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04|蔵前橋(東京都台東区−墨田区)

<技術の手触り> 土木学会誌2013年月4号表紙

 東京湾に注ぐ隅田川には、「橋の展覧会」と呼ばれるほど個性的でバリエーション豊かな橋梁が数多く架けられている。それらの多くは、1923(大正12)年の関東大震災により壊滅的な被害を受けた東京を理想的な近代都市に生まれ変えようとする「帝都復興事業」の成果でもある。今号はその中のひとつ、1927(昭和2)年に架けられ、現在は目にも鮮やかな黄色で塗られている3径間上路アーチ橋の『蔵前橋』に迫る。

 帝都復興院(後の内務省復興局)と東京市は、震災から短期間のうちに400を越える橋梁の建設を成し遂げたが、その際には明確な理念と意志決定の下に、限られた予算や労力が大胆に割り振られた。復興局が担当した相生、永代、清洲、蔵前、駒形、言問の「隅田川六大橋」は特に重要視され、新しい帝都東京を象徴するメルクマールとして位置付けられた。

 これらの橋の設計は、当時の復興局土木部長の太田圓三と、橋梁課長の田中豊が主導し、彼らの指揮の下で数多くの若き技術者たちが力を発揮して推進された。新技術を惜しみなく投入することはもちろん、架橋位置の地盤や景観などの特性を読み込んでそれぞれ特色のある構造形式とした。

 永代橋や清洲橋にくらべて地味ではあるが、蔵前橋はきわめて端正なフォルムやディテールで構成されている。これは上路橋が美観上望ましいとされていた当時の設計思想を実現するためにわざわざアプローチを嵩上げしたこと、アーチの水平反力をうまくバランスさせるスパン割とアーチライズを調整したこと、装飾に頼らず機能主義的な観点に基づいて細部のおさまりを検討したことなど、試行錯誤を細かく積み重ねた結果である。当時、「美」は技術者が具現化すべき重要な要素だったのである。

文・写真:八馬 智 HACHIMA Satoshi

土木学会誌2013年4月号目次

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