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合唱の問い #HNKS07


お世話になっております、配送あるあるです。

ゆるゆると毎週投稿してきましたが、ハナクソノートの投稿はだいぶ久々になってしまいました。一か月半の間、取り組んでいたインターンがつい先日終わりましたので、今までよりは少しnoteにかけれる時間が増えるのかな、と思います。嬉しいような、寂しいような。


さて、今回は春らしく、合唱曲について書いていこう、と思います。今回も素晴らしい記事になりました、たんと味わってお召し上がりください。


「合唱」と聞いて、どんなことを思い浮かべるでしょうか。合唱祭で優勝するために謎に本気で歌っていた人、卒業式で歌っている時そんなつもりなかったのに泣き始めてしまった人、歌うことがとにかく嫌いだった人。noteを利用しているユーザーの多くが社会人の方々だと思うので、合唱って単語自体久々に聞いたって人も含め、人それぞれに合唱の思い出があるんじゃないでしょうか。


「合唱」は、多くの世代が経験している数少ない、ジェネレーションギャップがない文化なんじゃないか、と思います。学校教育というシステムが150年前から変わっていない、という人がいるくらいですから、合唱は年代を問わず語ることができるテーマの1つかな、とも思っています。

そんな私は今、合唱曲の再ブームに襲われています。この歳になってから聴く合唱は、あの頃より何倍も刺さります。本気で、エモさが致死量です。今話題沸騰のエモ映画、「花束みたいな恋をした」でさえも比にならないと思います、見たことはないです。お聴きになる方は、用法用量を守って正しくお聴きすることをお勧めします。

この記事には、たくさんの桜を咲かせてみました。それだけでも、楽しんでいってください。



それでは。




合唱曲と過去


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再ブーム。

つまり私は、合唱時代とも言える中学生の頃から、合唱曲が好きだった。というのは、自分の中学校では、自分の好きな音楽をレンタルしたり買ったりして集めて、オリジナルのプレイリストをつくりCDに焼いて友達に聴かせるのが、自分の周りでは流行っていたからだ。まだサブスクリプションとかが存在しない時代に、CDに収録できる容量が大体16~18曲くらいで、それに合わせてプレイリストをつくっていた、という何とも淡い思い出がある。

それをしてた友達の一人に、かなりマセてた奴がいて、その子がつくるプレイリストがとにかく抜群にセンスが良かった。松任谷由美、Off Course、スピッツ、など中学生のチョイスとは思えないモノから、いきものがかり、GReeeeN、FUNKY MONKEY BABYS、ゆずなど当時流行っていたものまで、毎回どれもバランスよく組まれてて「こりゃすげえ」と毎回息を吞んだものだ。

そのCDのラストは、彼は大抵合唱曲に任せていた。何とも憎い演出だ、今自分たちが歌っている曲が、こんなに素敵なカタチでCDのトリを飾っているなんて。そんなん好きにならざるを得ない。彼らの生み出したプレイリストによって、自分の青春時代の音楽は形成された。その後、高校生くらいからApple musicやMusic FMをはじめ、今のようなサブスクリプションが生まれ始め、いつの間にかCDで音楽を聴かなくなっていった。

そして時が経ち、最近ふと断捨離しようと思い、部屋にあるものを整理していた。色々なモノが懐かしく、手を止めて感傷に浸ってしまいそうになるのを抑え、冷酷に捨てまくっていた時、あの時のCDの束を見つけた。


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それが合唱曲再ブームのキッカケだ。

取って置いてても、もうきっと聞かないだろうと、捨てることにはしたのだが、「最後にちょっと聞いてみるか」と最初は一枚だけ、気に入っている曲だけダウンロードしようとしたのだが、派手に失敗しました。終わりました。20枚くらいあったのですが、全部聞いてしまいました。時間返してください。

おかげで、その日の断捨離はほぼ進まず仕舞いでした。でもそれがあったから、懐かしい合唱曲を聴くことができ、合唱曲の見えていなかった魅力を知れたとも思う。学生時代がもう随分遠い過去で、合唱なんて10年も聴いていない社会人の皆さんにこそ、今改めて自分たちがかつて歌った合唱を聞いてみて欲しい。きっと今だからこそ、受け取るメッセージがあると思うからだ。


ということで、私がまんまと食らった合唱曲の素晴らしき魅力について、語っていこうと思う。瞬き厳禁。







洗練された詩


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握りしめた 決心はひとつ
静かに 遙かに 
君は空を見る
通り過ぎた 嵐の日々も
鮮やかに 高らかに エールを歌う


