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ゴッホの《ひまわり》を観て、想像以上に「見に来て良かった」と感じました @SOMPO美術館

ビンセント・ファン・ゴッホの《ひまわり》を、新宿のSOMPO美術館で、観てきました。行く数日前に予定が空いて「あらっ……行けるな……」と思って、急遽行くことにしたのですが、正直、出不精のわたしが新宿まで行った動機としては「有名な絵だから、一度は見ておこう」くらいの軽い気持ちでした。

ネットで調べた限りは《ひまわり》は常設されているため、同館へ行けばいつでも見られるようです……あくまでネットづての情報です。ただし現在は、『ゴッホと静物画ー伝統から革新へ』が開催されています。学芸員さんの話によれば、いつもはケースの中に入れられているのが、今回の展覧会では、そのケースから外して展示している……ということでした。


■やっぱり《ひまわり》は特別

《ひまわり》は、展覧会の最後の部屋に展示されているのですが、おおげさに言えば……神々しいですね。

これからはケース無しで展示し続けるのか分かりませんが、やはりケースがあるのとないのとでは、見え方が全く異なりますよね……えぇ、美術初心者のわたしでも、全く異なることがひと目で分かるくらいに違います。この機を逃してはもったいないと思い、何度か作品の前に立ってみました。

《ひまわり》に限りませんが、ビンセント・ファン・ゴッホの作品を見ていたら、「本物を見る価値」みたいなことについて改めて考えてしまいました。今は、気軽に高精細な画像を、スマートフォンでも見られる時代です。例えば、Wikipediaにあるロンドンのナショナル・ギャラリー所蔵の《ひまわり》であれば、3,349×4,226ピクセルの画像データです。これで十分なんじゃないか……とも。

フィンセント・ファン・ゴッホ - National Gallery (NG3863), London(Wikipedia)
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でもやっぱり本物は違うんですよね。誰にとっても別物……とまでは言い切れませんが、特に美術を知らないわたしにとっては、別物です。ゴッホ以外の作品もですが、わたしが作品を見ているのと同じ距離で、作者が作品の前に座って、筆を動かしていたんだよなと感じられるだけでもすごい違いだなと。この一筆を入れた時には、ゴッホは何を思っていたんだろう? なぜこの部分を同じ色で重ねて、しかも絵の具をこんもりと盛ったんだろう? とか。最後のひと筆は、どの部分だっただろう? とか。この絵を描きながら「描き終わったら耳を切ろう」と決心したんだろうか? とか。色んなことが頭の中を駆け巡ります。

そういうエモーショナルな部分だけでなく、本物を目の前にすると、わたしの場合は、作品の前で体が動き出します。ほかの作品から《ひまわり》へ近づいていき、はじめは引きで見て……また少しずつ近づいていき、正面に立つ。それから作品の右や左から斜めに見て……あっ、この角度が一番キレイに見られるなぁ……とか……少し下から見上げるように見ると、また光の当たり具合が変わって、違って見えるなぁ……とか……色々と体が動くんですよね。スマートフォンやパソコンの画面に、どれだけ高精細な画像データを映しても、せいぜい顔と画面の距離を変えるくらいです。画面を斜めから見ても、たいして印象は変わりません。けっきょく画像データは、真正面から見た時のデータでしかないからでしょうね。

■他にもファン・ゴッホの静物画がたくさんあります

《ひまわり》の話が長くなりましたが、今展の目玉は、SOMPO蔵の《ひまわり》の2年後(1890)に描かれた《アイリス》……菖蒲アヤメです。こちらも素晴らしい作品だったと思うのですが……どうしても《ひまわり》に気がとられてしまい……わたしのような初心者には、《ひまわり》の隣ではなく、《アイリス》だけポツンとほかの場所に展示してもらった方が、じっくりと見入っただろうなぁと思いました。《ひまわり》の引力が強すぎて……。

その近くにあったのが、《結実期のひまわり》。この「結実期」の意味が、ゴッホの作風の結実期なのか、描かれたひまわりの実が結実期なのかよく分かりませんでしたが、どうやら後者のようです。出品作品を含めて、同じような構図のひまわりは、4点描かれているそうです。そのなかで、最も素早いタッチで描かれた同品が、最もはじめに描かれたのでは? と推測されているそうです。ただし、グチャッとした感じなので、「ひまわり」と聞かなければ何が描かれているのかは分かりませんでした。それでも、ゴッホ作ということだからなのか、なにか興味をそそられる作品で、ずっと見入ってしまいました……人気はなかったような気がします。

《結実期のひまわり》1887年8月~9月/ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)
《結実期のひまわり》1887年8月~9月/ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)

