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195. お客様の声を聞いて、それに応えるということが大事です。またいかに速くそうした要望に応えるかが問題になってくる。結局、お客様を騙すことはできないんです。ニーズに合わなければ、車は売れないのですから。〜吉野浩行〜

みなさんこんにちは。


今回は、元本田技研工業代表取締役社長の吉野浩行さんの格言について紹介していきます。


吉野浩行とは

1939年に旧満州国に生まれ、
第二次世界大戦後に、両親の故郷である福井県に戻ります。

その矢先に大地震が福井県を襲い、
幼少期の生活は苦労したそうです。

その後、福井商業高校を卒業し、
一浪して東京大学工学部航空学科に入学、
元プリンス自動車の常務で、日産自動車の専務になる中川良一の講義を受け、航空学を学びます。

将来は三菱重工か川崎重工に就職するつもりでしたが、
学生時代に参加した軽飛行機の設計コンテストのスポンサーだったホンダを訪問したのを機に、
卒業後、1963年に本田技研工業に入社しました。


入社後は研究部門のホンダ技術研究所のガスタービン研究室に配属され、
1970年にアメリカで制定されたマスキー法に代表される排ガス浄化対策がクローズアップされると、
新たに社内で発足した大気汚染研究室に移り、
アメリカ合衆国環境保護庁の公聴会の傍聴や、
海外メーカーとのCVCCエンジンの特許契約交渉のために、
アメリカと日本を往復する日々を過ごしていました。


その後、1983年に本田技研工業取締役、
1987年に本田技研工業鈴鹿製作所所長、
1988年にアメリカ・オハイオ州にあるホンダ・オブ・アメリカ・マニュファクチュアリング社長、
1990年に本田技研工業取締役専務、
1994年に本田技研研究所取締役社長を経て、
1998年に本田技研工業代表取締役社長に就任します。

社長に就任して3年後に登場した小型車のフィットは、
30数年国内販売台数トップを維持してきたトヨタ・カローラを抜いて、
日本国内での年間販売台数一位を記録しました。

2003年には福井威夫に社長の座を譲り、取締役相談役となり、
内閣府 総合科学技術会議議員に任命され、
2013年に旭日重光章を受賞しました。


お客様の声を聞いて、それに応えるということが大事です。またいかに速くそうした要望に応えるかが問題になってくる。結局、お客様を騙すことはできないんです。ニーズに合わなければ、車は売れないのですから。

大学卒業後、本田技研に入社し、
ガスタービン研究室に配属されます。

そして、マスキー法に代表される排ガス浄化対策がクローズアップされると新たに発足した大気汚染研究室に移ります。

世の中で何が必要とされているかを瞬時に判断し、
次に何が求められるのか、
それによってどのような価値が世の中に生まれるのかを判断してきたことで、
それが世間に認められてきたのだと思います。

何が求められているのかを適切に聞き、
それに応えていくことでお客様の求めているものになり、
必然的に買いたいものになっていくのではないでしょうか。


最後に

今回は、元本田技研工業代表取締役社長の吉野浩行さんの格言について紹介してきました。


お客様の声に真摯に向き合い、
何を言おうとしているのか、
何を求め、どんなものに期待をしているのか、
判断し、それに応えようと改善していくことでお客様も買いたいというニーズが生まれてきます。

今後、どんなものが世の中に受け入れられていくのか、
真摯にお客様の声に耳を傾けることが必要かもしれませんね。


それではまたどこかで。

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