山頭火に遊ぶ-ぐつと掴んでぱつと放つ
山頭火は、昭和7年9月から13年11月まで山口県の小郡の「其中庵」で起居していた。句友たちの援助を受けてむすんだ草庵である。その間付けていた「其中日記」の昭和10年4月3日、山頭火は次のように記している。
「ぐつと掴んでぱつと放つ」ーこれほど山頭火の句の特徴を表した文をぼくは知らない。ぼくなりに解釈すれば、「ぐつと」掴むものは一瞬の感覚や心の動き、そして、「ぱつと放つ」はそれをそのまま言葉にするということになるがどうだろう。
▢ 山頭火の「俳句性」ー「ぐつと」と「ぱつと」の瞬時性
まず、超有名な句を見てみよう。
分け入っても分け入っても青い山
「分け入っても分け入っても」という主体の反復に応じて青い山なみの連続性がたちあらわれてくる。山頭火の感覚が、この「主体と景色の連動性」を「ぐっと」掴んだのである。
句は「掴んだ」ときにほぼできあがっているはずだ。そうでなければ「ぱつと」放って句にはならないだろう。また、「放った」ものを5・7・5にするとか、季語の有無を考えるとかは彼にとっては雑念だろう。大切なのは、自分の感覚が「掴んだもの」を句にすることのみであったからだ。
ここにあるのは、「ぐつと」と「ぱつと」の瞬時性で、対象を観察し写す「写生」やその延長線上にある主客合一の「実相観入」とは明らかに異質である。言い換えれば山頭火の「俳句性」は、瞬時の「詩」の感覚的把握と、その言語化にある。付け加えれば、その把握対象は客体であろうが主体であろうが、その両者であろうが、あまり関係ない。
▢ それがそのまま、そうであるというほかない句
もう一句とり上げてみよう。
鉄鉢の中へも霰
説明も解釈の必要も無い。美しいとか、味があるとか、清らかとか、そんな言いぐさははじかれてしまう。それがそのまま、そうであるというほかない句である。
「鉄鉢」という言葉のなじみ度を除外すれば、小学生でも書けそうな文である。例えば「花の中へもあられ」とか「家の中へも雪」とか。
ただ、それを句にできるか、というとそう容易くはない。少なくともぼくは、「鉄鉢」の中に「霰」が舞い込んできたのを見て、それをそのまま句にできる感覚と勇気は持ち合わせない。目に映ってもその現象が、言葉まで、そして句になる段階にまで意識化できないのである。
▢ 誰にでも詠めそうで、詠めない句
というわけで、誰にでも詠めそうで、詠めない句を、あくまで「ぼくが」ですが、どうぞ。
さて、ここから第2段階の考察に入りたいのだが、疲れたのであとは次回にまわします。<(_ _)> ・・・で、ちょっと付録。ここからは丁寧体で。
▢ 付録:「分け入っても分け入っても青い山」の季節は?
先の「分け入っても分け入っても青い山」ですが、季節はいつでしょう。
自由律だから季語はない、もっと強硬な場合は、季語があっても季語といってはいけないというひともいます。
でも、「今日の道のたんぽぽ咲いた」の「たんぽぽ」は・・・。
論争は本意ではないのでこの件はここまで。
話をもとに戻して、先の句には「季語」に該当する言葉はあるでしょうか。答えは「ノー」ですね。じゃあ、季節は分からないじゃん。うーん。そんなに性急に結論出さなくても。
「青い山」・・・「かぎ」はやっぱりこれ。消去法でやってみましょう。
雪や寒さは感じられないので・・・冬は×
山は色づいていないので・・・秋は×
春か夏に絞れました。どっちでしょう。
春ならやっぱり霞がかってなきゃっというが、
そうでないばあいもあるから・・・春は△
「青い山」は夏とすると、あまり傷はなさそうである。句意からも夏がいい。分け入りたくなる「青い山」。そしてそれはどこまでも続く。
▢ 牧水と山頭火
ここで、想起されるのは、若山牧水のあの歌。「幾山河越えさり行かば~」これも季語はないけれど、夏。明治40年の早稲田から郷里の宮崎へ帰るときにまわった中国地方でつくった歌で、それは友人に出した葉書でも確認できる。考証済みの事実です。
ぼくはひそかに、この歌を俳句にすれば「分け入っても~」の句になると思っています。ためしに並べておきます。
▢ 句集「草木塔」
じゃあ、夏として、初夏、盛夏、晩夏のどれでしょう。われながらしつこいなあ。
答えは・・・初夏。
分け入るという活動性。そして青い山のむこうにまた山がみえる。この空気感は盛夏は厳しいか。
ここで、種明かし。種は句集「草木塔」にあります。
「四月」と「炎天」の間。そして「しとどに濡れて」の前。さらに・・・・・・
出発をしたのは堂守をしていた曹洞宗報恩寺から。この寺は熊本市にある。青い山の連なるところまで、44歳が行乞のとぼとぼ歩き。まあ、初夏であることはまちがいありません。
最初から知っておりました。<(_ _)>
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