今、生きていられること
2024年1月1日。
私は北陸地方の親族の家にいました。
ここ数年、家からなかなか出られなかった私が久しぶりに親戚と過ごすことのできたお正月でした。
夕方に突然、立っていられないほどの大きな揺れを感じ、「上に気をつけて!」と母が叫び、棚の上からたくさんのものが降ってきました。
壊れ物は割れ、破片が飛び散り、悲鳴が室内に響き渡りました。
子どもが夫と外に散歩に出ており、安全な場所にいてくれたことが、せめてもの救いでした。
しばらくすると、揺れはおさまりましたが、室内にはスマホからの緊急のアラームが鳴り響いており、私たちは動くことがなかなかできませんでした。
つけっぱなしだったテレビからは、平和だったお正月番組から、緊急速報に切り替わり、避難を呼びかける声が響いていました。
部屋にあるスマホからは、連絡がたくさん来ていて、なんとかそのひとつの着信を取ると「早く安全な場所に逃げて!」と津波警報が出ていると叫ぶ声が聞こえました。
でも、どこが安全な場所なのか、分からないのです。
幸い、私のいた親戚の家は、海からも川からも遠く、津波の影響はなかったため、家の中で待機することにしました。
高齢の祖母も、年寄りの猫もいて、避難所に行くにも不安だったのです。
部屋に散らばった割れたものたちの破片を片付け、みんなで1つの部屋に集まり、テレビを見ながら過ごしました。
私のいた地域では、停電も断水もなかったことが救いでした。
余震は続いており、テレビは地震の被害のことばかりでとても不安でした。
夜中まで、役所からの安全を呼びかける放送の声が聞こえていました。
「大変なお正月になったね」と誰かが話し、「でも、これで、1年の悪いことが1つ減ったと思おうよ」と誰かが返し、不安な中でも笑いながら過ごすようにしました。
私の親戚は苦労をしてきた人が多いからか、ポジティブな言葉を使うようにみんなが心がけています。
私は不安で一睡もできませんでしたが、無事に夜は明けました。
朝は、みんなでごはんを食べて、不安なことばかり流れているテレビより、YouTubeなどの楽しい動画を見て、それぞれ過ごしました。
そして、交通機関が回復した知らせを受けて、私たち家族は家に無事に帰ることができました。
残された親戚が少し心配でしたが、残った皆でなんとかするから大丈夫よ。仕事がんばりなさいと言われました。
母は私がずっと仕事ができなくて、引きこもっていたときも何も言わずに見守ってくれていました。
今回の帰省で、仕事を始めたことの報告や、子どもの成長を見せられたことは本当によかったと思います。
きっと、これからも、当たり前の日常が突然奪われることはあるのかもしれません。
でも、今私たちは生きているから、まだ見えない未来を不安に思わずに、今を大切にして、過ごしていきたいです。
こうしている今も、助けを待っている人、誰かを助けようとしている人、不安な中でも支え合っている人、その全てに、生きていてくれて、ありがとうと言いたいです。
私たちは、いつもどこかで支え合っている。
そうやって生きているのだと、考えさせられた、そんなお正月でした。
明日から、また仕事が始まります。
いつもの日常が戻ってきますが、いつだって、家族と過ごすことのできる、かけがえのない今を大切に生きていきたいです。
どうか、このnoteを読んでいるみなさんも、見えない未来を不安に思うより、生きていられる今を大切に過ごしてほしいと、そう思っています。
それでは、今回はこのあたりで。
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