これは、私がとても好きな合唱曲「エール ~君の空~」という楽曲の冒頭だ。文字起こしをして、改めて「詩としての完成度の高さ」をものすごく感じる。得体の知れない奥深さのような、何を表しているのか、手に取るようにはわからない。ただ、とても達観できたような尊い気持ちになるのは、私だけだろうか。


以前から書いているように、私はHIPHOPも好きでよく聴いている。この話をすると「合唱とHIPHOP、なんてギャップのある音楽を聴くんだ」と多くの人に突っ込まれる。確かに、イメージだけでもそれぞれは、正反対に位置している音楽だとは思う。HIPHOPはアングラの色が強いし、合唱は教育的な一面もある。ただ私はそれ以上に、歌詞の持っている性質が対照的だと感じる。合唱曲の歌詞と、HIPHOPのリリックとは、歌っているものがまるで違う気がする。


そう感じる点は、2点ある。


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①文字数によるメッセージ



HIPHOPはどの音楽よりも、文字数が圧倒的に多い。エミネムの「Rap God」という曲が「もっとも単語数の多いヒット・シングル」としてギネス世界記録に認定されているくらいだ。

文字数の多さは、つまり情報量の多さであり、一曲の中にたくさんのメッセージが詰まっている。だからと言って、あれこれ言葉を継ぎ足している音楽だ、と言いたい訳ではない。一つ一つのメッセージが強い分、その間に色々な自分の中の出来事を歌詞にして重ねることで、強い言葉たちを紡ぎながらバランスを保ち、1つの音楽をつくっているような気が勝手にしている。それがより現実的な世界を映すことに繋がり、リアルという言葉がよく似合う音楽なんだろうと思う。彼らの人生のストーリーを覗いているような気分になるのは、きっとそのためだ。



それに比べると、合唱曲は文字が圧倒的に少ない。どの音楽よりも少ないような気がする。なので一曲の中で伝えられるメッセージが相対的に少なくなる。故に、伝えられるメッセージは限り無く抽象的になる。ある誰かのストーリーを覗いているのではなく、誰にでも当てはまる普遍的なものを、自分の持っている世界観の中で見せている。限られた文字数の中で何を、どこまで伝えるのか。一文字の、一つの音の価値が高いことが、合唱曲の醍醐味ではないだろうか。


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②情景描写の有無



HIPHOPはリアルな音楽であることが、マナーというか暗黙の了解で前提としている節がある。なので、多くのHIPHOPには、歌詞の中にたくさんの情景描写が散りばめられている。そこが歌い手の人間性がよく見えることに起因している気がする。

「空き缶落っこちたらタイマン ドンキのスウェット着たヤリマン
 親にバレ捨てられた大麻 金なくても笑えたみんないた」

恐らく、5W1Hの中の2つ以上を一節に使うことで、イメージを連想させやすくなっているのではないだろうか。そこに人間性が投影されているか、偽りはないか。そうやってリアルかどうかを見極めているのではないだろうか。私が感じるそれがHIPHOPの魅力である。




その点、合唱曲は情景描写がなかなか出てこない。5W1Hの内、1つしか出てこなかったり、それが何かわからなかったり。何が、どこが、どうだったのか、全然語らない。

「君の空だよ 風も雲も光も 
 真っすぐな草の葉のように 濡れた髪なびかせろ」

色々な場面が出てくるのではなく、一つの絵を近づいたり、離れたりして見ているような気分になる。恐らく一曲で、一つの世界観を表現しているのではないだろうか。

そして、そういう合唱曲しか自分が聴いてないだけかも知れないが、合唱の歌詞には、他の音楽よりも余白が多くあるように感じる。その余白を埋められるのは、きっと聴いている自分自身であり、きっとこういうことを伝えたいのだろうと、パズルのピースを自分で作るような楽しさがある。それも合唱の魅力だ。



というのが、HIPHOPと合唱曲の「歌詞の意味性」の観点における比較である。簡潔に言うと、HIPHOPの多くは「物語」であるが、合唱曲は「物語」ではない。「詩」というか「世界観そのもの」のような気がしてならない。ストーリーではないからこそ、何を言っているのか捉え切れないし、正解もない。ただ、だからこそ想像力が膨らむ。塗り絵のように、そこに何色を塗るのか自分で決めることで、曲そのものの印象が違ってくる。


