見出し画像

おもしろいかどうかは問題じゃないの。将来役に立つかが大事なの。(私の人生本⑨ミヒャエル・エンデ「モモ」)

以前noteでも書いた、「生きづらさ」を抱えて生きてきた私の友達が教えてくれたこと。

芸術家と呼ばれる人は、大事なことを、そのまま伝えても伝わらないから、絵画や映像や文学や歌などで表現する。

その子が紹介してくれたのが、


ミヒャエル・エンデ「モモ」

児童文学なんだけど、いま読むとドキッとする表現がいっぱいある。


モモという女の子が、時間どろぼうに盗まれた人々の時間を取り戻すファンタジー。

大人たちは、「時間を貯蓄すれば将来幸せになれる」って言われて、時間を節約して生きるようになる。

モモは、時間の節約より大切なものがあると思っているのに、伝わらない。


私の友達は、「自分はモモみたいだった」って言ってた。

そりゃあ生きづらいわけだ。


本から一部抜粋。↓

毎日、毎日、ラジオもテレビも新聞も、時間のかからない新しい文明の利器のよさを強調し、ほめたたえました。こういう文明の利器こそ、人間が将来「本当の生活」ができるようになるための時間のゆとりをうんでくれる、というのです。
ちゃんとしたくらしというのがどういうものかは、(中略)はっきりしていませんでした。なんとなく立派そうな生活、ぜいたくな生活、たとえば週刊誌にのっているようなしゃれた生活、そういうものをばくぜんと思いえがいていたにすぎません。
たしかに時間貯蓄家たちは、(中略)いい服装はしていました。お金もよけいにかせぎましたし、つかうのもよけいです。けれども、ふきげんな、くたびれた、おこりっぽい顔をして、とげとげしい目つきでした。
余暇の時間さえ、すこしのむだもなくつかわなくてはと考えました。(中略)もうやたらとせわしなく遊ぶのです。
仕事がたのしいとか、仕事への愛情を持って働いているかなどということは、問題ではなくなりました―むしろそんな考えは仕事のさまたげになります。たいじなことはただひとつ、できるだけ短時間に、できるだけたくさんの仕事をすることです。
家をつくるにも、そこに住む人がくらしいいようにするなどという手間はかけません。(中略)どの家も全部同じにつくってしまうほうが、ずっと安あがりですし、時間も節約できます。


こんな大人に育てられた子どもが、タイトルのような考え方になるのは必然。

大人が教えたカードで遊ぶ友達に、モモが聞きます。

モモ「そんなのがおもしろいの?」
友達「そういうことは問題じゃないの」
モモ「じゃ、なにがいったい問題なの?」
友達「将来の役に立つってことさ」


資本主義から見たら、これが正義なんだよ。うん、正しい。そうしないと生きていけないもんね。それはわかってる。みんなどうしていいかわからないんだ。


一方で、こんな大人たちもいて↓

じぶんの仕事が気にいっていて、ていねいにやりました。とてもだいじな仕事だと自覚していたのです。
思いやりのないやり方でしかできないなら(中略)あたしはごめんだよ
みんなまたきてくれるようになったよ―店のはんじょうはのぞめないだろうがね。でも、おれの気にいった店にまたなったよ。


めちゃくちゃビックリするのが、この本がドイツで出版されたのが1973年。日本では1976年。ざっと45年前なんですよ。

予言の書!?


最後に、時間どろぼうから時間を取り戻したモモから、こんな結末をあなたに↓

みんなは何をするにも、ひつようなだけ、そして好きなだけの時間をつかえます。いまではふたたび時間はたっぷりとあるようになったからです。

ガーナでの2年間は、こんな感じだったなあ、そういえば。

私たちは、これから、どんな社会を作っていきましょうか。

サポートありがとうございます! 神田の部室にもぜひ遊びに来てください♪