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レリック

 目次

「なあ、カイ。いちばん格好良い生き方って、どんなだと思う?」
 木の剣同士が強くぶつかり合う、鋭い音が響き渡っている。
 煌めくようなと言うよりは、素朴な光をその中に宿している金髪をもった青年が、その赤みがかった灰色の瞳を目の前の少年に向けながら、手に持つ木剣を振るった。彼のもつその灰色は、時折奥底で火の粉が輝き、そんな若い瞳はまるで、これから炎を噴こうとする活火山の口のようにも見える。
「——は?」
 そんな青年の前で、彼と同じように木の剣を振るう少年は、唐突に投げかけられた問いに怪訝な表情をして、喉の奥だけで溜め息を吐いたようだった。
「……無駄口を叩くなよ、ミュオン」
「なんだよ、つれないやつだなぁ。べつに喋ってたって、剣を打ち合う音で聞こえやしないさ」
「よくもまあ、仮にも副隊長の前でそんなことが言えたものだな……」
「つい忘れちまうんだよな、お前が副隊に昇格したこと」
「それ、嫌味で言われている方がまだましだぞ」
 曇り空の下、騎士見習いたちがよく整備した修練場で、そんな風に軽口を叩きながら二人の騎士は剣を打ち合う。互いに相手の間合いを読んでいるときでも、同じ隊の者たちが自分たちの近くで打ち合っているのが耳のどこかに聞こえてきていた。休憩時間にはまだいささか遠い。
「あーあ、喉渇いたな」
「おい、うるさい」
「いい加減腹も減った」
「うるさいぞ」
 顔は真面目なかたちに整えたまま、しかしその口からはぬるい愚痴ばかりが零れ落ちている青年に、少年の方が相手の木剣を己のそれで強く打った。彼の声を打ち消すかのように鳴った、高く、しかし重く耳に鳴り響く木製の剣戟音。
 少年の一撃をまともに剣で受けた青年は、少年を除く他の者に悟られない程度に顔を歪め、少し笑った。
「折れるかと思った」
「剣を折ったら大目玉だ、知ってるだろう」
「これが実戦だったらどうする、ってな」
「ああ」
「でも、今俺が言ったのは、自分の手のことだよ」
 相方の減らず口に、少年は思わず顔をしかめた。
 最早閉口すらして、ただ相手に向けて当てつけの一撃を振るい出した少年の名は、スタラーニイ・カイメン。
 耳の下で短く切り揃えられた黒髪に、ほとんど鉄の黒色にも見える焦げ茶の瞳をもった彼は、おそらく自身が所属する隊で最も真面目で、正義感が強く、少々情に篤すぎ、そして最も幼かった。
 カイメン——彼と打ち合っている青年もまた然り——が身を置く〈ソリスオルトス王國騎士団〉での彼の所属は、〈ソリスオルトス〉全土警備隊〝世回り〟の第十三番小隊。階級は副隊長。齢は十五。騎士団に名を連ねてから、今年で三年目である。
 そして、飄々とした様子を保ちながら、手首を返し返し、カイメンからの猛攻を木剣で受け流し続けているのは、二歳年上だが彼と同期であり同隊であり、更にカイメンが副隊長に昇格した今は部下でもある、シュトルツ・ミシオン。
 じきに暮れゆくだろう、その気配ばかりを宿した昼の光を受ける金の髪は柔らかくうねり、しかしその金色は時折吹く風を拒むことなく、彼のうなじ近くで髪帯と共に揺れている。その髪帯が女物のように幅広で、それを結った髪の上で蝶々結びにしているところなどは、中々に洒落者であるかもしれない。微かに朝焼けの色を纏った灰色の瞳は優しげで、そこによく宿りがちな悪戯っぽい光さえ隠し果せていれば、彼の笑みはそれはそれは甘く映ることだろう。
 そう——この國の民たちが理想の騎士を挙げるならば、それはおそらく、見た目はミシオン、中身はカイメンといった様子になりそうであった。