合唱曲は、正しい表現かはわからないが、できる限り歌詞を削ぎ落とすことで、捉え方の可能性を膨らませている音楽ではないだろうか。だからこそ、自分の中の出来事にリンクしやすく、そういうことだったのかと、振り返れるのではないだろうか。中学を卒業し、それぞれの人生を歩み、様々な経験をしてきたからこそ、改めて自分の中心に響く音楽になる。合唱曲はもしかしたら、それぞれの人生に寄り添いながら、成長を遂げる音楽なのかも知れない。






伴奏の旋律


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自分たちがやってることは、自分の感覚の話なので、芸術じゃないですか。芸術っていうのは自分の感覚を目に見える形で出すだけじゃないですか。それの正解ってないじゃないですか。千差万別じゃないですか。でも正解ってあるんです。それは、俺の表現だとしたら、俺の考えです。俺がこう思ったことを、こうするっていうのは、絶対間違いないじゃないですか。あなたにとっては知りませんけど、俺にとってはそう思ったから。 


これはあるインタビュー記事で舐達麻のBADSAIKUSHが語った言葉だ。以前も書いた通り、私は彼らの音楽にめちゃくちゃ影響されている。そして人生における哲学も彼らから教わっている、と言っても過言ではない。



そんな彼の言葉の中に、こんな言葉がある。


「ビートが問いになって答えが自分の中から湧き出てくる」





先程まで、HIPHOPと合唱曲は「歌詞」において対照的な音楽だと述べたが、が逆に音楽の構造の観点からすれば、実は近い存在なのではないか、と感じている。


HIPHOP「ビートとラップ」、合唱曲は「伴奏と合唱」。というようにシンプルに考えれば、双方二つの要素によって音楽ほとんどが構成されている、とも言えるのではないでしょうか。その上にメロディーを乗せる。つまり、伴奏とビートはその音楽において、同じ関係性にあるのではないだろうか。

HIPHOPの場合は、ビートを聴いてそこにメロディーを乗っける、というのが主流のようだが、合唱曲の制作は、歌詞ができた後にそれに合わせた伴奏をつくる、というパターンも、もしかしたらあるのかも知れない。楽曲制作とは無縁の人生だったので、本当のところはわからないが、あくまで「合唱曲が伴奏を聴いた上でメロディーを乗せて制作している」という仮説で聞いて欲しい。



先程の言葉に戻ろう。


「ビートが問いになって答えが自分の中から湧き出てくる」


この言葉をBADSAIKUSHの言葉を借りて、私なりに解説すると


「こういうビートだったら、こういうテーマで歌詞を書く、こういうメロディーで音に乗せる。それに対する普遍的な正解はないが、自分の中ではこうっていうのが決まっている。それが自分の精神の表現であり、芸術。そこに間違いはない。」


という表現になる。いかに伴奏が重要なファクターであるか、理解してもらえただろうか。つまり、合唱における問いは、「伴奏」なのだ。中学生の時は、自分が歌うことに夢中で、伴奏なんてろくに聞いていなかった。聞いてたとしても、このタイミングで歌い始める、というタイミングを計る指標でしかなかった。

それがHIPHOPを聴いていたおかげで、改めて合唱曲を耳にした時、伴奏の旋律に震えたものだ。ピアノだけ、というシンプルさだからこそ、その繊細さ、力強さに鳥肌が立つ。そして、「制作者はこの伴奏の上に、このメロディーが正解だと思って、こういう歌詞を乗せたのか」と、いらない勘繰りをする楽しみも増えた。ちなみに「なるほどね~」と、理解することはまだできていない。



正直この点は、どの音楽にも共通して言えることだ。メロディーをサウンドが支えていながら、メロディーはサウンドから生まれた。この親子のような構図は、どの音楽からも感じられる。ただ、サウンドを構成している音の数がものすごく多いのも確かだ。バンドでも、ベースやギター、ドラムなど3つの種類の音を重ねている。YOASOBIの「夜に駆ける」で有名なボーカロイドに関して言えば、両手で数えても足りないくらいだろう。かく言うHIPHOPのビートもその例外ではない。


その点、合唱曲はピアノしかない、もはやデュエットだ。声とピアノのみの合奏だからこそ、お互いのリンクしているところが、比較的見つけやすい。伴奏が合唱を引き立たせ、同時に合唱が伴奏を問いに応え、音楽に昇華させている。その関係性が、とにかく美しいと感じる。「Less Is More」というミース・ファン・デル・ローエという建築家が残した言葉が、ここまで当てはまる音楽は、なかなか見つからないだろう。




