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【発達障害】中学校に入ってみたら居場所がなかった


                        読了目安:10分

2024年1月13日 誤字修正 文章一部加筆しました

限界突破のち沈没 小学6年生


長男は小学5年生、小学6年生の2年連続
2学期の後半から学校に行けなくなりました。

卒業式も出席していません。

4月はいつも、
新しい支援級の担任 
新しい環境に適応しようと頑張るものの
無理は続かず 失速

対人トラブルや
支援級、交流学級の教師との関係悪化など
状況が悪化した結果、力尽きるように
朝、起きることができなくなる‥という状況に
2年連続追い込まれてしまいました。

苦しむ様子は
見てて苦しかった

一番苦しかったのは
もちろん 当事者である長男本人

限界状態でした

そんな中で迎えた小学6年生

中学のことを考えなくては
ならない時期になります。

いざ就学相談!


小学6年の夏
発達障害児とその親に巡ってくる
意思表示の日・・・

【就学相談】!!

その日がやってきました。

就学相談とは

初等教育(小学校)へあがる前年度に、障害のある子どもや発達が気になる子どものいる家庭は、通常学級、通級(通級指導教室)、特別支援学級、特別支援学校などの選択肢の中からどこへ進学するかを選択する機会があります。
就学相談とは、子どもの就学先を決めるための保護者、児童、教育委員会の間の話し合いと、その決定までのプロセスを指します。

LITALICO発達ナビ 就学相談とは?通常級・通級・特別支援学級・特別支援学校について

この面談で、
中学であれば基本3年間の
支援級在籍が決まります。

日々、サバイバルな発達っ子ライフを
子供と共に過ごしている保護者としては

「長男の困り感満載の日常を
たかだか1時間程度 ちょっと聞いて
分かったような顔されて判断されるなんて
納得いかないんじゃぁぁ(怒)」

という心の叫びが抑えきれません。

ですが、
支援級在籍が認められないと、
彼は中学校で生活を送ることは ほぼ絶望的。
集団の中に放り込まれ
一斉指導を受けるのは、
彼にとって虐待レベルで
苦痛を伴うことなのです。


小学校の実績があるので、
支援級在籍は恐らく認めてもらえるのでは
ないかと思うのですが
定員の関係で、隣の中学校の支援級へ、
という結果になる可能性もあります。

認めてもらいたい——
最寄りの中学校での支援級在籍。

社運をかけたプレゼンの気分。

登校できるか分からないけど、
まずは支援級という居場所を確保したい。

意気込むのには理由があります。

——よみがえる6年前の記憶

そう 6年前
小学校入学前の就学相談のことです。


小学校入学前 就学相談

小学校入学前 就学相談は、
多くの親御さんにとって
年長さんの夏〜初秋のビッグイベント 

支援学校、支援学級、通級指導‥‥
 どうする?
 見学行った?
 連絡来た? などなど
悲喜交々もあるかと思います。

私も悩んで、
通園していた療育施設の先生に相談したり
療育の同級生のお友達はどうするのか、
情報収集してました。

ただ、この時の私は まだどこかで、
長男の特性を軽く見ていました。

また、周囲に情報収集するなかで
「定員枠があまりないので
希望してもなかなか支援級は入れないらしいよ」
という 風に乗って流れてきた噂を
自分に都合よく解釈して
「なかなか入れないらしいし、
長男はまだ通常級で様子をみてみようかな」
と判断してしまいました。

また、入学予定の最寄りの市立小学校に
特別支援級が無かったことも
支援級を選択しなかった理由の一つにあげられます。
支援級のある小学校まで、
毎日送り迎えする負担に
ためらいを感じてしまったのです。

ただ、この時、一抹の不安を感じていたので
就学相談は受けて、
結果、市立小学校の通常級に入学しました。

小学校入学直後から
通常級で数々の問題行動を指摘された長男。

本人の学校に対する不安が強く
付き添い登校で、何とか登校させて
1時間目が始まるまで 私が廊下で見守り
そっと帰ってくる・・・
そんなやり方で 1年生の間は
何とかだましだまし登校していました。

このころから学習障害も徐々に明らかに。
足し算引き算でつまづき始めていました。

小学校2年生になると
担任や環境が全く合わず 他害行動がエスカレート。

毎日のように
学校から電話がかかってくるようになりました。

混乱した私たち親子に
手を差し伸べてくれたのが校長先生でした。
当時、小学校に支援級がないことを
校長先生も懸念されていたらしく、
長男の数々のトラブルを把握し、見かねて
校長室に登校することを提案してくれたのです。

まさに「地獄に仏」

学校に「校長室」という居場所ができたのです。

この校長先生のご尽力で
翌年から特別支援級が設置され
長男は小学3年から
情緒特別支援学級「みずいろ学級」(仮名)に在籍することに。

更に、この校長先生の推薦される
特別支援教育に造詣の深い若い男性教師が
「みずいろ学級」の担任に着任され
長男は、毎日元気に登校するようになったのです。

「問題行動」と他の先生方が表現する他害行動なども
嘘のように収まり、
小学3年、4年の間は
落ち着いて楽しい生活を送ることができました。


この経験から私たち親子は

長男にとって 特別支援級在籍はマスト
特別支援級は彼の居場所

と感じるようになったのです。


自分の言葉で 自分の特性を語る

話は小学6年の夏に戻ります。

私と息子は、
中学進学に向けての就学相談のため 
指定された日時に市の教育機関に出向き、面談を受けました。
当市では、親と子供、それぞれに
一人ずつ担当者がついて、親子は別々に面談を受けるスタイルでした。

