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強迫症と中学生生活 闘病記【6】

強迫症を抱える中学生

前回まで強迫症になり、病院にかかった経緯までを述べました。今回は強迫症になってからどのような中学校生活を送ったのかを述べたいと思います。強迫症が出たのが中学一年生の時です。前にも述べたように小学校の頃から強迫症が出るまでは勉強はできました。学校でもトップを争っていました。部活は先輩が怖かったですが真面目にやっていました。相変わらず優等生として学校生活を送っていました。

ところが強迫症が私の学校生活を乱していきます。そもそも学校に行かなくても毎日強迫行為でくたくたになってしまいます。自分の意に反して何度も触ったり見たりして「声」が聞こえたり、「神様」が指示してきて神経がすり減ります。強迫行為で朝部屋から出るにも大変でした。朝の儀式でくたくたになってから登校です。

学校生活

強迫症で疲れているので学校には行きたくなかったですが、「普通」の中学生でいるために学校を休むわけにはいきませんでした。良いか悪いかは別として、自分が登校拒否になるなんて考えられなかったのです。病気なので療養のために学校を休むという当たり前の発想がありませんでした。親も同じように考えていたようで、苦しそうにしていても学校を休むことを勧められることはありませんでした。

学校では人の目があり、また見られたら恥ずかしいので強迫行為は出ませんでした。しかしその分一人になるとたくさん強迫行為が出ました。トイレや部室などで一人になると必死に強迫行為をしていました。また人が気づかれないように強迫行為を密かにしていました。どこにいても強迫症からは逃れられないのです。強迫症のせいで精神状態はめちゃくちゃでした。生きていることがとてもつらかったです。

また強迫症によって学校生活も変わりました。まず自分の頭がおかしいということに引け目を感じるようになりました。他の人とは違うということで劣等感を持ちました。一方で小学生以来の勉強ができてスポーツもできるというイメージにこだわっていました。劣等感と優越感がない交ぜになり自分を見失っていたと思います。また人の目を異常に気にするようにまっていきました。

妄想に生きる

そして学校では薬の副作用も相まってずっと机に伏せっているようになりました。授業時間はもちろん、休み時間もずっと伏せっていました。伏せって何をしているかというと妄想です。一日中妄想に耽っていました。

もちろん妄想の世界では私は強迫症ではありません。いたって「普通」の人間です。それどころか特別に秀でたスーパースターなのです。具体的にどんな妄想かというと、自分が大成功する物語です。高校生になったら野球で甲子園に行くというようなものです。そこではぼくはエースで四番、スター選手でした。緻密にストーリーを描いていました。予選から甲子園まで、そしてプロに行くという長いストーリーを毎日紡ぎ続けていました。

妄想は私を慰めてくれました。というか妄想していないと生きていられませんでした。強迫症で頭がおかしくなっているという現実、それに伴うものすごいストレスの中で生きていくためには妄想の世界に耽って現実逃避するしかなかったのです。しかしここに「なりたい自分」と「今の自分」が明確に分離されこのギャップはいかんともしがたくなりました。

勉強と高校受験

強迫症になってからは勉強にも集中できなくなりました。前回述べたように本の丸の数や5文字の言葉を数えるので全く思ったように進められません。また授業中は伏せって妄想しているのでろくに授業を聞いていませんでした。さらに家では強迫行為に奔走しているのでとても勉強ができる状況でありませんでした。

それでもなんとか受験して高校に行くことができました。本当は農業高校に行きたかったのですが反対されました。それなら高専に行くと言うと、それも反対されました。私は中学校の同級生と一緒な高校に行きたくなかったのです。その点農業高校も高専も家から離れていました。そのため下宿する必要があったのです。今になって思えば、家族は家から出ていって生活できないと思っていたのでしょう。その後の展開を考えると間違ってはいなかったのですが。

厳しい強迫症との生活

部活もつらくなっていきました。先輩にいじめられるのではないかという不安は大きく、いつも怯えていました。常に不安と隣り合わせにある部活の時間もつらいものでした。また野球は大好きだったのですが、体が小さくて通用しませんでした。練習してうまくなるとか以前の体格の問題でした。高校になったら体が大きくなって妄想の通りになるのだと思って練習していました。みじめな現実と向き合うことはできませんでした。

今思うとどうやって中学校生活を送っていたのか不思議です。強迫症の症状については以前書いた通り壮絶を極めました。そんな中どう生きていたのでしょう。我ながらすごいことをやっていたと思います。
家から出ることも困難な日もありました。そして強迫症が常に私を縛り付け、心から楽しいと思えることなどありませんでした。

強迫症になってからは地獄のような日々でした。しかし、地獄のような体験をしていても「いじめられる」ことは恐ろしいのでした。それならいっそいじめられた方がよかったのです。いじめを恐れていた訳ですから実際にいじめを経験してしまえばそれ以上恐ろしいことはありません。これで強迫症から抜けられたかもしれません。しかしどういうわけかいじめられないのです。現実ではいじめられないので強迫行為をしている御利益だと思ってしまうのでした。

さらには不安が不安を呼び、強迫観念も「いじめられるかもしれない」だけではなくなってきました。交通事故に遭う、大事な人が亡くなるなどといった強迫観念がわくようになってきたのでした。とにかく理不尽なことに怯えていたのです。中国の故事である杞憂そのものでした。

勉強は苦痛を伴いながらもがんばりました。森田療法で言われているように、私は「向上心、完全欲が強く、努力を惜しまないが、完全主義に陥りやすく、不完全であることを許すことができない」タイプでした。そこで勉強に対しては完全主義がよい影響を与えました。

人間関係

そもそも小学校以来、友達付き合いには問題がありました。小学校の頃からなのですが特定の人(親友)を一人作るのです。そして親友には他の人と違って特別に思われたいのです。今になって思うと恋愛関係にあるようなことをしていました。例えばその親友が他の人と話していると嫉妬してしまうのです。私はゲイではないのですが、明らかに親友に恋愛感情のようなものを持っていたのだと思います。また親友との関係にこだわるので普通の友達づきあいが苦手でした。

中学生にもなると好きな女性がいました。ですが引っ込み思案で、自分は頭がおかしいと思っているので、しゃべれるわけはありません。そこでも妄想が出てきます。高校生になったらその子と付き合うと想像していました。今はつらいけれどとにかく高校生になったら全てうまくいくと妄想していました。現実はそれほど厳しかったです。

今になって思うと

今になって思うと学校を休んだ方がよかったと思います。私は明らかに疲弊していました。病気であることを認めて「普通」ではなくそれなりの生活をすればよかったのです。しかし、小学校以来の勉強ができてスポーツもできるというイメージを守るために必死になっていたのです。「あるべき自分」と「現状の自分」を埋めようとしていました。がんばるポイントがずれていたのです。ゆっくりと不安と向き合い治療すればよかったです。妄想に逃げて現実と向き合わないという方法で生き延びていたのです。

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