年齢差別
年齢差別
自由の国米国に住んで長い。
すっかり自由の味を占めてしまい、今更、不自由な生活には戻りたくない。
誰でも、自分の母国は条件なしに好きだ。 私とて同じ。
でも、 21世紀の現在でも、 以前に比べれば前進したのも事実ではあろうが、 「女性だから」という、見えない社会的圧力がまだ色濃く残っている日本に住むつもりは無い。
勿論、比較の問題で、 中近東の其の国のように、女性は身体中ベールで覆わなくては外出も出来ない。
その上、外出時は親族の男性の保護を必要とする社会に比べれば、日本の女性達の自由度はとても高い。
自由の国と言われているアメリカでさえ、女性の地位向上運動が断続的に起こっている。
大学で女性学という分野が存在する事実からも、性別格差是正実現までの道のりは、まだ遠いのも事実だ。
男女間の差別ばかりではなく、年齢差別も米国より日本の方が顕著であるようにおもう。
「まあ、おばあちゃんが、分厚い英語の原書を読むなんて、何と珍しい事ですね。」と、正直に自分の気持ちを吐露する、50代の日本女性。
携帯電話を使って、ユーチューブの講演を数人で聴くため、携帯電話用スピーカーと接続、音声を調整していると、「お年なのに、 現代機器に精通してますね。」と、びっくり顔。
日本に住む70代後半の女性で、ユーチューブなどで、米国の大学教授の講演を携帯で聞く人が少ないのかも。
日本という国の社会的ムードが、「70代後半の女性は、できないものと諦めているからだろう。」と思う。
通訳業務は常に日本語、英語の専門用語を学び続けていないとできない仕事だ。
仕事上、娘より一足早くインターネットを利用、ツイターで文章を書き始めた事もあった。(今はしていません。)
勿論、若い我が娘は、ひとたびインターネットを利用し始めると、遥か彼方に進んでいった。
男女の差による締め付けや、年齢差別などの少ない社会で生活したい。
年齢差別が有れば、法律違反で罰せられるような社会の到来を待ち望んでいる。
高齢化で能力が落ちた場合は、能力の差という点からの差別は認めざるを得ない。
ただ、能力がある限り、年齢だけによる差別を最小限にとどめてほしいだけだ。
年々人間は長寿化している時代、一昔前の基準で、21世紀に生きている高齢者を、 生年月日から数えた年だけで、 能力の判断をして欲しくない。
父親時代のいわゆる高齢者と、21世紀をもう20年以上元気に生き続けている高齢者を、同じ基準で判断する事は愚かな事だと思う。
それは、自分の首を絞めるようなもの。 50代の人も21世紀の中頃には、立派な高齢者になっているだろう。
今現在30代の人が50代に入り、 愚かにも自分の無知を表明して、25年後の高齢者の気持を傷つける事がないように祈るばかりだ。
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