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我こそは「本の変態」なり!

本を買う
今は1クリックで電子書籍も紙の書籍も直ぐに変える時代だ。

そんな時代にわざわざ書店に出向き、書籍を眺めながら買う必要があるのかと問われると、必要ないと答える人が大半だろう。

しかしそんな時代においても、わざわざ時間を割き、靴底をすり減らして、書店へ出向く人間がいる。

それが私だ。いいや、言い換えるなら、私たちは「本の虫」ならぬ、極めて少数派の「本の変態」だ。

実用書ならいざ知らず、小説や漫画なんてものはあらすじが細かくわかるネットショッピングの方が都合がいいのだろう。
しかし私は書店へ行く。
そこには私なりの買うときのこだわりがあり、楽しみがあった。


10年前
2012年ー夏ー

残暑の続く今日この頃。

学校から緑色のママチャリのペダルを漕ぎ続け、冷房の効いたオアシスにたどり着くまで30分以上はかかっただろうか。
「もう無理やって...」
止めどなく流れ落ちる額の汗を腕で拭うと、自然とそんな言葉が滲み出た。
はぁはぁと息を漏らしながら、制服の白いワイシャツのボタンを全て開け、空を見上げた。
やっとの思いで着いた書店には、平日の昼間ということもあって、自転車や車はほとんど停まっていない。
自動ドアをくぐると、冷房がよく効いており、汗だくの制服がひんやりして気持ちよかった。
早速漫画コーナーに出向き、今日の一冊を物色する。
僕は漫画を選ぶとき、必ず自分の目で見て、書店で買う。
友人たちは今流行りの漫画や、紹介してもらった漫画、ネットで調べてこれから来るであろう漫画を買って読んでいる。
だけど僕はそんなことしない。
何故ならそこに僕のこだわりがあるからだ。
今のご時世、ネットショッピングで数日待てば大半の書籍が買える時代。
特に最近はタブレット端末が先行して、電子書籍なんて物までできているって言うじゃないか。タブレット端末が1台あれば、それだけで何千冊という本を読むことができ、置き場所も不要だなんて、僕のような漫画好きにとっては夢のようなサービスだ。
しかしそれでも僕は書店で紙の書籍を買う。
「わざわざ本屋で本を買うなんて、めんどくさいことせんでも...」
友人たちはそう言う。
家族だってそういう。
きっと彼らはこの楽しさを、わくわくを知らないからそう言うのだ。
考えてみたことはないか?
ありとあらゆるジャンルの本に囲まれる空間。
そしてそれらは図書館と違い、多くの書籍にはシュリンクがかけられていて、本の中身を見ることができない。
そう、例えば僕が大好きなコミックの大半はこのシュリンクがかけられている。
見られるのは表紙と裏表紙、背表紙と本の厚み程度だ。
しかしそれがいいのだ。
「この漫画はいったいどんな内容で、どんなキャラクターが動くのだろう。」
「この作品の先生の前の作品はかなり恋愛要素強めだったな。しかし今回は画風が少し違う、どんな内容なんだろう。」
なんてことを四方を書籍に囲まれながら考えていると、心が今にも踊りだしそうな程わくわくしないかい?
これは多くの情報が簡単に手に入るネット社会では絶対に味わえない楽しみだ。
別に僕はネット社会が嫌いなわけじゃない。
だけど、これだけは譲れなかった。
僕のささやかで慎ましい、小さな楽しみ。
本の変態だなんて自分で言っちゃいるけど、果たして本当にこの姿は変態なのだろうか。
1冊の面白そうな、今の自分に合いそうな本を選び、数時間書店の中を彷徨う。
もはやこれは芸術美なのではないか。
そして今日も漫画の背表紙を舐めるように眺めつくし、長い時間をかけて手に取った一冊をレジに持っていき、袋に入れてもらった。
リュックの中に本を入れ、また灼熱のアスファルトの上を自転車で、今度は家まで1時間の距離を漕がなければいけない。
だけど僕は自分の目で見定めた、かけがえのない1冊と巡り会えたのだ。もはやこの暑さも苦にはならない。
自販機で買ったメロンソーダの缶ジュースを飲み干し、項垂れながらまたペダルを漕ぎ始める。


10年後
―2022年 夏 現在―

殆どの書籍が電子化された現在、書店実店舗の多くは閉店し、紙媒体の書籍もインターネット上で購入する人が多くを占める。
それでも書店で書籍を購入する必要があるのかと問われたら、私は即答しよう。
「絶対に書店で買うべきだ」と。
本の変態であることに変わりはない。
なんせコロナ渦で外出を控え、飲食にレジャー、あらゆる娯楽を断ちながら生活している現在でさえ、書店へは足を運び続けているのだから。
今日も今日とて残暑の続くこんな暑い日に、わざわざ休日返上で書店へ出向くのだ。
相当なドMと言っても過言ではない。
電子書籍化が大いに進む現在でもなお、実店舗の書店には何万冊という書籍が並んでいる。
本を眺めていると本の海に深く深く潜っているような、そんな気分になる。
欲しい本が見つかるまでじっくり時間をかけて舐めるように本を眺める癖は、あの頃と何ら変わりない。
強いて言えば、長時間書店に居座ることで、書店員さんに迷惑がられているかどうかが気がかりで仕方ないことぐらいだろうか。
流石の私も大人になり色々と考えた。
だから高校生の頃よりは、滞在時間を短くしている。
それでも長く居ることに違いはないのだ。
今日の一冊。私も大人になったものだ。
なんせ今日は小説を買ったのだから。
それも純文学。立派な大人だ。
そう思いながら、あの頃と何ら変わらない胸のときめきを感じつつ、小説をレジに持って行き、定員さんに袋に入れてもらった小説を大事に鞄の中にしまい込んだ。
自販機で買った缶コーヒーのプルタブを片手で空け、今日も今日とて青い空を眺めながら、苦いブラックコーヒーを喉に流し込む。


本を買うときのこだわり。
そこには私にとってほんの小さな、それでいてとても美しい楽しみがあった。

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