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15年先に届いたラブなレターに返信する思考。



15年前。


なんで生きてるのか、わからなかった。
頭で考えて心を置き去りにして生きていた。
自己犠牲と誰かのためを、同一視していた。
10代と20代。もっと昔から妙に大人びてみられた。実際、冷めた目で世界を見ていた。


世界のほとんどはくだらないと思っていた。
バカやって素直に一緒に笑うことができなかった。
少しずつ慣れたころには勝手にオトナにされていた。


いろんな人に出逢った。
尊敬できる人、そうでない人。
好きになれる人、そうでない人。


自分も認めず相手のことも認めない。
厳しかった。何事においても。
やりたくないことに一生懸命時間を割いた。
馬鹿にされたくなくて勉強した。
どんな人とも対等に渡り歩きたかった。
それが背伸びだったことに氣づかなかった。
それが苦しかったことに、氣づかなかった。


15年。


今の自分を想像できていたら、本当にすごいと思うけれど、当然わかるはずもなく。


あの頃。この手にあったものはどこへいったのだろう。愛だと思っていたものが愛じゃなかった。愛ではないと思っていたものがかけがえのない、愛だった。


愛を知らず、愛を失った。


愛を喪って、愛を知った。


美しい想い出ばかりじゃないけど、名前の付け方ひとつで過去を変えられることを知った。何にだって意味がある。そのときわからなくても、いつか、きっと、あれはわたしにとって最高の経験だったのだと、わかる日が来る。意味のないように思える苦労。無駄に流したように思えた涙。声をあげたかった、でも殺してきた想いたち。


すべて抱きしめて、ありがとうと言える日が、ちゃんと来ることを知った。


朝の来ない海をずっと泳いで、朝が訪れることをゆるしたとき、ようやく知った。


水平線から現れる朝日の眩しさ。
煌めく水面が宝石のように美しいこと。
凪いだ海の平穏とあたたかさ。
どこを泳いでも深遠で、でも必ず繋がっていること。


生きるのに、泳いでも沈んでも溺れても、漂ってもいいこと。


たくさんのことを知った、15年。


あれはなんだったんだろうって、思い返して想うことは、まだまだたくさんある。


神様はいつだって、変化球しか投げない。


『あなたは誰よりも輝いていたの、私の一番星でした』



この海に、こんな言葉を投げかけてくれる人がいることを、15年前のわたしがなぜ想像できようか。できるわけがない。ついこの前まで、朝の来ない海を必死に泳いでいたわたしが、誰かの一番星になんて、おこがましくてそれこそ溺れてしまいそうだ。




神様はいつだって、変化球しか投げない。





驚くほどの出逢いを用意して、人生をおもしろくするエンターテイナー。だから、何が起こるかなんてわからないし、わかりっこない。考えてもしょうがないことは考えないほうがいい。


だけど。


『昔も、今も、これからも大好きです』



15年後のわたしに、こんな言葉をくれるあなたは、少なくともこれから15年、わたしがこうして言葉の海を生き続ける理由を、くれた。


悲しみを知っていてよかったと思う。
苦しさを知っていてよかったと思う。
暗闇を知っていてよかったと思う。


誰かの背中を押せるなら、言葉を紡ぐ。
誰かの涙を止められるなら、言葉を紡ぐ。
誰かの笑顔になるなら、言葉を紡ぐ。


いや、どれも叶わなくても、どうせ。
ここでしか生きられない。


でももしたったひとりでも、届く人がいてくれたら、それだけで泳いでいる意味がある。言葉の海を、泳いで生きる意味がある。


15年経ってもきっと、言葉の海から、愛を贈る。


15年後もはなたんって呼ばれるのは、ちょっと恥ずかしいんだけど。


見つけてくれて、ありがとう。
出逢ってくれて、ありがとう。


15年後もきっと、可愛い妹のようなあなたへ。






大切なものは、目に見えないね。







flag *** hana


今日もありがとうございます♡



















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