05_c琵琶湖疎水

05|琵琶湖疏水(滋賀県大津市ー京都府京都市)

<技術の手触り> 土木学会誌2013年月5号表紙

 京都には琵琶湖の水を市内に運ぶ、120年以上前につくられた壮大な規模の水路があり、今も現役の施設として市民生活の中に溶け込んでいる。大学を出たばかりのエリート青年・田邉朔郎が主任技師を務め、お雇い外国人の力を借りずに日本人のみの手でつくられたことで有名である。今号はその『琵琶湖疏水』に迫る。

 当時の京都は、明治維新の東京遷都によって衰退しはじめていた。京都府知事の北垣国道は、京都を近代的な産業都市として復興させることを意図し、水道、発電、防火用水、灌漑、舟運などを目的とする巨大事業を、さまざまな批判がある中で断行した。

 その成果は「日本初」尽くしとなって花開いた。竪坑式のトンネル工事、水力発電、インクライン、鉄筋コンクリート橋がその代表例である。こうした事実が当時の技術者たちをどれだけ奮い立たせたかに思いを馳せると、非常に感慨深い。

 表紙の写真と裏表紙の図面は、疏水分線の『南禅寺水路閣』である。レンガ造の連続アーチは、琵琶湖疏水のシンボル的存在として市民のみならず多くの観光客の目を楽しませている。

 この「西洋風」の水路橋は、古都を代表する伝統と格式のある禅院の敷地を大胆に貫いている。これは現在の価値観からすると、文化財軽視や景観破壊の極みとも思える。周辺環境との文脈において、全く異質かつ乱暴に思えるものが、時を経てから重要な観光対象になるという事実は、パリにおけるエッフェル塔やポンピドーセンターなどを彷彿とさせる。

 本質を見抜く関係者の慧眼、その時々の最新技術を丁寧に駆使する知恵、それらを決断して実行するリーダーシップなどによって、後世に残すべき価値が宿るのだと、あらためて感じることができる。 

文・写真:八馬 智 HACHIMA Satoshi

土木学会誌2013年5月号目次

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?