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発達障害と診断されてー強迫、双極症ー 闘病記【26】

新しいカウンセラーとの出会い

前回は大学院を退学し、大学のカウンセラーとお別れしたところまで述べました。今回はその後の経過について述べたいと思います。

大学のカウンセラーは、私が引き続き心理カウンセリングを受けられるようにと、家から近いカウンセリングルームを紹介してくれました。私は言われた通り、そこに行くことにしました。

カウンセリングルームはアパートの一室でした。入ってみるとおばあさんが迎えてくれました。何か独特の雰囲気をまとうおばあさんでした。

そして「紹介状をもらったけど読まないことにしました。先入観をもってあなたを見たくないので」と言いました。

これによって7年間にわたる大学のカウンセラーと積み上げてきたものはあっさりと崩れ去ったのです。

発達障害と言われて

それからいろいろと質問をしてきました。また簡単な検査のようなこともしました。そして突然「あなたは発達障害だと思う」と言いました。初めてそんなこと言われたので驚きました。この時は発達障害について無知でした。

おばあさんは発達障害の人は薬を飲まない方がいいと言いました。うつや躁という気分の変動は発達障害の二次障害によるものだと言いました。

さらに病院を変えた方がいいと言いました。発達障害に詳しい病院を紹介するということでした。

前に述べたようにクリニックの医者に不信感を抱いていたので、ちょうどいいタイミングだと思いました。

長年、強迫性障害とうつ病、双極性障害Ⅱ型の治療を続けてきました。しかし効果がないばかりか症状は悪化しているので、発達障害に診断が変わることにより何か私の病状に変化があるのではないかと思いました。
この時少し希望を持ちました。

母親の反応

帰って母親にカウンセラーに言われたことを伝えました。
すると母親は少し怒っていました。

母親の年代の人は、親の育て方によって発達障害は引き起こされるという認識があったそうです。母親は自分が責められると思ったようです。

それはともかく、母親も私の病状が悪化する一途だったので、違う療法をしてみることにより何かが変わるのではないかと期待したようでした。

新しい医者

そして新しいカウンセラーの指示に従って医者を変えました。その病院で発達障害の検査を行いました。

検査は生い立ちから始まり、たくさんの質問がありました。今まで受けた検査とは違い、とても量が多かったことを覚えています。

結果は発達障害ということでした。それも「典型的な発達障害だ」と言われました。私は何か腑に落ちないものを感じました。

しかし、新しい診断により私にとって適切な治療が行われ、病状が良くなるということに期待を寄せていました。これでつらいうつ状態から抜け出せるのではないかと思いました。

これまでの症状と発達障害

発達障害という診断が出たもののその実態はよく分かっていませんでした。そこで私のこれまでの強迫性障害、うつ病、双極性障害Ⅱ型の症状は何によって起こってきたのかということが問題となります。

それに対して医者は、気分の変動は不適切な薬物治療によるものと、発達障害の特性を知らずに頑張ってきたことによる二次障害だと言いました。

強迫行為については発達障害でも見られるらしく、「こだわり」が発現したのだと言いました。

さてこの時はとにかく気分の落ち込みに悩まされていました。そのことを伝えると、発達障害にも使える薬を出すということでした。

薬の処方

まず薬を左手に握らせて親指と人差し指でリングを作らせました。そして私の右手のリングをこじ開けようとしました。私の右手に力が入るかを確認していました。

薬との相性を見ているとのことでした。Oリングという検査方法だと言っていました。オカルトめいていましたが今まで薬の効果を感じられなかったので、こういうやり方もあるのかと思っていました。

たくさんの薬を左手に持ち、右手でOを作りました。漢方薬についても同様に検査しました。

その結果テグレトールを中心として薬が出されました。抗不安薬は発達障害にはよくないからということで中止となりました。

淡い希望

診断が変わり薬も変わったのでこれで良くなるだろうと思いました。
13歳のときから強迫性障害、うつ病、双極性障害Ⅱ型と治療してきましたがどれもうまくいきませんでした。
しかしこれからは新しい治療が始まるのです。

