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葛飾北斎の弟子・魚屋北渓と、シーボルトに雇われた絵師のことなど……

このまえ正月を迎えたと思ったら、もう1年の12分の1が過ぎ去ってしまいました。時間が経つのは怖ろしくはやいものです。

さて……1月の東京国立博物館(トーハク)の浮世絵の部屋には、正月らしい縁起の良い作品が並んでいます(2月4日まで)。その中に葛飾北斎の弟子である、昇亭北寿さんと魚屋北渓さんの作品が展示されていました。ほかにも二代・葛飾戴斗もありますが……まぁ今回は魚屋北渓さんについて語りたいんです。


■葛飾北斎の弟子・魚屋北渓

《三升福禄壽・布袋》魚屋北溪(1780~1850)筆|江戸時代・19世紀
色紙判摺物
A- 10569-6119

魚屋北溪は、解説パネルによれば1780年に生まれて、幕末の1850年に亡くなりました。たいてい「さかなや ほっけい」と読んでしまいますが、正確には「ととや ほっけい」です。これは、彼がもとは魚商を営んでいたことから魚屋と号したといいます。最初は狩野養川院(惟信)に学び……とサラッと記されていますけど……江戸城や京都御所の仕事もする奥絵師の木挽町狩野家の当主ですよ……魚屋さんでも弟子入りできたんですね。

その後に「葛飾北斎に師事して浮世絵を学びました。版本挿絵、肉筆画、錦絵のほか、注文制作である狂歌摺物も多く手がけています」とあります。

この北溪さんなのですが、日本各地の博物館はもちろんなのですが、大英博物館やボストン美術館などにも所蔵されています。いまサラッと調べてみたら、「この人って、すんごく絵が上手だなぁ」と思わせる作品がありました。

《武蔵隅田川 (Sumida River in Musashi)》諸国名所図会 1800s-1820s
大英博物館

こちらは伝統的な浮世絵という感じですね。画像データで見ただけでも、すばらしいなと感じさせるので、ぜひ実物をみたいなと思います。彫った人も刷った人も、良い仕事をしているのではないでしょうか。

タイトル無し
大英博物館所蔵

いずれも本を読む人を描いた3枚の画像の1枚。画帳から切り取られたものだろうと解説にあります。ちなみに他2枚は寝転がりながら読書する男性を描いたもの。どれも好きなテイストですが、女性を描いたしなやかな線が良いなと思ったので、こちらをピックアップしました。(全部書き終わって見直してみたら、なんか鯉を真上から見ているような曲線ですね)

先日アップされた山田五郎さんの『大人の教養講座』で、「広告代理店画家ホガース」を取り上げた回がありました。そこで、ホガースという画家が考えた「The Line of Beauty(美の曲線)」について語られていました。魚屋北渓の上の女性の絵を見たときに、その美の曲線というのを真っ先に思い出しました。

大英博物館
文政年間(1818-30)の初期、1820年頃と推定

大英博物館の解説によれば、「北渓は、絵の具の技術だけでなく、想像力でも師匠に匹敵します」と絶賛しています。画題については「女性はほぼ確実に花魁で、息子の行動に驚かされ、紙のナプキンを落としてしまいました」とあります。子供は手に持った鏡の中に「の」と記しています。署名は「葵岡北渓」で、印は「京斎」です。

以上は、まぁ浮世絵師の作品だよね……という感じがしますよね。なんの疑いもありません。わたしが、そうした絵を選んだから当然です。ただ、魚屋北渓の作品と言われるものの中には「え? これも?」という作品があるんです。

それはオランダの、浮世絵コレクションが著名な「オランダ国立民族学博物館(ライデン美術館)」にありました。それが下の《De avondkoelte aan de oever van de Sumidagawa(隅田川の岸辺の夕涼み)》というもの。※タイトルはAIに翻訳してもらったものを少し変更しています(以下同)

《De avondkoelte aan de oever van de Sumidagawa(隅田川の岸辺の夕涼み)》
魚屋北渓(署名は無し)
1826年
https://collectie.wereldmuseum.nl/

画題は日本っぽいですけど、西洋画のように陰影が強調されていて……不遜な言い方になるかもしれませんが、画像生成AIのAdobe Fireflyで「浮世絵を描いてみて  #江戸時代 #親子」みたいなプロンプト(指示)をしたら、こんな絵になるんじゃないか? なんて思ってしまいました。

《Het shichigosan festival bij Nihonzutsum(日本堤の七五三祭り)》
魚屋北渓(署名は無し)
1826年
https://collectie.wereldmuseum.nl/

上の写真も、署名はありませんが、魚屋北渓の作品とされています。服にある陰影表現もですが、かなり強調された遠近法が、こなれていない感じがします。特に絵の右下に描かれた4人の大小関係がイケていませんね…。ただ「日本堤の七五三祭り」という画題が、いかにも日本という感じですね。

■水彩画っぽい葛飾北斎の作品

実は先日、テレビ番組で「博士ちゃん」がライデン博物館などを訪ねて、北斎の画だと言われているものを見ていたんですよね。それを思い出して、ライデン博物館で、葛飾北斎や魚屋北渓などを検索してみたんです。

しっかりと「署名はないけど葛飾北斎」の作品だとするものが何点か掲載されていました。その博士ちゃんのテレビ番組で紹介されていたのは、下の《商人の一家、桜の花見パーティーに向かう》という作品。テレビ番組を見ながら「いや、それは北斎じゃないでしょ」と瞬時にツッコミましたけどね。

