm F1.4


もしサポートいただきましたら遠征や撮影機材に使わさせていただきます:)