 騎士という存在を絵に描いたような見目をしたミシオン、そして、騎士という存在を物語に描いたような中身をしたカイメン。互いがどこか対のような存在でありながらも、入隊当初から何故だか呼吸の合う二人は、こんにちもこのようにして共にいた。
 その仲のよさは、互いの家名を省略したり、もじったりして呼ぶ程度である。
 ちなみに、生真面目が服を着て歩いているようなカイメンが誰かをあだ名で呼ぶことは、ミシオンを除いては未だ他にいない。また、何事も形から入るたちのミシオンにおいてもそれは然り。騎士が人のことをあだ名で呼ぶのは、あまり格好が付かないだろう。
「それで、カイ」
「この程度の攻撃じゃあ、まだ話す余裕があるか」
「いくら来たって話せるさ、こちとらお前の太刀筋くらい読めてる」
「腹が立つな」
「何度お前の剣を受けてると思ってるんだ」
 カイメンの一撃を受け止め、そうして呼吸を継ぐついでに息だけで笑ったミシオンは、未だ折れる気配のない木剣を顔の横でくるりと回した。
 すれば、後方の何処かでばきりと木剣の折れる音がして、ミシオンとカイメンは思わず顔を見合わせ、苦虫を噛み潰したような表情をする。おいおい、誰だよ。隊長の怒号が飛ぶ心の準備を互いにしておく。
「だが実際、実戦で持っている剣のすべてが折れたらどうやって戦えばいいんだろうな」
「さて、逃げるしかないんじゃないか?」
「守るべきものがあってもか?」
「自分の身以外に? なら、そいつを抱えて逃げればいいんじゃないか。身体が動くんなら」
 そう言って涼しい表情をしたまま、ミシオンはカイメンに向けて細かく攻撃を刻んでいく。カイメンはその一つひとつを剣で受けるというよりは、自身の小柄でかつ軽やかに動く身を翻し翻し躱していった。
 一閃に、また一閃。それを幾度となくくり返しながら、しかしミシオンも、またカイメンもこの程度では息も上がらないといった様子であった。
「逃げるのは、べつに悪じゃないだろ?」
「そうだな。だが、格好は付かないかもしれない。おまえは嫌だろう、そういうの?」
「嫌だねえ、格好悪いのは」
「騎士だから?」
「男だからだよ」
 少しだけ笑って言いながら、ミシオンは容赦なくカイメンの首を狙った。
 カイメンはそれをしなやかな背を反らせて避けきると、目線はミシオンの木剣を追っているように見せかけ、背は未だほとんど反らせたまま、自身の右手首ばかりを返す。今度は自分の喉元に迫った剣の切っ先を、ミシオンの瞳が追った。
 そして瞬間、
「げ」
 と、ミシオンは顔をしかめる。
 反らしていた背を元のかたちに戻すのかと思いきや、カイメンは自身の目の動きと右の木剣を囮にし、己は素早く屈んでは、ミシオンの足下に迫っていた。
 少年の右手に有ったはずの木の剣は、今やミシオンを越えて宙を舞い、そしてそれが自身の元へ戻るより速く、カイメンは片手を地面に突いてミシオンの両足を払った。剣が背後に落ちてくる。
 カイメンはそれを左手で掴みとり、そうして立ち上がった。それから彼も、自身の足を狙われていると自覚した先ほどのミシオンと同じような表情をし、後からじとりとした色を己の焦げ茶に浮かべて、しぶとい相方を見やる。
「ミュオン、修練時間中は〝借りものの力〟を使うな。禁止だろう」
「今更だな」
「今更?……いつからだ」
「今日、お前の剣を受けはじめてからだよ、カイ」
「そういうのを最初からと言うんだ! やたら空気が目に沁みると思ったら……!」
 変声期に置いて行かれ気味な少年の、思わず激したその声は、背後で無数に鳴り響く木の剣戟音たちによって掻き消された。
