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犬と暮せば・・・(全然ほっこりしない話)

この春から、犬と暮らし始めた。
我が家では2匹目の犬。といっても、1匹目は盲導犬パピーの預かり親として、1年半という期限つきの飼い主だったので、実際には初めて「犬を飼う」ことになる。

はじめから、予想しうる事態について、家族で話し合っていた。
まず、ひとりひとりが自分の趣味の時間を削って、犬と関わる。
お散歩、エサやり、しつけ、遊び相手のいずれも、特定の担当ではなく家族の誰もがローテーションできるようにする。

飼う前に話し合ったことを忘れないように、血判書ならぬ誓約書を書いて、銘々が実印を押したものを壁に貼った。そこには、

私たちは、犬を中心とした行動をとることを誓います

と書かれている。

さて、飼い始めて2ヶ月・・・

ある日曜日、夫は朝から頭痛がひどくて薬を飲んでいた。
息子は午前中から友だちの家で遊び、娘は午後から公園で遊んで、それぞれ夕方には帰宅していた。

私は、朝の散歩、エサやり、家事の合間に犬の遊び相手、さらに夕方の散歩もひとりで行ってくることになり、さて夕飯づくりにとりかかろう・・・と思ったけれど犬の「かまって噛み」が止まない。

仕方がないのでケージに入れて夕飯の支度をする間中、犬はクンクン鳴いていた。その傍らで、子どもたちはゲーム&Youtubeに夢中
私が「ケージから出してかまってあげて」というと、「うん」と生返事をしてまた画面に吸い込まれる。

結局、夕飯後まで犬はケージから出されることなく、我慢できなくて私が扉をあけると、一目散に飛びついてきた。
まだ幼犬なので、歯が痒いせいかすぐに噛む。

私の5本指ソックスを履いた足なんて格好の餌食。
初めは我慢していても、痛みに悲鳴をあげて怒ってしまうこともある。
足を噛まれながらなんとか気をひこうとおもちゃを放り投げ、取ってこい遊びを繰り返す。

これを日中ひとりでやっていたので、私はもう疲れていた

なぜ、家族の中で私にばっかり「かまって噛み」をしてくるかというと、私が一番相手をする時間が長いから。
犬だって、はじめから無理そうな相手にはいかないのだ。

娘は、ここのところ自室の入り口にダンボールでバリケードを作り、犬が勝手に侵入しないよう算段して、思う存分くつろいでいる。

私は、それがうらやましかった。
できることなら、自分もひとりで好きな飲み物や本をひろげて、誰にも邪魔されずに自由時間を満喫したい

この前まで、それができていた。

でも今は、「犬を中心に行動する」のだからそれはできない。

そうやって、自分の行動を正しいと思えば思うほど、「してない奴ら」に腹が立つ。
夕飯後、食器を洗いながら私はついに怒鳴った(わめいた)。

いまみたいに、ママだけが噛まれて、相手してるんだったら犬なんてもう捨てちゃう!みんな放っておくんなら、捨てちゃう!!

この発言は、もちろん倫理的には100パーセントNG、と分かっているけど、言わずにはいられなかった。
私がキレたのを察して、息子と夫がすばやく動いた。急に、今までやっていたことをやめて犬をかまいだした。

後ろめたそうにしている娘をチラっと見てから私は寝室にこもり、本やYoutubeをみたり、音楽を聴いたりして好きに過ごした。ふぅ・・・

さっき怒鳴った余韻が残っているけど、少し落ち着いた。
落ち着いた上で、今日の事態を眺めると、自分には2種類のニーズがあったんだな、と気づいた。

1つ目は、自分自身の居場所とか、スペース
居間にいることの多い私は、どうしても犬とじゃれるか、ケージにいれるかの2択になりやすい。
用事があって仕方ない時以外、ケージに入れておくことに罪悪感を覚えてしまうのだけど、犬だってひとりになりたい時があるかもしれない。
あとは、私が外出することや、寝室など一人になれる空間に移動することも積極的にいれようと思った。

2つ目は、家族とのシェア
噛まれて痛いことや、しつけが大変なこと、日中私が相手をする時間が多いこと。これらを公平にしたい、みんな平等に、とは思わない。それぞれ予定があって、できる時間も限られている。だから、私がお世話の中心になって、というのは構わない。だけど関心度、という点で家族との温度差があるのは寂しいしむかつく。欲求不満が膨らんでいく。

さっきの自分を実況中継で見たら、「虐待寸前の母親」みたいな感じか。
一歩間違えば、犬を捨てるか絞め殺すか、といった切迫感が、あの瞬間にはあった。そういう自覚があるからこそ、溺愛するのも虐待するのも紙一重だな、というリアルな怖さも感じる。

いつだって、追い詰められた人間は最悪の行動に出る
そこまで追い詰めるものって何なんだろう?

社会が育児を、『母親の仕事』と捉えたり
貧困を、『本人の責任』と押し付けたり
弱者を、『見えないもの』と切り捨てたり

無意識のうちに、誰かにパワーを行使する側になっていたり
強いパワーの下につこうとする者になっていたりしないか

そんなことを考えさせられた1件でした。

はい。

この話、standFMでもしています。


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