関東平野の礎が少し見えた気がした

東京都心から30分も郊外電車に乗れば、ちらほら農地が見え始める。最近自転車で移動することが多くなり、思ったことがある。それは、関東の風土は、意外と人を大切にするものを礎にしているのではないかということだ。

関東の都市の郊外は、駅前は栄えているが、そこから離れると一気に雰囲気が変わる。さらに進むと、落ち着いているとも違う、少し侘しい感じのする場所に突入する。関東平野には意外と自然は多いが、それは西日本の自然とは違う雰囲気を持っている。人が自然の中でのんびり暮らしているような西日本の田舎とは違い、関東は人口密集地から疎外された都市機能と荒地が広がる、自然の猛威を垣間見た気になる土地だ。関東平野は住宅が密集している。それは、電車移動が多いからと思っていたが、もしかしたらそれだけではないのかもしれない。この土地では、人は自然の猛威から身を守るために身を寄せ合って生きてきたのではないのかと思った。東日本の田舎で「濃すぎる人付き合い」に飽き飽きするみたいな話を聞いたことがあるが、それはもしかしたらそもそも大いなる自然から身を守るため、距離感が近い生活をしているのではないかと思った。そう考えると、「強さ」は本来自然の理不尽に耐えるもので、「優しさ」は近い距離感で人との関係を円滑にするためのものなのかもしれない。西日本の人たちが自然の恵みの中で個々人で主張しながら生きてきたのだとしたら、東日本の人たちは自然の猛威から身を守るために集団で生きてきたのだろう。

だからこそ、その人のつながりを経済力で分断する街はこの平野に合っているとは思えない。自由というのは、自由な心を持った人たちがマジョリティになって初めて規範とのバランスが取れるのだ。「強さ」や「優しさ」を人を制圧する理由にし、自由という夢を見せ人を分断する方向に持っていくのは、おそらくどこかマズイ。そう思った。

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