 周りに悟られないようくつくつと喉の奥ばかりで笑うミシオンは、カイメンが寄越す怒濤の攻撃を自身の剣で受け流していく。そしてそのたび、ふわりとした風が微かに浮かび、カイメンはちらりとミシオンの瞳を見た。
「ミュオン……」
「うん? なんだよ、本気で怒るならやめるけど」
「いや……何かに風を纏わせるのは、陛下がお得意だったなと思って」
「國中を渡り歩いていた頃の、若かりし陛下の話だろ? 俺の故郷のちっさい村にも、その頃の陛下の話はほとんど伝説みたいな感じで語られててさ。で、憧れたから真似した」
「真似したって、おまえな……」
 ——〝借りものの力〟。
 人は古来より、世界に存在するすべてのものの中から一人たった一つだけ、力を借りることができる。この力は、〝たそがれの時代〟である今よりも遙か昔、〝かわたれの時代〟では誰もが知る普遍的な力だったと云われているが、しかし、時代は流れる。
 現代においての借りものの力の認識は、それを知り、自身の生に活用する者もいれば、時の流れと共にその存在を忘れ、己が何かの力を借りることにも知らないまま、また気が付かないまま力を借りてその一生を終える者もいるといった様子であった。
 この大地に訪れる黄昏よりも永く、人々と共に在る借りものの力だが、それでも未だその力には分からないことが多すぎる。そのため、実戦中に突如として世界から力を借ることができなくなったとき——魔獣化寸前の暴走はともかく、力が使えなくなるというのは未だかつて聞いたことがなかったが——のため、あまり借りものの力に頼りすぎた戦い方をしすぎないよう、騎士団では修練中の力の使用を規則として禁じていた。無論、生死がかかっている実戦では使用を許可されている。
 そんな中、怖いもの知らずにも力を使用してはカイメンの剣を受け流し、また、同じくカイメンの足払いからも持ち直したミシオンが世界から借るのは、現王アウロウラ・アッキピテルと同じく、風の力だった。
 しかし、それは特段珍しいことでもない。この世界に風の力を借る者は多く在る。逆に言えば、現王もまた、そんな人間の中の一人で在るということだろう。そしてまた、その力の遣い方も人によって無数に存在した。
 カイメンがミシオンの肩を狙う。ミシオンはそれを剣で受け止め、その受け止める瞬間に刃に微か風を纏わせると、打ち合いの衝撃を和らげた。
 ミシオンは、借りた風をつむじ風とするのが得意である。ふわりと立ち上った風に、カイメンの黒い前髪が浮かび上がった。森の中に吹くそれのように冷たい風が目に沁みたが、瞬きはせず一歩退いてやり過ごす。
 その瞬間、風に乗って柔らかく花の香りがした。ミシオン相手には有り得ない話でもない気がするが、しかしまさか香水ではあるまい。カイメンの心の中で、思わず呆れ笑いが零れる。一体何処の風を借りているんだ、こいつは。
「……なんの花だ」
「ん? ああ、好きな花」
「知らない香りだ。なんて言う?」
「トワイト」
 打ち始めのときよりも更に鋭さが増しているカイメンの一閃を受け続けながら、ミシオンが短くそう答えた。その顔が、引きつった笑みのかたちに歪んでいる。まるで悪戯小僧を見るような表情だった。
「詳しいことはまた後で教えるよ。……それより! いいのか、副隊長さんよぉ?」
「何が」
「力、使ってるだろ」
「どうかな。ただ単に体力が落ちただけなんじゃあないか、ミュオン?」
「こいつ……」
 カイメンは軽く鼻で笑った。足裏につむじ風を纏わせて、転ぶのを防いだ人間に言われたくはない。
 少年騎士は木の剣でひゅっとミシオンの目の辺りを狙った。間一髪で身を引いたミシオンの前髪がはらりと舞う。少しばかり斬れたようだった。それを自覚した彼の表情が、みるみる内に苦いものへと変わっていく。
「あり得ねえ……やるか、普通?」
