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二度目の就職ー強迫、双極症ー 闘病記【32】

お寺の門法会

前回は3度目の入院生活について述べました。今回は退院してからの生活と、2度目の就職を中心に述べたいと思います。

退院後しばらくはゆっくり生活することにしました。そこでまたお寺に通うことにしました。

お寺は来る者拒まず去る者追わずの精神で、私を暖かく迎え入れてくれました。特に行くところのなかった私は、お寺の門法会に参加しました。また、お寺の掃除などを手伝っていました。

この頃も門法会では、ありがたいお話を聞いて心が楽になるのを感じていました。

しかし門法会が終わるとすぐに現実に引き戻されて、聞いたことを生活にいかすことが出来ませんでした。

ありがたい話はすぐにどこかに行ってしまいます。そして家に帰ったら心が楽になったということさえも消え去ってしまうのです。

蓮如上人の逸話

これに関しておもしろい逸話があります。

あるとき蓮如上人にお弟子さんが、門法しても私たちの頭はザルで水をすくうように、すぐに教えが抜けてしまいますと訴えました。

すると蓮如上人は「ザルで水をすくう」のではなく、その「ザルを水に漬けよ」と言われました。

つまり教えをすくい取って頭に入れるのではなく、頭を教えの中に四六時中漬けておけということです。

門法してもすぐに現実に引き戻されて、教えが抜けてしまうのは昔からのことであり、私だけではないことを示すエピソードだと思います。

病気と門法

いくら門法しても病気はよくなりませんでした。強迫行為は治る気配はなく、相変わらず何度も同じ所を触ったり、見たりして回数を数えていました。

この時は強迫症がどのようにして起こり、どういった対応を取ればいいかということは分かっていませんでした。

また双極症の症状でうつ状態になることも度々ありました。双極症に関しても原因、対処方法は分かっていませんでした。

本当に強迫、双極症に関する、病気の原因や対処方法が分かったのはごく最近のことなのです。

師からも病気に対するアドバイスはありませんでした。

私は師と会った日に「浄土真宗の教えでは病気は治りません」という言葉をいただいたことを忘れていたのです。

門法をして、心が楽になる体験を積み重ねていけば病気は自然に良くなると思っていたのです。

そんな気持ちで話を聞いているので、話の中でも心が楽になるところしか聞きません。

浄土真宗が大事にしている教えであっても、心が楽にならないのであればろくに聞いていなかったのです。

私は楽になるところを選んで聞いていたのです。聞くという行為において全然自由ではなかったのです。

またなぜこの話を聞くと心が軽くなるのか、心が軽くなるとはどういうことか、その話の出所はどこであるかなどの問いを持つこともありませんでした。

バイトを始める

さて話は戻りますが、ちょっと病状が落ち着いてきた私は、バイトを始めようと思いました。

正社員を目指すのではなく、まずはバイトからスタートして、徐々にステップアップしていくという目標を立てました。

そう思ってネットで職を探していると、一つおもしろそうな仕事を見つけました。それは貿易会社での仕事でした。

会社は中国との貿易をやっており、業務内容はパソコンを使用した簡易な在庫管理だと書いてありました。

会社は出来たばかりで規模が小さく、従業員も少ないという点もHSP気質を持つ私にとっては魅力的でした。

家から車で30分もかからないところだったので応募してみることにしました。

面接

面接をしたのですが、前から述べているように社会人になってからの経歴はめちゃくちゃで評価されなかったのですが、学歴を評価してもらって受かりました。

大学を卒業しているということが思わぬところで有利に働いたのです。

面接時に病気のことも話しました。病気自体のことは分からないけれど、たまに休んでもいいから来て欲しいと言われました。

病気に理解があるということはとてもうれしかったです。
バイトですけど一生懸命にやろうと思いました。

気楽なバイト生活

そして働くことになりました。まずは在庫管理の仕事をすることになりました。少しだけパソコンは触れたので何とか業務をこなすことが出来ました。

また私が配属された部屋は、その時の上司と二人きりの部屋だったので気楽に仕事をすることが出来ました。他人の視線に悩まされることがなかったのです。

会社自体そんなに忙しくないようで、みな和気あいあいとしていました。

パートのおばさんやバイトの人とも自然にしゃべるようになりました。
とても良い感じで仕事をすることが出来ました。

通勤時間が車で30分程あるので、私はその時間を有効活用したいと思いました。

そこで始めたのが英会話のCDを聞くということでした。今になって考えるとばかなことをしていたと思います。

バイトに行けるということで十分にも関わらず、プラスアルファを求めていたのです。
そんなことをせずに、聞きたい音楽を聴いてリラックスして運転していればよかったのです。

職場では医者に通う時間を作ってもらっていました。医者がある日は早退していました。

また、つらくなって行けない日は電話でその旨を伝えて、遅刻するか、休んでいました。

病気に対して理解がありとても助かりました。そういった配慮もあり、ストレスも少なく、また仕事自体も一人でコツコツとやればよく、自分に合っていました。そのため、つらくなる頻度は減っていきました。

医者にもだいぶよくなったと言われていました。それでも薬が減ったりすることはありませんでした。

正社員として雇われる

そうこうしている内に3ヶ月が経ちました。
私は今までになくちゃんと仕事ができ充実した生活を送っていました。

そして社長から正社員にならないかと言われました。
私はこの職場ならやっていけると思いました。

そして正社員にしてもらいました。人生二度目の正社員でした。今度こそは長く続けようと思いました。

正社員として

私は正社員になってからは、会社の物販部門を任されていました。要はネット通販での販売をしていました。

輸入した商品をアマゾンや楽天などで販売していたのです。

私は輸入した品物を検品、修復することから、ネットでの販売用のページなどの作成、お客様対応までしていました。
さらに仕入れに関してもだんだん権限を与えられるようになりました。

私は楽しく仕事をしていました。もちろんつらいこともありましたが、自分で店をやっているということに誇りを持っていました。そして結構大きな金額を任されるようになりました。ここまでは順調に進んでいました。

韓国出張

さて会社の出張で韓国に行くことになりました。私はネットの店舗での仕入れ担当として同行することになりました。

海外は二度目でした。その頃は病気の調子も安定していたので二つ返事で引き受けました。

韓国では日本語ができる韓国人にアテンドしてもらいました。私たちは誰も韓国語が出来ませんでした。そのためお土産でぼったくりにあいました。

買い付けに連れて行ってもらうのですが、韓国では仕事をする前に一緒に食事をすることが習慣のようで、毎回ご飯に連れて行ってもらいました。
私は参鶏湯を食べたことが忘れられません。

さてこの旅行には社長と社長の姉と私と三人で行きました。
そして夜、社長の姉と話す機会がありました。

その時にいろんなことを話しました。私は過去のことをしゃべってしまいました。それが後の不幸の引き金になるとは思っていませんでした。

この頃は私の人生としてはうまく行き過ぎていたのです。

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