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アイスクリームな思考。



 レディを救うのは甘いものだけなのよ。


 我が常套句をひっさげて向かった先は、数字がそのまま名前になっている某有名アイスクリーム専門店。目が合ってしまったのだから仕方あるまいよ。ちょうど甘い物が食べたかった。


 限定のビターコーヒー味と私の王道ストロベリーチーズケーキのスモールダブル、ワッフルコーンで作られた救世主を左手に、買ったばかりの文庫本を右手に、久しぶりの読書に専念しようじゃないかと適当な席に腰を下ろしたところで、「片手ふさがってたら読みにくいやんけ」とようやく重要事項に氣づいた。なんてこった。


 食べてからにしようと諦めなんとなく辺りを見渡しながら、アイスクリームをスプーンで掬い取って口に運んだ。


 平日の、お昼でもなく夕方でもない中途半端な時間のフードコート。人は多くない。お喋りに興じる4人組の女子高生。ゲームをしている3人組の男子高校生。ノートPCを広げて互いに覗き合っている2人組のおそらく女子大生。イヤホンしてスマホを見ている1人のおそらく男子大学生。こんな時間にラーメンを啜る中年男性はどこかの店舗のスタッフだろうか。子連れのお母さんは子ども二人にたこ焼きを食べさせていた。会話もなくボーっとしている老夫婦は二人とも、どこを見ているんだろう。


 皆、同じ場所を共有している。


 でも、見ているものも感じているものも、完全一致はない世界。


 「体」、という絶対的な境界線を保ちながら、「共有」を通して「一体 ”感” 」は得られても「一体」を得ることはできないまま、「個」として存在し続けるすべての生命。三次元物質世界の隔靴掻痒の根源であり、また三次元物質世界でしか体験できないこの『境界線』を、溶け始めてどこか曖昧になったビターコーヒーとストロベリーチーズケーキの『境界線』めがけてスプーンを差し込み、一口分をまた掬い取りながら、眺めていた。


 私は、『境界線』を、よく考える。


 一本一本の木が寄り集まっていようとも、遠くから眺めたらいびつな稜線にしか見えない山のように、私も含め今ここに在る空間を、遠く離れた宇宙から見たら、私が今、目の当たりにしている『境界線』なんて、キレイさっぱり見えなくなる。


 目の前にいる相手との『境界線』は何なのか。


 超えられるのか。
 超えられないのか。
 こちらからなら超えられるのか。
 あちらからなら超えられるのか。
 どうやっても超えられないのか。


 そもそも、あるのか?ないのか?


 私たちはこの『境界線』を認知し、探り合う。
 時に超えたいと願い、超えられれば歓喜し、安堵し、超えられなければ時に逃げ、時に回避し、時に絶望し、時に忘れたりもする。


 「体」がある以上『境界線』は誰もが持っていて、『境界線』を以て自分を知り、相手を知り、全体を知る。そのプロセスに、人との関わりがあって、自然との関わりがあって、事象との関わりがあって、さまざまなものと関わり合いながら、『境界線』の生ずる「孤独」を知り、向き合い、『境界線』のない ”どこか” へ、運ばれていく。


 孤独を知るために『境界線』がある。
 孤独を超えるために『境界線』がある。


 秩序のために『境界線』をつくったのに。
 その『境界線』が争いを生むこともある。


「先週、子ども連れて高知のアンパンマンミュージアムに、等身大のだだんだんを見に行ったんだよー」
「へえ、等身大って、どれくらい?」
「確か、7メートルだったかなあ」
「ふーん、じゃあ、3階建てよりちょっと低いくらいだね」
「お姉ちゃんやめて?結構大きいねー!って楽しんで来た親子の氣持ち考えて?」


 時々発動する私のリケジョ発言に、笑いながら突っ込む妹との会話を思い出す。血が繋がっていたって、感性も違えば思考も価値観も生活も違う。似ているところはあっても同じじゃない。7メートルと聞いて、「2.5階分くらいなのか、意外とちっちゃいんだな」と頭の中でだだんだんと建物を並べて目測した私は、「アンパンマンたちが戦っている世界観って規模的にはこんな感じだったのかー」と既視感の中で愛らしくも戦う姿を逡巡したが、当然、妹はそうは思わなかった。


 「お姉ちゃんらしいわ」と笑う妹は、私との『境界線』を見えずとも認知していて、特段超えても来ない。私はそれが心地良い。


 こんな平和な『境界線』も存在するんだよなーと、マーブルになって来たアイスクリームを掬い取りながら、心の中で独り言ちる。


 超えられない『境界線』も、認めたくない『境界線』も、アイスクリームみたいになればいいのに。


 味はビターコーヒーのまま、ストロベリーチーズケーキのまま。どちらの存在も感じながら、混ざったって美味しいと思える。溶け合って消えて行くアイスクリームみたいに、「個」を尊重したまま、あらゆる『境界線』が溶け合って、残ってもいいから曖昧で、遠くから見て、まあるくなっていけばいい。地球みたいに。


 「私はチョコミントは選ばないけど、意外とその組み合わせ、美味しいね」って、互いが感じている『境界線』を楽しみながら、溶かしていければいい。そういう「やさしさ」に、皆もっと、触れたらいい。


 『きょうかいせん』が『やさしい』に、なっていけばいい。


 ワッフルコーンの下まで上手くアイスクリームを落とし込みながら食べ終え、買ったばかりの文庫本に手を伸ばす。未だ読まれていないこの本と、私を隔てる『境界線』は、あるのか?ないのか?超えられるのか?超えられないのか?


 この作家の小説だからきっと、やさしい『境界線』に違いない。











 やっぱりレディを救うのは、甘いものだよね。
 





 言葉の海 hana

(画像、可愛かったのでお借りしましたー♡)


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