「文句なら過去の自分に言うんだな。先に反則をしたのはそっちだ」
「……カイ……お前最近、隊長に似てきたぞ」
「副隊長だからな」
 おまえは忘れているようだが、と言いながらカイメンは背を低くして、己の木剣を構え直した。ミシオンが呼吸に混ぜて溜め息を吐いている。
 ——風の力を借りるミシオンに対して、研師の家系に生まれたカイメンが借りるのは、刃の力だった。
 鋭い白刃は更に鋭く、疾き一閃は更に疾く、斬れぬものまで斬り伏せる。その刃を形づくる素材の種類は問わない。刃としてつくられていれば、それが鉄でも、木でも、骨でも、墜ちた星でだって構わなかった。
 ただ、元々は研師の跡取りとして育てられていたカイメンである。よく鉄を鍛え、それを研いできた身としては、彼自身、やはり鉄で形づくられた刃との相性が良いような気がした。
 そう、鉄の刃ならば、目にしただけで刃自身が重ねてきた歳月や綻び、また使用者の扱い方などが気配として感じられたが、しかしそれ以外の素材となると難しい。彼は木剣の表面を軽く撫でた。
「いちばん格好良い生き方、だったか」
 変わらず鋭い一閃をくり出すカイメンの刃を避けながら、ふと呟くようにそう言った少年の方をミシオンは見やる。前髪は持っていかれていない。
「うん、何か思い付いたか?」
「そうだな……」
「へえ! いいね。教えてくれよ、相棒」
 そうしてかち合ったのは、掘り出したばかりで未だ土にまみれた鉄鉱石のような焦げ茶の瞳。時折鋭く研がれ、澄んだ白刃を宿すその瞳が、今微かに細められた。
「貫くこと」
「貫くこと?」
「己が最もたいせつとするものを貫くこと」
 発した瞬間、ミシオンの体勢がほんの少し低くなったのを感じとって、カイメンは退くのではなくむしろ相手の懐を目指して地面を蹴った。そんな少年の動きすら読めているのか、ミシオンは身を更に低くして、カイメンの一撃を真正面から思い切り受け止める。
 木の刃は風を斬らず、また、風も木の刃を防ぐことはなかった。なんの力も借りないただの木剣と木剣が真っ向からぶつかり合い、したたかな音を修練場に響かせる。
「——己の意志を貫くこと!」
 こんにちの曇天に、騎士たちの奏でる無数の剣戟音は吸い込まれていく。だが、それとは別に、木剣の打ち合う音に交じってそう発せられたカイメンの声は、しばし修練場の中に留まり、そうしてミシオンの耳の中で幾度か木霊した。
 剣と剣が離れる。互いに距離を取り、再度間合いを測った。
「流石、刃の子。それらしい回答だな」
「ミュオン、馬鹿にしてるだろう」
「褒めてるんだよ。そのばかみたいな真っ直ぐさを、な」
「ほんとうに口の減らない……!」
 発して、踏み込もうとすれば、しかし今度はミシオンの持つ剣の切っ先がこちらへと迫っていた。
 ほんの少し屈み、右に逸れてはその刃を躱す。こちらが素早く動いたために生まれた風と、向こうの一閃によって生まれた風が交差して、カイメンの額に淡く浮かんでいた汗を散らした。
 低い体勢のまま手首を返す。翻ったミシオンの剣を読んで、それを首の横で押し止めた。このようでは、どれだけ夜明けを見送ったとて決着は付かない。思わず互いの目を見合わせ、二人は口元ばかりで笑んだ。
「生き方の格好良さってやつはさ」
 剣と剣を交えて、ぎりぎりと力が拮抗し合っているかのように見える二人の騎士は、しかし単純な力比べなら年上で上背もあるミシオンの方が若干優勢に立ち、そうして彼はじわじわとカイメンの剣を押しやりながら、その瞳を見た。
「思うんだよ。生き方の格好良さはさ、そいつが最期に何を言ったかで決まるって」
「……最期?」
「そうさ、最期の言葉だ」
 勝ち星が瞳の中でちかちか瞬きはじめたミシオンを見やりながら、カイメンは今しがた彼が発した言葉を心の中で反芻する。
