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社会不適合で会社やめすぎな私が、書く仕事だけは続けられる切実な理由

自意識過剰な自己愛にまみれ、ろくに能力もないうちから「私は特別だから何者かになれる」と盲信していた私は、社会不適合……というか会社不適合だった。平凡な今の自分に満足できず、自分が思い描く「本当の私」に執着して特別になりたがる人間が、会社員に向いているわけがない。新卒の22歳から25歳までの4年間は1年ごとに転職したが、どの会社も続かなかったし、私より先に上司が音を上げた。

1社目「お前、辞めたほうがいいよ」
2社目「もう会社来なくていいよ」
3社目「どうしたらやる気が出る?」
4社目「やる気ないならやめちまえよ」

これらはすべて当時の上司から言われた言葉である。パワハラに厳しい昨今、仮にもピチピチの新人(女)がここまで容赦なくダメ出しされることはそうないだろう。「少子化で若手採用が難しいとされる時代に、こんなに迷惑がられることある?」と我ながら衝撃だったが、上司の気持ちもわからんでもなかった。

というのも、私は
・好きなこと(興味があること)しかがんばれない
・自分がやる意味を見い出せないとやる気が出ない
・自分が特別な存在だと信じているので、怒られると尋常じゃなく凹む
・周囲から褒められない=自分に価値がないと思い込んで凹む
・感情の波が激しく、すぐ泣いてトイレに籠城し、出てきてもまだ泣いてる

など、会社員としては致命的な特徴があったからだ。

こうした性格ゆえに、人から指導されるのが苦手だし、システム化された仕事を依頼された瞬間にやる気をなくし、当事者意識がゼロになる。頭ではやるべきだとわかっていても、心で「だれでもいいなら私がやらなくてもいいじゃん」と感じ、切り捨ててしまう。ずいぶん高飛車なオヒメサマである。

当たり前だが、会社はいつ辞めるかわからない一従業員に依存するわけにはいかないから、だれが担当しても回せるように体制を整える。「私(秋カヲリ)でなければできない仕事」なんてあってはならないし、実際ない。ないもの探しをしているので、見つかるわけがない。

違う会社に行けばなんとかなるかもと転職を重ねたが、どの上司も私を従えた途端、毒に侵されたように頭を抱えて呻きだしてしまう。26歳で「大変遺憾だが、私の問題だと認めざるを得ない」と他責にするのをあきらめ、「できぬなら 自分で掴もう 書く仕事」と戦国武将気分でフリーランスのライターになった。

組織から抜けて独り身になってみたら「すごく生きやすいんだが!?」とびっくりした。他人からの非難に弱い私にとって、孤独なフリーランス生活は平穏なるプチ・引きこもりであり、心の安定をもたらした。

原稿はクライアントから評価されるが、私の人格や素行は会社員のときほど気にしなくてよい。私はADHDの気があり、片付けできない・遅刻をするなどの問題行動が頻発する。ぶっちゃけこれらは脳の特性でもともと不得意な行為なので、ある程度の対策はできるが根本的な解決は難しい。自分があきらめている部分を日常的に指摘されてもしんどいだけなので、それがなくなっただけでも楽だった。

フリーランスライターゆえの「よい原稿を納品すればOK」という実力主義的な仕事スタイルも合っていた。書くことは私にとって存在意義と直結していて、特別であるために死ぬ気で成果を出さなければならない絶対的な行為だ。良い原稿を納品することは生存戦略であり、必須課題なのである。

だから質のいい原稿を書き上げたときは、自分がすばらしい人間になれた気がしてうれしかった。「こうして良い原稿を生み出してさえいれば、胸を張って生きていける」と思えて、安心した。

執筆は強い自浄作用があり、快感を得る行為でもあった。パーソナリティ障害と発達障害のグレーゾーンにいる私は、昔から叱られることが多く、感情の波も激しい。うまくいかなかったとき、心が感情に溺れかけたら、深呼吸するように文章を書いて心をなだめた。感情の葛藤を書くと吸いすぎた酸素を吐き出せて、「私はなぜ苦しいのか」が理解でき、ネガティブな感情もデトックスできたのだ。

このように、個人で書く仕事は精神的にも経済的にも「社会に適応しにくい私が、それでも社会で生きていくための術」だ。

書くことに自分の存在意義や価値を見い出すのは依存的だし、過剰な自己愛を原稿への評価で満たそうとするのはあまり健全とは言えない。それでもうまく社会になじめず否定されることも多かった私が、自分で自分を認めるために幼少期から磨き続けてきた行為であり、高すぎる理想と目の前の現実のギャップに打ちのめされずに生きるために必要な行為だ。

もちろんいつかは過剰な自己愛を卒業して、何事にも依存せず、今の自分をそのまま受け入れられる健全な自尊心が欲しい。でもそれが育つまでは、不健全で独りよがりな自己愛をエネルギーに生きていっていいと開き直っている。

まるで世間知らずの子どもみたいに傲慢で尊大な自信だけれど、これがなければ妥協せずに書き続ける執念を持てなかった。集団になじめない孤独が心の底にいつもあるけど、だから切実に文章と向き合えた。

根が怠惰な私は、満ち足りた環境では光り輝けない。生きづらさを感じてこそ「私はいるべき場所はここじゃない」と甘い夢を見て、甘い物食べたさに死に物狂いで這い出せる。今までのうまくいかなかった過去を疎んで「我が道を突き進んで、理想が高すぎる自分ですら陶酔するような偉業を成し遂げてやる」と、なかば呪いのように渇望している。

今の自分はまだ受け入れられないけど、みんなと同じように生きられない孤独と、もっともっとと欲する傲慢な心を受け入れよう。生きづらさ、苦しさ、歯がゆさ、さみしさ、これらすべてが原動力だ。なじめなくて外れ者になっても、しぶとく生きてきた自分は強いはずだ。満ち足りない自己愛を成仏させるために、自分の俗な馬鹿馬鹿しさを跳ねのけて走る。

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