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文章力と文才とそもそも文章とは

自分に文章力があるかと問われれば少し迷ってしまいます。

日頃からこんな日本語怪しい文章を書いているのにwwwと笑われそうですが仕事だとそれなりにレポートを書く役割が回ってきましたし、文章力を指摘する相手の文章の方が「えぇ・・・(゚д゚) マジカヨ」という感じで私自身が自分の文章力の立ち位置を計りかねているわけです。

確かに現代国語の様な教科はろくに勉強の時間をゲームに捧げたしていなかった事を考えればそれなりに良かったし、マニュアル作成や業務文書のお鉢も良く回ってきました。

では自分の書きたい文章がすらすらと書けているかと問われれば全く駄目だと即答できる訳で。

次に文才という視点だと「ある」と言ってくださった方は何人かいたものの先程述べた通り自分の書きたいものには全く手も届かず。

別に棚ぼた的に得たい訳でもなく、分析的な視点で思考すると遺伝子的には不明瞭な話ながら作家経験のある人間に繋がるらしいのですが・・・そもそも文才って遺伝するのか?という話。

まぁ文章という「学問」を正しく学んだり、本を買い漁って寝食忘れる程読んだりといった「知見」を積み重ねて来れたわけでもないのだから今の現状には納得はいくのですが・・・筋トレしないと筋肉がつかない話と同じって意味で。

最近はいろいろと吹っ切れてというか人生の残り時間を考えて文章を書き、それを人目に晒すことを再開してはみたものの、自分が長年温めていたコンテンツへ手を伸ばす迄は至っておらず・・・こういったものは日々継続しておかないと駄目なのだなぁと現実をしみじみと受け止めるのです。

頭の中に浮かんだ内容を現実に書き(描き)出す・・・例えば絵描きさんも同じ様に苦労してるのだろうなぁと考えつつも、絵描きさんは望む線を掻き出せる様に先ずは手自体を思うままにコントロールする技術を得る必要があるだけより大変なのかなぁとも考えます。そういう意味では物書きにとってワープロ(ワードプロセッサ)の誕生は絵描きさんのデジタルグラフィック環境よりも一足先で画期的だったのだなと。それ以前は物書きも原稿に読める字を収める苦労が必要でしたしね。

多くの人が書けるけど、多くの人が望むものを書けていない文章という得体の知れない魔物。1年位書き続ければもう少しは見えてくるのでしょうか?(その前にまた背中から撃たれて瀕死になりそう)

望まぬ面倒事が降ってくるという状況的に仕方が無かったとはいえ・・・これまで逃げてきた分、可能な範囲でたっぷりと足掻こうとは思っています。

自分自身の事ではあるものの、少なくとも私の文章を好きだと言ってくれた方々へのけじめの意味でも。


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私のマガジンで唯一ちょっと真面目寄りな話題を扱っています(゚д゚) ニアワナイヨネ


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