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昔語り:エッセイ : 大学がレジャーランドと呼ばれていた時代

1980年代後半から1990年代の初頭まで、大学はレジャーランドと呼ばれていた。

筆者か通ったのは東京の都心、山手線の中央付近にある私立のミッション校だった。ここは学科にもよるが、筆者のいたクラスはかなりのレジャーランドだった。

授業に出席し、下手すれば教授に提出する出席証を友達に代筆してもらい、授業に出席すれば欠席とはみなされず、下手するとレポートさえ出せば単位がもらえる授業が溢れかえっていた。

一般教養の授業では学生に伝える気も無い授業内容を,マイクも使わず小さな声で読み上げるだけの老教授も普通にいた。真剣に受けたい内容の授業だったので、せめて先生の声が聴ける前の方の席に座り、分からない事を質問したら反って驚かれたぐらいだった。

筆者は語学科という所に通っていたのだが、担任は定年を間近にした老教授たち。ミッション系の学校だったので、「教授」という資格は持っていても「神学」の教授の資格であり、語学の教授ではない。そんな「バイト」とあだ名されていた教授たちは外国語の会話の授業は帰国子女にしゃべらせて、その他の生徒は帰国生のしゃべる内容を聞いてリスニングの力をつけるという訳の解らない授業をやっていた。

その教授の出身国では、授業でディスカッションをする場合は生徒は教授に充てられることなく積極的に発言するというスタイルの授業をしていた。
帰国枠で入学した筆者は、徹底的に目を付けられ、授業中の発言は風邪で喉をやられない限り手を抜くことを許されていなかった。

たまに他に数人いた帰国生が発言はするものの,筆者はほぼ毎回の授業で喋らなければいけなかった。

外国語を学ぶ立場としては、自分の質問の仕方が合っているのか、他にも聞き方はあるのではないかと疑心暗鬼になり、何度も教授に注進しては「他の人の発言を聞いて勉強したい」と頼み込んだ。

頼み込んで行ってもらった授業は、その教授が嫌う「人をあてて喋らせる」というものだった。生徒一人一人を教授が当てていき、喋らせる。教授としては生徒自らが喋って欲しい所なのだそうが、要はめんどくさかったのだろう。

生徒にとっても迷惑だ。授業が始まって半年以上何も喋れず、それをいきなりスタイルを変えたりすれば、発話する準備が出来ていようもない。自分が毎回の授業で発言する機会が与えられておらず,半年間英会話の授業で発言できなかった人が多かった。一年生が半年過ぎても三文字~四文字以上の言葉を組み立てて外国語を発する事すらできない状態になっていた。

筆者が学校と言われる教育の場所に通っていた昭和の終わりから平成の初めにかけて、日本の学校はいうなれば「レクチャー形式」が主だった。生徒は先生からのレクチャーをとにかく聞き、授業中に発言する人は稀で、質問することも「他の人の時間を無駄にさせるから」と敬遠されることが多かったように思う。

しかし、外国語の会話の授業はしゃべる練習をしてなんぼの物だ。

一年たっても発言できず、二年目になっても授業が「生徒が主体的に話す」というスタイルを取っていたので、大半の生徒は全く発言できないか、発言できたとしてもやはり三~四語の単語を組み合わせるのがやっとだった。大学は語学学校では無いとはいえ、この発言する機会の不平等さは目に余るものがあった。

大学側には一年間の授業の評価を生徒が出すことになっており、最大限の苦情と授業の詳細な報告をした。しかし大学側は問題には思っていなかったようだ。

納得できなかったのが成績の付け方だ。帰国生だと目を付けられた筆者がとにかく喋り捲らなければならなかった授業でも、一年間一言も発しなかった生徒も悠々とAの成績を取っていく。これは、専門の会話の授業で一言も発しなかった生徒が主席として卒業していったことで明らかになった。会話の授業で一言もしゃべらずに最優秀の成績を取って卒業していく生徒は実際にいた。

効率の良い授業の受け方がうまい生徒さんだったのだろう。無駄を省き、最小限の授業参加率で良い成績をあげる。社会人には必須の技術だ。大学側としても表彰すべき人達だったのだろう。

要は外国人で外国語の母語話者なら教授として教壇に立てる時代だった。ある意味教授たちにとってもレジャーランドだったのだろう。自分は授業のテーマを提示し、あとは帰国生にしゃべらせていればいいのだから。授業が終わった後,筆者はクラスメイトから「今日は何の話をしていたの?」と聞かれてのけ反りそうになったことが何度もあった。

外国語での会話に限って言えば、発話をさせる力の無い教師はもってのほかだ。生徒が発言しなければ何のために授業に出たのか分からない。ただ「帰国生の喋る事を聴いていれば良い」などという理屈は教授の自己満足に他ならない。

語学を学んでいた我々学生は、英文科の生徒たちよりも英会話が出来ていなかった。

英文科の授業は必ず生徒が発言しなければならないという決まり事になっており、全員が教授にあてられ、全員が少なくとも一回はしゃべる機会が与えられていたという。3~4文字以上の文章で喋る生徒は当たり前だったようだ。

また,レジャー化してる大学と、レジャー化していなかった大学の差も歴然としていた。

筆者が専攻していた英語だけで言えば、レジャー化していない大学では英語の古い言葉である「中英語」という1000年程前の英語を原語で読んでいた。レジャーランド化していた筆者の大学の英語科では、恐らくそこまで読んだ人は少ないのではないだろうか。読み書き会話もきちんとこなせるだけの経験を積んできており、レジャーランドから来た筆者は「教育を受けてきた」学生を目の前に、その経験値の深さに脱帽したものだった。

また、「国際的な雰囲気を大切にし、英語で授業を受けられる」が売りだった大学は、英語学科の専門の授業をすべての学科に門徒を開いていた。他の学科に居ても、二年生になれば英語学科の授業は取りたい放題。大教室で行われる授業はレポートを出す必要も無いので、英語科の授業の大半は他の学科の生徒だったのが印象に強く残っている。

現在、筆者の母校では、外国語教授法を海外の大学院で学んできた日本人の教授が教鞭をとっているという。筆者の友人もその教授法を学んできた人の一人だが、諸々の理由で教職を諦め、民間会社に就職せざるを得なかった。この人の大学院時代の同期の人達が、筆者の母校で教鞭をとっているというので、恐らく発話については心配は無いのだと思う。

 令和の現代にこのようなレジャーランド的な教育わ行っている大学があるのだろうか。恐らく悪評価を出されて生き残る事は出来ないだろう。今回お話した教科は語学についてなので一般化出来ないと思うが、教育の仕方も分からない面倒くさがりの教授からおざなりな外国語会話の授業を受けている生徒さんがいない事を願って止まない。

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