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命日。 文豪、川端康成先生は『永遠の旅人』として、どこまでも・・・

こんにちは。

今日は、敬愛する文豪川端康成先生の命日です。四十九年前に永眠されました。来年で五十年になります。僕が生まれる前に永眠されましたが、四十九年と数字に表しますと、遠い昔とは思えないものです。
しかし、現代のようにカメラが発達していませんので、先生の映像はほとんどみることができません。ですので、モノクロ映像ならともかく、色付きのん映像が発掘されると、ニュースになるのです。

まあ、そのくらいがよいですね。あんまり知りすぎても、有益に思えません。残された文学があるのですから、それらを読み込むだけで、幸せなのです。

さて、話は変わります。

僭越ながら、僕も小説を書いているのですが、登場人物の名前の書き方を考えることがあります。会話の中で登場人物の名前を呼ばせるか、予告なく名前を書いて人物を登場させるか・・・、色々な描写があります。作家としての楽しみであり、物語に多少の影響がありますので難しいところ。

記憶に残っており、とても好きな場面があります。それは、川端康成先生の『虹いくたび』の一節です。


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男が赤子のおじめを取り替えようとする際、麻子が手伝おうとする場面。おしめは男の慣れた手つきで、速やかに交換が済みました。その後の会話です。


「なれたもんでしょう。」 
 と、男は笑って
「なさったことが、おありですか。」
「いいえ、でも、学校で教わりましたわ。」
「学校でね……? まあ、そんなところでしょうな。」
「出来ますわ。人のするのを見てますし、女ですから……。」
「そりゃあ、出来るでしょう。今にまあ、いやというほどさせられますよ。」
 男は鉄管の上のおしめにさわってみた。
 トランクに「大谷」と名札がついているのを、麻子は見た。
 大谷はいかにも手なれたものであった。女の子のあしのあいだを、三四度やわらかく拭いた。薄赤くなっていて、麻子は目をそらした。大谷は古いのを丸めてから・・・。


『虹いくたび』は母の違う三姉妹を中心の人間もようが描かれた小説です。女性のもつ繊細な心理描写があり、電車内の光景の一つからしまして、物語のもつ空気感をうまく描かれています。
もう・・・、さすが、としか言い表せません。

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これからも、川端康成先生の文学を読み続けたいと思います。

文豪、永遠に。


花子出版   倉岡

文豪方の残された名著を汚さぬよう精進します。