これは現状打開のチャンスだと思いました。やっと自分に合った治療が始まると思い、希望を抱きました。

発達障害として

しかし薬が変わっても症状は良くなりませんでした。カウンセラーは会った時と同様に、今まで発達障害に気づかずに誤った治療をしてきたことによる二次障害がひどいのだと言いました。

そして発達障害にいいと言われる体操やサプリメントを教えてくれました。一方、医者は毎回Oリングで私と薬の相性を検査していました。

そしてカウンセラーは発達障害は治らないので、生きやすくするために、他人との関わりは減らし、私が得意とすることをやりましょうと提案してきました。

また大学での研究は発達障害に向いているから継続できないかと言いました。

その時の私はすっかりその気になりました。カウンセラーの説明通り、発達障害だということで、自分の特性に合った生活をすれば、気分の変動や強迫から逃れられると思ったのです。
また研究が出来るということもうれしかったです。

発達障害の本

ある日発達障害の人が書いた本を紹介されました。
読んでみたのですが自分とは違うと思いました。
ほとんど共感できるところがないのです。

おかしいと思いました。

そもそも強迫行為は発達障害の特徴だと言われましたが、発達障害のそれは不安がないということでした。ところが私には大きな不安がありました。強迫行為をするときはいつも不安で仕方なかったのです。

また発達障害の人は「空気を読めない」とか「人の気持ちが分からない」と書いてありましたが、自分はそんなことないと思っていました。

そしてカウンセラーに「人の気持ちが分からない」のではなく、人の気持ちを考えすぎてしまうのだと言うと、そういう特徴も発達障害からくるものだと言われました。
その時は納得しましたが、今考えればHSPの特徴だったのです。

症状の悪化

病状は悪化する一途でした。電車で病院まで行くことができなくなってきました。またバイトをすることも出来なくなりました。

そしてカウンセラーの指示通り、家から近い大学に研究生として通うことにしました。ところが体調は悪化の一途を辿りました。

不安が強く出てしまい、家から出られないということも多くなってきました。

おそらく前にも述べたように抗不安薬をやめたことによる離脱症状だと思います。
私にとって抗不安薬はなくてはならない薬なのです。

誤診

発達障害という診断は今になって思うと、とんでもない誤診でした。
会った瞬間に発達障害だと分かったと言われましたが、そんなことあるのでしょうか。

先入観を持ってカウンセリングをしたくないからと言って、大学のカウンセラーの紹介状を読みませんでした。しかしろくな検査もせずに発達障害だと断定したことは、それこそ先入観ではないでしょうか。

しかし私にも悪いところはありました。
病院での検査の時に発達障害と診断されるようにと意図して回答したのです。

カウンセラーに「今まで誤診で苦労されましたね」と言われ、「発達障害なのに変な薬を飲み、正しい対処をしなかったから苦しかったのだ」と言われ、発達障害の治療をすれば良くなるということを鵜呑みにしたのです。

私はとにかく楽になりたかったのです。

そのため検査の時に発達障害と診断されるように「空気をよんで」回答してしまったのです。

確かに他人とのコミュニケーションが苦手でした。また研究などの特定の分野が得意ということはありました。

しかし他人とのコミュニケーションが苦手というのは、プライドが高く、人にどう思われているかを気にし過ぎていたからです。

また研究がうまくいったのは、森田療法で言われる神経症気質の特徴がいい風に影響したのだと思います。

しかしその当時はそういった知識がなかったのです。
勉強不足の私が悪かったのです。

鹿児島へ

カウンセラーと医者は最初から神田橋條治という人がスーパーバイザーだと言っていました。

そして機会があれば神田橋先生に直接診てもらうのが一番だとも言っていました。神田橋先生は鹿児島の病院に出ているということでした。

もうどうにもならないくらいうつ状態がひどいので一回直接診てもらおうということになりました。
そして鹿児島に向かうことにしたのです。

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