そこで私は
「中学も特別支援学級 在籍希望です!」と
身を乗り出して(笑)訴えました。


面談後、親子一緒の場所で
改めて担当の方が 長男に
「どうして特別支援級で勉強したいのですか?」
と尋ねました。

長男は
「僕は騒がしいところは苦手です。
交流学級は騒がしくて落ち着かない。
僕は中学校でも、
今いる「みずいろ学級」みたいなところで
勉強したいです」と
はっきりと自分の言葉で答えたのです。

私は驚いてしまいました。

担当の方は大きくうなずき
「分かりました。結果はまたお知らせしますね」と
おっしゃっていただき、就学相談は終了しました。

とりあえず安堵

よかった
私たち親子の困り感は
分かってもらえたみたい。

そして、長男の発言に私が驚いた理由。
それは特別支援級に対する
長男の気持ちが聞けたから。

当時、「バカだ」「キ〇ガイだ」というような表現で
支援級に在籍する自分を
卑下することがあったのです。

その彼が、小6にしてしっかり自分の特性を語り
そこから意思決定をして、大人に伝えることができる———

この長男の成長しつつある様子に
私はとても励まされました。

この就学相談の前後から
長男の学校での行動を
 長男本人も
 親である私も
支援級の担任に繰り返し指摘され、

長男も
私自身も
メンタルに変調を来たし始め——

そして6年生の秋の修学旅行の後、
力尽きた長男は、
再び学校に行けなくなりました。


居場所はない

就学相談の結果が正式に来たのは
3学期になってからでした。

希望通り 最寄りの中学の支援級に
進学することが決まりました。

この頃
どん底で引きこもりの長男
週1回の絵画教室だけは
進んで行くのが救い、という状況。

とにかく春から
中学校に入ってから

彼の居場所である支援級で
困り感を把握してもらい
適切な支援のもと
学校生活を送れれば‥‥

この一心で 私は行動しました。

 中学校に支援級の見学を申し込み

 3歳から通う療育施設の心理士に
 中学校への情報提供について相談

この時のアセスメント結果を
本人にも説明し
入学前に【障害告知】をしたい、と
心理士の先生と相談を重ねました。
(情報提供と障害告知の話はまた別記事で!)

中学校の支援級の見学は
中学校に電話しても
小学校を通して欲しいと教頭先生に言われ
関係悪化している小学校支援級の担任に
連絡を入れ、ようやく中学校へ問い合わせ。

もう、なんか、出だしから嫌な予感‥‥

小学校の担任からは
「中学の支援級担当は女性の先生。
 長男くんの現在の状況も伝えています」
と聞いていました。

約束の見学日時
中学校に行ってみると
女性の先生ではなく
おじいちゃん?定年間際とおぼしき
男性教師が現れました。

聞くと支援級は2クラスあり
男性教師も支援級の担任。
今日応対予定の女性教師は急用で不在とのこと。

座って話が始まりましたが
私の嫌な予感は的中していまいました。

話ではなく、
用意された支援級の概要の書類を
一言一句読み上げるだけの男性教師。

私も長男も「???」

ただ先生のプリント音読に付き合うだけの
謎の時間が終わってから

私「あのー 質問が‥」

教師「私ですね、今年度○○校から異動で
来たばかりなんです
で、特別支援級の担任にいきなり。
よく分からないんですけど」

【俺に質問するな】のオーラ全開。

長男も私も状況を飲み込めず。

我にかえって
これだけは聞かなきゃ、と思っていた質問

私「支援級で学習できるんですよね?」

教師「基本的には交流で学習します。
ほら、今、この教室誰もいないでしょう?
交流に行ってます。
とは言っても、今日登校してるのは1人だけ。他は皆来てないですけどね」

絶句

言葉が見つかりません
長男の居場所はない、ということ。


帰りみち
私は長男に言いました。

「長男くん、別の場所探そう
ママが絶対探す 学校は無理だ」

長男は黙ってました

その後、中学の女性教師に再度アポ取りして
もう一回見学に行ったり、
特性についての情報提供の準備をしたり、
一縷(いちる)の望みをかけて、
やれることは全てやり

迎えた4月

支援級担任は
あの男性教師でした。
女性教師は異動で転任
支援室は1クラスだけになってました。

入学式の日の午後、
担任に面談を申し込んだ私は
早速、彼の困り感と対応方法をまとめた
オリジナルサポートブックを渡して、
更に心理士の先生が学校長宛にあらかじめ郵送していた
発達特性と関わり方の資料について
なるべく専門用語は使わず
彼の特性と、希望するサポートを伝えました。

長男は入学式翌日、登校。
その日はオリエンテーション。
終日、学年全体での学校生活の説明でした。

帰宅して長男がひとこと

「ママ 無理」
へとへとな様子。
1日 頑張りました。

私はうなずくしかありませんでした。

中学校1年生の登校は
この日が最初で最後でした。

買ったばかりの通学カバンは
1日使ったきり 1年間そのままでした。



最後までお読みいただき ありがとうございました!









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