映画レビュー(39)「万引き家族」

(2018/7/5 サイタ 講師ブログ掲載)

 話題の映画「万引き家族」を観たのでその感想を。
 この文章は完全にネタばれを含んでいますのでご注意ください。

不思議な家族

 バブル崩壊で地上げから漏れた東京下町の一軒家に不思議な家族が暮らしている。日雇い仕事の父・柴田治とクリーニング工場で働く妻。信代、息子・祥太、JK風俗で働く信代の妹・亜紀、そして家主の祖母・初枝の五人だ。
 ある冬の夜、治は近所の団地の廊下で震えている幼女・ゆりを連れ帰ってしまう。家の中から母親らしき女の「生みたくて生んだんじゃない!」と言い争う声と、殴打の音が聞こえてきたからだ。
 実は息子の祥太も同様にして信代が拾ってきた子だとわかるってくる。
 この家族は、全員が赤の他人の「偽家族」なのだ。
 初枝の年金と家を頼りに、治と信代のカップル、初枝と血のつながらない孫の亜紀。彼らの収入源は治と祥太の万引きである。
 偽家族でも暖かい家族。実の家族でも暴力の絶えないゆりの家族との対比が皮肉である。

やさしさの理由

 なぜこれほどお互いが優しいのか? それは、全員が「偽」家族であるという負い目を感じているからである。子供を産めない信代、父親として息子に教えてやれることが万引きの技術しかない治。大人全員がポンコツなのだ。ポンコツだからこそ他者にやさしくなれるという人間の滑稽さ。
 この家族が引きさかれるきっかけは、祥太だ。万引きを黙って見逃していた駄菓子屋の老人が、幼い妹に万引きを教える祥太に、「妹にはやらせんな」とポツリと言う。
 一方、治は万引きだけでなく「車上荒らし」にまで手を染めるようになる。息子の対する「父さんすごいだろう」という気持ちが、こういう形でしか示せないポンコツの哀れさよ。
 ラスト近く、警察に捕まり、離れて暮らすことになった治が、ようやく「父ちゃん」と呼んでくれるようになった祥太に「父ちゃん、おじさんにもどるよ」というシーンにじわりとくる。

「万引き」の意味

「万引き家族」は万引きをする家族の話だが、同時に家族の愛情や絆まで万引きしてしまった淋しい大人たちの物語である。
 背景やきっかけは「貧困」であるが、これは貧困社会を声高に告発する物語ではなく、「家族の絆とはなんだろう」「優しさってなんだろう」と語りかける物語である。
 私は、ポンコツな大人の気弱なやさしさと、そうではない大人たちの自信満々な傲慢さを比較してしまう。

残念な評論ほど声高

 感動的な映画だが、この映画を「貧困社会を野放しにする与党政治に対する告発である」としか賞賛できない評論を読んで残念感でいっぱいだ。
 そんなレベルで思考停止してプロの映画評論家なのかよと。

 この「万引き家族」を国辱的と言って叩いている右翼たちと、ちょうど同時期に、RADWINPSの「HINOMARU」が右翼的だと言って叩いている左翼がいる。
 図らずも、バカは右にも左にもいるのだと世間に示す形になっている。同時期に起きてよかったのかもしれない。
「万引き家族」
(2023/12/4 追記)
この気持ちは今も変わっていない。いやしくもプロの映画評論家なら、表面的なシーンやセリフで思考停止せずに、掘り下げて見せてくれよと思う。
そう感じたのは、この作品が最初だった。
その後、「哭声/コクソン」でもそういった思考停止の評を散見して残念感を持った。「悪魔は何故、日本人の姿を借りたか」という深化ができない凡庸な「日本人を悪魔化した」という印象で停止した感想。
監督や脚本家が、意識できずに表せなかった場合もある。その無意識の裏から「内在するテーマ」を見出すことこそ評論家の仕事だろうと思うのだ。


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