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36歳になっても感情を適切にコントロールできない|愛着の課題

自分でもわからないのだけど、私はずっと何かにイライラしている。
何もない状態でも、いつも心の中が穏やかではなく、ちょっとしたきっかけで怒りが爆発し簡単に言葉として表出してくる。いわゆる“沸点が低い“人間なのである。

怒りが爆発すると言っても、相手を罵倒したり、子ども達に対して手をあげるということはなく、瞬間的に怒りを向けてしまう。所詮言い訳で、断じて良いことではない。

この怒りの感情と常に対峙していると、心が落ち着かないもので。私が穏やかでいられるのは、読書の世界に浸っているときだけである。誰かの思考に脳が支配されているときだけは、怒りという感情を忘れることができる。

だから、私は読書が好きなのだろう。
アニメやドラマを見ているときも似たような感覚になるが、アニメやドラマは人物それぞれの考え方や言葉が混じるので、そこまで支配される感覚にはならない。現実世界から、少し離脱することはできるけれど。

「誰かの脳に思考が支配される」
これが、怒りの感情との付き合い方にヒントがあるのだろう。

アドラー心理学で言えば、「怒り」別の一時感情を背景とする二次感情である。私の場合、不安や焦り、心配などが心に巣食っていることから、すぐに感情が昂り怒りとして表出してしまう。コントロール力も弱いため、一度湧き上がった怒りが持続しやすい。

夫もすぐに怒るのだけど、種類が違う。
“恐怖感情“で子どもをコントロールしようとする言い方をするので、決して良い怒り方とは言えないのだけれど、怒った後3秒後には切り替えられる。私のようにしつこく怒りが続くタイプではない。

怒りという感情は、適切に付き合うことができれば悪者ではないのだ。
夫のように「必要な場面でのみ」怒りを適切に扱えるのであれば、怒りやイライラの感情に心が振り回させることはない。私の場合は、いわゆる「アンガーマネージメント」が全くできない。それゆえ、簡単に怒りを表出してしまい、すぐにしまうことができない。

私と夫とは、何が違うのだろうか?

夫と私の違いは多々あるが、根本的に大きく違うところが「楽観的」か「悲観的」かだ。
もちろん、夫が楽観的で、私が悲観的。物事をすべてネガティブに捉えてしまう私は、周囲や社会に対して不安、心配、落胆することが多い。周囲の刺激に対して「過敏」であることも、この不安を増幅させている。

「楽観的」の言葉の中には、どこか揶揄的なニュアンスを含んで使われることもあるが、悲観的な人よりも人生を明るくする力があるのは間違いない。前に進むための脚力や、それを維持する力も楽観的な人の方が強い。

私がずっとイライラしているのかは、おそらく「悲観的」であることが大きなポイントなのだろう。基本的信頼感も弱く、周囲が自分の敵のように感じてしまう。

他人のせいにして言い訳をしたくはないが、適切に心が育まれなかったことが理由だと私は思っている。4歳と6歳の息子達よりも、私の心の方が幼稚で不安定だ。

いつも自分の感情が不安定で、自分がどこかに行ってしまいそうな感じがする。自分が自分ではないような離人感もいつも感じている。36歳になってもなお、感情を適切にコントロールできない。

正直、生きづらい、とても。


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