 ——最期の言葉。
 最期に何を言うか。そんなもの、考えたこともなかった。その果ての景色は、未だ遠く在らねばならない。ミシオンの灰色をした目の奥で、炎が赤く爆ぜかけていた。
 カイメンはミシオンの顔の方をほとんど睨み付けながら、しかしその視界の端で彼の足下を見た。自分もそうだが、右半身に力が入りすぎている。
 少年は自分自身が白刃の如く、鋭くその身を後方へ引いた。
 ミシオンの太刀筋は速いが、今、彼の心には勝利を確信した瞬間の微かな隙があった。こちらの木剣というたかが外され、そこから自然に振り下ろされるだろうミシオンの一振りより、自分は速く動ける。それに、むしろ——
 剣が振り下ろされる。すれすれで避けた。
 ——むしろ、こうなればこちらに星は輝く。
 カイメンは、ミシオンが気を配っていない左半身に素早く視線を刺し、叩き付けるように地面を拳で突くと、ほとんど地面と一体となるようにして、彼の左足を思い切り払った。
「……流石、つむじ風の子。それらしい回答だな」
 立ち上がり、ミシオンの喉元に木の刃を突き付けながら、カイメンはそう言い放つ。その瞳の色が明らかに笑っていたものだから、地面に肘から転がったミシオンは心の中だけで舌を巻いた。
「さて、では聞かせてもらおう。おまえの終の言葉をな、ミュオン」
「なあカイ、ちょっと楽しんでるだろ」
「それが最期の言葉か?」
「……ま、参りましたぁ……」
 それを聞くと、カイメンは息だけでふっと微笑み、ミシオンの喉元から剣を離した。そうして木剣をぱしりと左手に持ち替えると、空いた右手をミシオンの方へと差し伸べる。
「随分と格好の悪い終わり方だな」
「お前が相手だからな。かっこいーい副隊長さまの」
「うるさいぞ」
 そんな小競り合いをしながらミシオンをぐっと立ち上がらせて、しかしカイメンははたとする。おそらく、今の一瞬で顔色が青くなったミシオンも同じだろう。
 ——静かだ。
 ミシオンがカイメンのことを肘で軽く小突く。カイメンは顔は動かさずに視線だけでミシオンを牽制し、こちらを無言で見やっている多くの目線たちをその身体で受け止めた。
 けれども内心冷や汗を流したまま、ぐぎ、と音が鳴りそうな硬さを以って、カイメンは背後を振り返る。
「——余裕があるな。カイメン、ミシオン?」
 身体を向けた先に在ったのは、にっこりと細められた勿忘草色の瞳。
 普段の鎖帷子ではなく土色の練習着の上に、これまた練習用の赤茶色をしたタバードを革の腰帯で締めては自分たちと同じ出で立ちをしているその人の姿に——しかし、自分たちとは違って、その肩から赤々いマントを引っ掛けているその姿に——カイメンは、自分の表情筋がひくつくのが嫌でも分かった。
「お喋りしながらの鍛錬とは。すまないね、二人とも。おまえたちには、私の考えた訓練内容だと〝少々〟、物足りなかったようだ」
 真っ白な髪、淡い水色の目、その奥で力を放つ黒い瞳孔、赤いマントに、響く涼しげな声。そのすべてを視界に映せば、刃は引っ込み、風は音を失う。口を噤んだ風がただ、彼女の白と纏う赤を揺らしていた。
 カイメンは瞬き、渇いた唾を飲み込んだ。
「ゼ、ゼーローゼ隊長……」
 カイメンとミシオン、その二人の前に立つのは、二人の所属する世回り第十三番小隊の隊長、レースライン・ゼーローゼであった。
 同隊である周りの騎士たちが皆黙りこくってこちらを見ているのは、世界の静寂を借るレースラインの力か、それともただ単に事の行く末が気になるだけか。そもそも、いつから周りの音が消えていたのだろう。自分たちは明らかに熱くなりすぎていた。こんなにも周りが見えなくなるとは!
