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「信じて、委ねて、失望して・・・そして」

信じた後の事。失望から何を学ぶのか。そんなお話。

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『思い出さえも 黄昏れて』

1983年の寒い冬だったと微かな記憶は語っている。

その日、午後の講義が休講になり、

「時給の良い仕事があるわよ」

と先輩に紹介されていたバイト先を下見に行くことにした。

私鉄のターミナル駅にあるその街は、
女子大生の幼い自尊心を刺激するには丁度良い街だった。

古着屋、レコード屋、雑貨屋、カフェ。
その街で歩くだけで、何かステータスを得られたような気分になれる。
根拠のない自信とプライドを顔に浮かべた学生カップルがウジャウジャいた。

そんなモラトリアムに溢れた小さな路地に、その店はあった。
小さな木切れにさらに小さく書かれた店の名は、

「フェディ」。

一見するとただのビデオレンタル屋だが、
他所の店とは少し違ったのは『録画代行』を行うところだ。

当時はテレビ各局が日替わりで午後9時台に映画を放送していた時代。

録画代行は、客から注文を受けて、店のビデオデッキでテレビの映画番組を録画し、
「使用済みビデオテープ」と称して注文客に売るという商売である。

VHSのビデオソフトパッケージが一本一万円もした時代。
千円程度で映画のビデオテープが手に入るのは、客にとってはありがたい。

「もちろん違法だから、求人雑誌には載せられないの。
学生のツテでバイトする人を探すのも、口が堅い人を雇いたいからなのよ」

バイトを紹介した先輩の言葉を思い出しながら店内を下見していると、
受付にいた男の人が声をかけてきた。

「ねえ。君、もしかしてバイトの下見?」

「え、あ、はい」

咄嗟に肯定してから、こっそり下見に来ていたんだっけ、と思い出し、
恥ずかしくて顔が赤くなった。

「大丈夫。大概の人は、バイト始める前に探りに来るよ。
上手い話には気を付けないといけないからね」

優しい口調で話しかけてくる男の人は、この店のオーナーだと名乗り、
仕事の内容について話し始めた。

「まず録画代行の客が来たら注文を確認し、
コピーした新聞のテレビ欄に丸印と本数を書き込む。
数日後、客が受け取りに来たら、お金をもらって録画したテープを渡す。
客が不安にならないように、なるべく笑顔で応対する・・・これだけ。
ね。簡単でしょ。普通のレンタル屋とたいして変わらないから」

ニコリと笑った口元に、えくぼが揺れていた。

その数日後、私は「フェディ」で働いていた。

オーナーは、私が働き出してからも終始にこやかだった。
フェリーニやゴダールなど、私が名前くらいしか知らない
映画監督のことを熱っぽく語り、「日本映画は没落した」が口癖だった。

そして、お客がいなくなると、

「映画を録画をして、たまたま消し忘れた中古テープを
リサイクルで知り合いに売るだけだから、著作権の侵害にはならない」

とか、

「これからはビデオの時代だから、メーカーはビデオデッキを普及させるために、
この商売を大目に見ている」

などと業界の裏話をよく口にした。

そんな時、オーナーは決まって

「強引な自己肯定で罪悪感を払拭することが必要だ。
俺たちは新時代の仕事をしているんだ」

と自信たっぷりに語り、口元にえくぼを浮かべた。
その笑顔にはどこか寂しさが感じられた。

結局は、笑顔の陰で少しダークな仕事を行っているのだが、
甘い蜜の香りがする共謀犯的な罪悪感は、
大人に憧れる能天気な女子大生を虜にするには十分だった。

その当時私には、付き合って2年になる同級生の彼氏がいたが
バイトをはじめてから、スポーツとファッションだけの会話が物足りなく思えてきた。

初めてを捧げた相手でもあったのだが、純真さがどうにも幼く見えて
三か月ほどたった頃、私から別れを告げた。

「初恋が永遠だなんて、幻想にすぎないわ」

嫌な女のひどい言い草だ。
間違いなく私は、大人の悪女を演じる自分に酔っていたのだ。

しかし、その酔いはすぐに醒めた。

初恋の彼と別れた翌日。録画代行の店に警察の摘発が入ったのだ。

たまたま夕方出勤の日で、ちょうどお店の前まで来たところだった。

黄昏の柔らかな光の中で、泣きながら連行されていくオーナーの姿を見た時、
私は振り返りもせず走りだした。

「私も捕まるかもしれない!」

新時代の仕事も、強引な自己肯定も消え失せ、
お店にいる時の何十倍もの罪悪感だけが沸き上がってきた。
もしも叶うなら、数か月前の何も知らない私に戻りたい。
大人びた背伸びをしていた私を消し去りたい。