《Koopmansfamilie onderweg naar het kersenbloesemfeest.(商人の一家、桜の花見パーティーに向かう)》
1824-1826
ライデン博物館

解説には、「桜の花見に向かっている商人の家族。使用人がピクニックのための荷物を運んでいます。荷物は一部、風呂敷に包まれています」とあります。ありそうな画題だなと思いつつも、こんな浮世絵を見たことがないなとも思います。

というか、サイトを見ても「制作者:葛飾北斎」と明記はされていませんでした(葛飾北斎が描いたっぽい感じのスタンスでしたけどね)。もしかすると論文などには書かれているのかもしれません。以下の作品については「署名は無いが葛飾北斎作」と記されていました。

《Boeren overvallen door een plotselinge regenbui(突然の雨に襲われた農民たち)》
署名は無いが葛飾北斎
ライデン博物館

上の写真については、まぁ葛飾北斎が描いたとしましょうか……でも、農家の人たちが突然の雨で、こんなにてんやわんやになりますかね? 水木しげるの劇画タッチの原画みたいな雰囲気です。

《Rijstvelden in de regen(稲田の中を雨が降る)》
葛飾北斎(署名無し) 1818-1830
ライデン博物館

かなり眉唾だな……なんて思っていますが、テレビ番組に出演していた同博物館の学芸員さんは、次のようなことを言っていました。

当時の日本は鎖国をしていて、こうした絵を輸出するのは禁止されていた。そこでこっそりと葛飾北斎に、落款を押していない作品を発注。ライデン博物館に所蔵されている葛飾北斎の作と言われているものの中には、シーボルトが発注して、持ち帰ってきたものもある。

以上は記憶によるものなのですが、下の作品の解説には、そのあたりの事情も含めて、かなり詳細が記されていました。

《Een paraderende courtisane. (歩行する遊女)》
ライデン博物館
《Een paraderende courtisane. (歩行する遊女)》
ライデン博物館

解説部分を翻訳すると、作品名は「歩行する遊女」のようです。

そして「北斎の生涯において、まだ完全に解明されていないエピソードの一つは、(長崎)出島の'kapitan'または出島の'オッパーフーフ'と呼ばれる役職の者が江戸への宮廷訪問中に北斎に対して注文した二つの絵画に関連しています」としています。

この「カピタン」とは、オランダ商館の最高責任者(商館長)のことで、ゲイスベルト・ヘンミイ(Gijsbert Hemmij)さんのことを言っています。このヘンミイさんと、さらに出島の医師とが一緒に計4枚の絵を北斎に注文しました。ただし医師は、北斎(の代理人?)から提示された金額を払えないとして引き下がります。そこでヘンミイさんが4枚分を支払って、所蔵者となったそうです。ただしヘンミイさんは、2度目の江戸城訪問の長崎への帰り道……1798年……東海道の掛川で客死し、そのまま城下の天然寺に葬られました(墓は現存)。51歳でした。そしてヘンミイさんが購入した北斎の作品4枚が、どこにあるのかがわからなくなった=ミステリーだと言います。

そして、西洋で初めてこの出来事を紹介したエドモン・ド・ゴンクールさんによれば、「北斎はオランダ東インド会社のために多くのデッサンを売り続けました」とのことです。

これはちょっと驚きです。わたしは、浮世絵というのは日本が幕末に開国した以降に、西欧に知られるようになったと思い込んでいたからです。ただ、上の話が本当であれば、鎖国時代にも、北斎の絵が西欧に流れていたことになります。

■シーボルトと川原慶賀

さらに解説では、上の作品《Een paraderende courtisane. (歩行する遊女)》について、「フィリップ・フランツ・フォン・ジーボルトは1826年の江戸への旅行中、直接または同行した画家の河原(川原)慶賀を通じて北斎に注文」したとしています。

この川原慶賀さんなんですけど、植物をはじめ、日本の(エロくない意味の)風俗や、景色や情景を精力的に描いています。

ゼニアオイ
葉はともかく、花びらが現在のゼニアオイとは少し異なるような気もします。

この川原慶賀さんという方が、けっこう謎な人です。まず先述したとおり、描いているジャンルが多いです。植物がも多いし、景色や情景も多いし、農具や大工道具なども数多く描いています。その多くはシーボルトの指示によるものなのかもしれませんが……日本人を描いている絵などが、どうも日本人が描いたものとは思えないような……。

右から『痩せ女』『百姓の妻』『流し?』
ライデン博物館蔵
ライデン博物館蔵
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なんでしょうね……1番は色使いとか陰影の付け方に違和感を感じるのですが、まぁ川原さんはシーボルトに雇われたくらいなので、洋画を学んだでしょうから、洋画っぽさは差し引いて考えないといけませんね。でもそれ以外にも、なんかなぁ……家の屋根の角度かなぁ……目つきとか鼻筋とかかなぁ……。

今回のnoteで、何を記したかったのか忘れましたが……まぁ幕末には、洋画っぽい書き方や絵筆や絵の具を使う人もいたのだろうなぁと。老中の松平定信も、絵師に洋画を学ばせたりしていましたからね。そう考えると……葛飾北斎が洋画の遠近法や陰影なんかを取り入れた、洋画っぽい絵を描いていた……模索していたとしても、不思議ではないかなと。たしか青色の絵の具って、西洋から取り寄せていたものを使っていたと聞いたことがあった気がしますし。

そうそう、とにかく魚屋北渓さんの、良い作品を、トーハクにもコレクションに加えて欲しいなと思いました。


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