これも「ひまわりの部屋」ともいうべき、最後の展示室に飾られていました。東京国立博物館だと、縦に細長い作品も珍しくありませんが、今回の展覧会では「おっ、細長いな」と思うほどで、ほかには見当たりませんでした。

《花瓶の花》ハーグ美術館蔵

個人的には、引いて全体を見ると、いまいちだなぁという感じでしたが、近づいてみると、やはりゴッホの筆致がよく感じられて、とてもよかったです。

《花瓶の花》ハーグ美術館蔵

「へぇ……ゴッホって、こういう絵も描いていたんだぁ〜」と思ったのが下の《野牡丹とばらのある静物》。おもしろいのが、こんなに美しい花が描かれているのに、この絵の下には、2人の格闘家(レスラー)の絵が描かれているそうです(むかしは絵の上に上書きすることがよくあったそうです)。

フィンセント・ファン・ゴッホ《野牡丹とばらのある静物》1887年(34歳)
クレラーミュラー美術館 オッテルロー
フィンセント・ファン・ゴッホ《野牡丹とばらのある静物》1887年(34歳)
クレラーミュラー美術館 オッテルロー

当たり前ですが、じっくりと探しても、格闘家の痕跡は見つけられませんでした。どんな絵だったのか、ゴッホが、どんな風に格闘家を描いたのか、見てみたいですよね?

調べてみたら、すぐに出てきました。「これって本当にゴッホが描いたの?」という疑問は、専門家も抱いたそうです。それでも1974年に、クレラーミュラー美術館が購入。最近になってX線調査をすると……前述した2人の格闘家の絵が現れました。けっこう写実的に、2人が格闘している姿が描かれていたんですねぇ……おどろきです。

そのことによって、「ゴッホが描いたのだろう」という確信が高まります。というのも、1886年1月、ゴッホは弟のテオ宛の手紙に「今週、2つの裸の胴体を持つ大きなもの……つまり2人のレスリング選手を描きました 。そして私はレスラーを描くのが本当に好きです」と、記しているからです。とはいえ、必ずしもテオ宛の手紙で記した「レスラーの絵」が、今回展示されている《野牡丹とばらのある静物》の下に描かれたものとは言い切れません。それ以外にも、2012年にアントワープ大学やゴッホ美術館などとの共同研究によって、ファン・ゴッホが使用した絵の具だと確認されたそうです。

詳細は所蔵先のクレラーミュラー美術館の公式サイトに記されています>>>The Kröller-Müller Museum

フィンセント・ファン・ゴッホ《野牡丹とばらのある静物》1887年(34歳)
クレラーミュラー美術館 オッテルロー
《青い花瓶にいけた花(Flowers in a Blue Vase)》1887年6月頃(34歳)
クレラー=ミュラー美術館、 オッテルロー
《青い花瓶にいけた花(Flowers in a Blue Vase)》1887年6月頃(34歳)
クレラー=ミュラー美術館、 オッテルロー
《青い花瓶にいけた花(Flowers in a Blue Vase)》1887年6月頃(34歳)
クレラー=ミュラー美術館、 オッテルロー
《ばらとシャクヤク(Roses and Peonies)》1886年6月(33歳)
クレラー=ミュラー美術館、オッテルロー
《ばらとシャクヤク(Roses and Peonies)》1886年6月
クレラー=ミュラー美術館、オッテルロー
《カーネーションをいけた花瓶(Vase with Carnations)》1886年(33歳)
アムステルダム市立美術館
《カーネーションをいけた花瓶(Vase with Carnations)》1886年(33歳)
アムステルダム市立美術館
《麦わら帽のある静物(Still Life with Straw Hat)》1881年11月下旬~12月中旬(28歳)
クレラーミュラー美術館、オッテルロー
《髑髏(Skull)》1887年5月(34歳)
ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)

■その他にマネやルノワールの花の絵も

ゴッホやモネなどよりも早い1832年に生まれ、「理想化された主題や造形を追求するアカデミズム絵画とは一線を画し、近代パリの都市生活を、はっきりした輪郭や平面的な色面を用いながら描いた(Wikipediaより)」、モネの作品も展示されていました。これがモネ先輩かぁと。

エドゥアール・マネ《白いシャクヤクとその他の花のある静物》1880年頃
ポイマンス・ファン・ブーニンヘン美術館、ロッテルダム

この絵に至るまでに、その“アカデミズム絵画”の影響が色濃いのだろう作品をいくつか見ましたが……まぁそれはそれで良いとして、やはりマネさんの絵は違うよね……と思わせてくれるものでした。

