「空気」に左右される決定に不安

 新型コロナウィルス感染者の減少傾向を受けて、政府は緊急事態宣言をいつ解除するかタイミングをうかがっている。ただ政府としては明確な解除の基準を示していない。そこに多くの国民は不安と不満を抱いている。

 解除するかどうか、自粛を緩和するかどうかの判断に少なからず影響するのは世の中の「空気」だろう。「これ以上自粛が続いたら店の経営が持たない」とか、「自粛疲れで人びとのがまんはもう限界だ」という声が支配的になったら解除や自粛緩和に向かうだろうし、逆に「解除はまだ早い」「危険だ」という声が強ければ解除・緩和は遅れる可能性がある。

 プロ野球やJリーグの開幕や夏の高校野球開催の可否なども、結局は世間の「空気」で決まるだろう。「空気」に逆らってでも開幕や開催を断行するリーダーがいるとは思えない。

 山本七平がつとに指摘しているとおり、「空気」が重要な決定を左右するのは日本社会の特徴である。会社など組織の意思決定も、大相撲の大関・横綱昇進も「空気」で決まる部分が大きい。

 「空気」で決まるのはあながち非合理とは言い切れない。なぜなら、そこには市場原理と同じように不特定多数の考えが集約されているからである。

 問題は、その「空気」が特定の人や組織によって意図的につくられたり、変えられたりして、いわゆる「サイレントマジョリティ」の考えとかけ離れたものになり、また一つの「空気」が少数意見を抑圧してしまう危険性があることである。とくに現在はSNSなどで特定の人による発信がネット社会で話題を呼び、それをテレビのワイドショーなどで取りあげられると、一気に世の中の「空気」を変える場合が少なくない。巧妙に計画すれば意図的に「空気」をつくって世の中を動かすこともできるのだ。

 それを考えたら、「空気」を大事にし、空気に寄りかかる日本のシステムは重大な危機を迎えているといえよう。少なくとも濃厚な「空気」を入れ替えるシステムを取り入れる必要がありそうだ。



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「個人」の視点から組織、社会などについて感じたことを記しています。