 この先の展開が大体予想できているのか、ミシオンは苦々しい表情を隠せずにいたが、カイメンはじわじわと羞恥が喉元まで上ってきているのを感じていた。
「生き方の格好良さは、その者が最期に何を言ったかで決まる——のだろう?」
「隊長、冗談でしょう? もう日が暮れますよ……」
「何を。こんにちの訓練、おまえたちにとっては冗談みたいなものだったというのに」
 ミシオンが両手を摺り合わせてなんとかレースラインを説得しようと試みているが、こうなった彼女を止めることはもう不可能であった。
 それを身に染みて知っているカイメンは、その心に鉛を引っ提げては肩を落とす。説得を続けているミシオンも分かっているのだろう、瞳の中の煌めく赤が段々と灰にうずもれていった。
 レースラインはふっと微笑むとその真っ白な長髪を片手で払い、それからもう片方の手で掴んでいる木剣をカイメンとミシオンの間に突き付ける。
「補習だ」
 二人を交互に鋭く睨み付けてレースラインがそう発すれば、絶望と諦めと、今更やってきた疲れに硬直しているカイメンとミシオンの背後から、微かに笑いがさざめいた。
 それは含みのある笑い方ではなく、単純に〝面白い〟から起こる笑いである。二人のこめかみが少しばかり動いた。そう、だから余計に腹が立つものだ。今、確かにカイメンとミシオンの心は一致した。おい相棒、後で負かすぞ。
 そしてもちろん、その笑い声を隊長は聞き逃さない。レースラインはカイメンとミシオンの間に向けていた自身の木剣を引っ込めると、しかし先のものよりも鋭い一閃としてそれを再び突き付けた。
「おまえたちもまだ笑い声が出るとは、随分と余力があるようだな。私の訓練はそんなに生ぬるかったか!」
 虎のようにレースラインは吼える。大気が音もなく震えた。或いは、怯えたのかもしれない。そして、この場にいる第十三番小隊の騎士たちは最早、肉食動物を目の前にした草食動物も同然であった。
「全員補習だ、ついて来い! いいか、遅れた者は明日の朝陽を見れないと思え!」
 第十三番小隊の頂点に立つ白虎は無情にもそう発すると、その真白と赤とを翻してすたすたと歩み去っていく。
 レースラインの靴音が聞こえたのを合図に、辺りの音が戻ってきた。風の吹く音が鳴り、近くの木々の葉擦れも聴こえる。卒倒しそうな誰かの重すぎる溜め息が耳を過ぎていった。
 レースラインの靴音は遠ざかる。それを自覚すればカイメンとミシオンははっとして、彼女の後を急いで追いかけた。
「——さて、では聞かせてもらおう。〝おまえたち〟の終の言葉をな」
 自分のことを追ってきた二人にそう言い放ったレースラインが笑っていることは、彼女がこちらを振り返らずともカイメンにも、またミシオンにも分かったが、しかし彼ら二人を含めた世回り第十三番小隊の騎士たちは、そこから笑みどころか断末魔の悲鳴を上げることすら許されなかった。
「……夕焼けか……?」
 日の出の瞬間、ミシオンはそう言って気を失った。
 そして、それこそが今日の彼の、その一日を締めくくる終の言葉となったのだった。

20180628 
シリーズ:『たそがれの國』〈ごしきの金〉

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