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ほんとうにすごいのは、人への熱量と愛を表現できる人

 いつもいつも、かっこつけていろいろ書いてますが、なんだかんだ言っても人に見てもらえると舞い上がるし、褒められると嫌なことのひとつやふたつ帳消しになるし、あまりに嬉しい言葉で賞賛されるとニヤニヤが止まらないくらいには、単純です。

 いや、単純なんだけど、ほんとそういうもので、そういうことを素直に喜んでだれかに還元できる自分でいたい。むしろ積極的に単純回帰したい。
 今日はそう思わせてくれるようなことがありました。

 よもぎさんの記事で、しかもまさかあの記事を紹介していただけるとは思っていなかったので、本当にびっくりですし、それ以上に、熱が! 熱量が! こんな嬉しいことってありますかね?

 「自分ドキュメンタリー」はまさに、「コンテンツ」をこえて「わたし」を残していくものなんだなということを、記事ではなく私という人間を紹介してくださっていることで改めて気づかせてもらえました。


 すごいんです。たった一人でも、こんなふうに自分を見て言葉にして表現してくれる人がいるということが。
 どれほど強く「自分一人で立ってこの世界を練り歩くのだ」と決意するよりも、誰かの目に、心に自分の姿が映っているということを伝えてくれるその一言(いや、一言なんてものじゃない分量の言葉を尽くしてくださっているのですが)が、曖昧で移ろいやすい「自分」という存在をたしかなものにしてくれて、そして明日も書くぞと思わせてくれる大きな力になっている。

 あのね、一文字いくらでお金もらうよりずっと嬉しいんです。
 きっと、書いて発信したことがある人はわかると思う。


 かまってちゃん、結構じゃないですか。人は人との間で生きている。人と関わってはじめて生きるものがある。

 そういえば、先日あるカウンセラーさんから「記憶というものは、人との関わりがあって定着していく(だから、幼少期にあまり人と関わりがなかった人は記憶が抜け落ちていることが多い)」ということを聞いたばかり。
 人は人なしには記憶さえも作っていけないんだなって。


 でもですね。
 本当にすごいのは、それを見つけて、感じ取って、言葉で伝えることができるあなたのほうなんです。これは本当にそうです。これだけ、発信したい人がいて、一億総発信者みたいな世の中になってきて、それだけ聞いてもらいたい人がいて読んでもらいたい人がいて。
 その欲求ってきっと、人間としてデフォなんですよね。
 私はいつも、自分のことを話してばっかり。でも、本当に誰かの記憶に残り、誰かの気持ちを助けたり明るくしたり、人と人をつないだり、いい影響を受けて自分自身も生き生きとした発信ができるのは、誰かの心や熱量を感じ取れる人なんですよ。

 ほんと、我が身を振り返る。最近、いそがしさにかまけて、あまりいろんな人のnoteを読みに行けてないこと、自分にかかりきりで人への関心がちょっとお留守になっていること。
 毎日書き続けようと思ったら、やっぱり、何かしら心のかよう関わりを積極的に持って、人に好奇心と興味をぐんぐん向けた方が絶対にいい。


 よもぎさんのこの熱量、見てください。これが何よりの証明だと思いませんか?

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