ここで最後に、私が個人的に伴奏で意識を向けて聴いてほしいポイントを2つ挙げる。このポイントを意識したら、きっと何倍も音楽を楽しめるようになるだろう。



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①イントロ、そしてアウトロ


曲の入り方は、恐らく音楽における第一印象であり、これから始まる音楽のテーマを意識づける、超重要な部分だ。そこをどう表現しているのか、そのままのテーマで最後まで続くのか、途中で転調して期待を裏切るのか、それは制作者の気持ちひとつ。その意識をもって合唱曲を聴くと、何倍も面白いはずだ。小説の前段だけ読み、物語を決めつけてしまうあの感覚を、ぜひ音楽でもやってみてほしい。

そして、最後にここまで奏でてきた音楽をどうやって締めるのか、起承転結の結であるアウトロにも、耳を傾けてほしい。音楽におけるエピローグであるアウトロは、制作者の去り際の美学が濃く滲み出ていると思う。サラッと去るのか、別れを惜しむのか、最後までテーマを貫き通すのか。伝えたかった声にならないメッセージがアウトロには詰まっている、最後の一音が鳴り終わった後の余韻まで、実は音楽の一部なのである。


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②音と音の隙間(間)


イントロ、アウトロでもそうだが、合唱を裏で支えている部分における音の隙間に意識を向けてみてほしい。連続的に絶え間なく鍵盤を叩いている時間と、あえて音を刻んでいない時間があり、そしてそれ右手、左手によってそれぞれがバラバラに動き、重なり合っている。実は伴奏は、立体的な旋律であることに、気づけるはずだ。

どういうメロディーであるか、を注目して聴く時は、多くは奏でられている音楽を聴くものだが、あえて旋律がない部分、間の時間に意識を向けてほしい。その隙間の意味、次の音が来るまでの刹那、時が止まったかのような不思議なドキドキがあり、これがなかなかない体験になのである。







おわりに


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いかがだったでしょうか。

HIPHOPと合唱曲を同じ軸に置いて語るのは、自分にとってなかなか挑戦的なことでした。今まで他ににHIPHOPと合唱を並べて語った猛者がいるのか、とても気になります。ただ好きなモノ同士の共通点を探すのは、新しい楽しさがありました。今度暇なとき、唐揚げとラーメンの共通点でも探してみようと思います。


さて最後の最後に、個人的に「この合唱曲は聴いて欲しい」というのを、5つ集めてみました。ぜひ皆さん、インターネット、YouTubeで検索して聴いてみてください。このうち、少なくともひとつは、皆さんの琴線に触れるはずです、知りませんが。


配送あるある 合唱曲ベスト5

①地球の鼓動
②君とみた海
③エール ~君の空~
④cosmos
⑤OMNIBUS STAR ~光年の旅~


この5つが、とにかく素晴らしいです。ぜひこの順番で聴いてみてほしいです、こだわっています。オススメはお酒を呑みながら、もしくは吞んだ後にイヤホンをしてぜひ聴いてみてほしい。普段の3倍は体に響きます、本当です。改めて、お酒も十分ドラッグであると気づかされると思います。


そして、後から気づいたことですが、中学の時のオリジナルCDづくりで培われた力は、今でも自分の人生に、とてもよく働いています。その中でも曲の順番に対する重要性について、とても鋭くなりました。並べ方により印象の付け方をある程度デザインできること、「この曲の後に、この曲がくるのがいい!」という感覚、など。

今は、好きな歌をいつでもどこでも、iPhoneに任せシャッフルで聴くのが当たり前の時代になり、現在流行っている曲も画面にタッチするだけで、ダウンロードできてしまう。それはとても便利で、素晴らしいことだと思います。私は歩きながら音楽を聴くのが私はとても好きなので、Walkmanなくしてそれができる今のiPhoneには、とても感謝しているし、音楽が身近にあるおかげで、数々の場面で救われてきました。

ただ、今になって思うのは、CDをわざわざラジカセにセットし、順番通りに聴いていた頃の豊かさも、忘れたくない、ということです。CDを借りるしか音楽を聴きたい音楽を聴ける手段はなく、一曲一曲の価値(かかるコスト)が高かったあの時代の不便さは、あれはあれでよかったな、とも思います。


なので、もう少し大人になったら蓄音機を買って、レコードを集めて、酒飲みながら、一人でエモ死するのが、今の私の小さな夢です。




長くなってしまいましたが、ここで一旦辞めさせてもらいます。



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