私はいくつもの路地を抜け、ぽつりと淡い灯りを灯した小さなカフェに飛び込んだ。

色あせた流木で装飾された狭い店内に、アラビア風のカラフルな照明が揺れていた。

「こちらへどうぞ」

案内されたカウンターに座って息を継ぐと、たった今見た悲劇が頭に甦ってきた。

「オーナーは、私の事を警察に話してしまうだろうか。
いや。雇う時に履歴書なんかいらないと言っていたから
こんな事態を想定していたのかもしれない。
もしも警察が私の所にやってきても、ただのバイトで何も知りません。
と言い通せば、それ以上は追及してこないだろう」

一通り考え抜いて、少し気持ちが落ち着いたのか、
私の隣の席に、高校生くらいの男の子が座っているのに気が付いた。

男の子は、お店の中を見回し、メニューに書かれたうんちくを熱心に読み込むと
持っていた手帳にメモをしていた。

私は初めてオーナーに会った時の事を思い出した。
そして、普段なら絶対しない行動をとった。

「ねえ。君、もしかしてデートの下見?」

「え? あ、はい」

素直に答える素朴さが、懐かしく思えた。
なぜそんな事をしたのか分からないが、きっとこれを老婆心と呼ぶのだろう。
それから私は、女子高校生が喜びそうな戦略を次々と伝授していった。

「この店では、ただのコーヒーじゃなくて、『水出し』とか『デミタス』とか
とにかく頭に何かついているものを注文するのよ。
カレーなら、キーマかドライね、『こだわり』や『食材』の話を
付け加えるのを忘れないでね。
とにかく自信たっぷりに難しそうなことを優しく語るのよ」

頭でっかちの女子大生がわずかな間に経験した
頼もしく見える男のセリフや所作を、ただ並べていっただけであったが、
高校生の男の子にとっては、恋のセオリーを授けてくれる、
親切な「恋愛慣れした心の師」に見えているのであろう。
必死にメモを取っている。

私はどんどん調子に乗っていき、大学でつまらない講義をする教授のように、
さも深く考えているように見える仕草で顎に手をやりながら、
初デートの注意点を語っていった。

『弟のような高校生にレクチャーする有能な女』という自己肯定感は、
警察に捕まるかもしれないという不安をしばし忘れさせてくれた。

しかし、心に巣食った大人の悪女は、消え去っていなかった。
私は、最後の最後に余計な事を言ってしまう。

「これだけやれば大丈夫。完璧よ。あと気になるのは、
『初デートでこの店に来ると別れる』っていうジンクスだけね」

どうしてこんな、ひどい言い草を口にする。
応援しているようにみえて、たった今まで積み上げていた男の子の準備も希望も、
根底から無意味なものにしようする言葉だ。

いくら自分が辛い思いをしたからって、
高校生の初恋に嫉妬して八つ当たりするなんて、余りにもひどい。ひどすぎる。

『なんだ。親切じゃなかったのか。
真面目に聞いて損した。大人なんか信用できないや』

と怒りに燃えているに違いない。
私は恐る恐る男の子の方に目を向けた。

ところが、その子は私の予想を裏切った。

「どうすればジンクスに勝てるんでしょうか。
神社にお参りとかした方が良いんですか」

と何の怒りも疑いも無く、真剣にジンクスの事を心配し始めたのだ。

その純真があまりにも眩しかったからだろうか、私の眼から涙が溢れだした。
そして男の子の袖を掴んで頭を下げ、何度も「ごめんね」を繰り返した。

突然奇行に走り出した年上の女を目の前にして、恐ろしく困惑したことだろう。
もし逆の立場なら、私はすぐに席を立って出て行ったに違いない。

しかし、ごめんねの回数が二十回を超えても、彼は逃げ出そうとしなかった。

それどころか、息が詰まり、むせ始めた私の背中を
恐る恐るではあるが、そっと手を添えてさすってくれた。

そして、

「大丈夫ですよ」

と、しっかりとした大人の男の口調で慰めてくれた。

私は人目もはばからずに泣き続けた。

40年後の今日。
その店は、もうどこにあったのか分からない。

「この踏切からわき道に入って左へ進み・・・」
というふうに覚えていた道筋が、鉄道の地下化によって踏切が取り払われ、
もはや何の手がかりも残ってはいない。

おそらくこの辺りだ、と思うところにたどり着いても、
そこには真新しいビルがそびえたつだけで、1983年のあの場所には戻れない。

でも、それで良いのだ。
あの夜の出来事は、いつでも確かめることが出来る。

なぜなら、その時の男の子が、
30年以上連れ添う私の夫なのだから。


     おわり



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