これは最近、原田マハさんの『モネのあしあと』(幻冬舎)に書いてあったことですが……「アカデミーの画家たちのあいだでは、絵筆の筆跡を残さないことが暗黙のルールでした」……。ゴッホは、その点でより顕著ですが、マネ先輩も、絵の具をいっぱい使って、これでもかというくらいに筆致が分かりやすいですよね。

今回は解説パネルを読まずに展覧会を巡ったのですが、いま撮ってきた解説パネルを読むと、ゴッホは「マネのように『筆致の変化だけで筆の働きをみせるために努力している』と語っている」とあります。けっこう有名な話なのでしょうね。

エドゥアール・マネ《白いシャクヤクとその他の花のある静物》1880年頃
ポイマンス・ファン・ブーニンヘン美術館、ロッテルダム

1832年生まれのエドゥアール・マネが、改革派の第1世代だとするなら、モネ(1840年)やルノワール(1841年)などの印象派が第2世代で、1853年生まれのゴッホが第3世代と言ったところでしょうか。その第2世代の、ピエール=オーギュスト・ルノワールが描いた花……ばら……も展示されていました。

ピエール=オーギュスト・ルノワール《ばら》製作年不明
国立西洋美術館(山本美子氏より)

この作品はルノワールの中でも特異なのかもしれませんが、「もう花瓶なんて描かないよぉ」と言った感じでしょうか。もともと花瓶にいけてあったわけではなく、花だけがテーブルかなにかに置いてあったのか……それは分かりませんが、きれいなところ、花というエッセンスだけを切り取って描いています。また構図として、不自然にキレイに花が並べられているわけではなく、無造作というか自然な配置を感じられます。

ピエール=オーギュスト・ルノワール《ばら》製作年不明
国立西洋美術館(山本美子氏より)

イサーク・イスラエルス(1865年生まれ)というオランダ人の画家を、わたしは初めて知りましたが、この《「ひまわり」の横で本を読む女性》は、展覧会でも、《ひまわり》の隣に架けられていました(厳密には《ひまわり》の隣の《アイリス》の隣)。

イサーク・イスラエルス《「ひまわり」の横で本を読む女性》1915~20年
ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム

解説によれば「ゴッホの弟テオの妻ヨハンナからゴッホの《ひまわり》を借り受けて、自作に描きこんだ」とあります。Wikipediaには、この作品とは異なりますが、《ひまわり》の前に同じモデルの女性が裸で立っている絵が見られます。この、リスペクトしている人の作品を、自分の絵の中に取り込むっていうのは、トレンドだったのか、なにか意味が込められていたんでしょうかね……。

イサーク・イスラエルス《「ひまわり」の横で本を読む女性》1915~20年
ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム

そして展覧会の最終コーナーでは、とてもモダンな作品……だから著作権が切れていないのか撮影禁止の作品が、いくつか展示されていました。それらもゴッホの影響が感じられる……というものなのだと思います。

その最終コーナーの中で唯一……だったと思うのですが、撮影可だったのが、ヘンドリク・ニコラス・ウェルクマンの《ひまわりのある静物(Still-life with Sunflowers)》です。

ヘンドリク・ニコラス・ウェルクマン《ひまわりのある静物》1921年
アムステルダム市立美術館

色彩が少し暗いですけど……ゴッホというよりもマティスな感じがしますね。ただし、構図としては花瓶にいけられたひまわりが真ん中にドーン! とある感じがゴッホなのでしょうか。このノッペリとした感じが、モダンというか琳派というか……そんな感じですね。

ヘンドリク・ニコラス・ウェルクマン《ひまわりのある静物》1921年
アムステルダム市立美術館
ヘンドリク・ニコラス・ウェルクマン《ひまわりのある静物》1921年
アムステルダム市立美術館

■一部作品を除いて撮影可でSNSへのアップも可能

SOMPO美術館では、同館所蔵の作品を撮影してSNS等でシェアするのを許可しています。すばらしいです。

ただし、作品を入れての記念撮影は「ご遠慮ください」としています。撮っても良いけど、他の方の迷惑になるようなこと……作品鑑賞をするわけでもないのに、いつまでも作品の前にいること……をしないでくださいね、ということでしょう。

こうした撮影OKの美術館や博物館が増えるのはうれしいです。

ということで、忘れずにハッシュタグを付けたいと思います。

#ゴッホと静物画 #SOMPO 美術館  #vangoghandstillife #sompomuseum

席が少ないですけど、光がめいっぱい入ってきて、気持ちのよいカフェもありました。良い美術館だなぁと思いました。また来たいと思います。


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