親子の時間

恩師である瀬古利彦さんのご長男、昴(すばる)くんが4月に病気のため亡くなりました。まだ34歳という若さ。あまりに早すぎます。心よりお悔やみ申し上げます。

私が瀬古さんに勧誘されて早大に進学したのが1990年4月。昴くんに初めて会ったのはその年だったように思います。怪我の治療のため、渋谷にあったエスビー食品陸上部のクラブハウスを訪れた際、選手たちの食事を作られていた瀬古さんの奥様について来て、昴君はエスビーの"お兄ちゃん"選手たちと遊んでいました。

瀬古さんは、ご自身が指導を受けた中村清先生がそうであったように、私たち選手とは家族のような深い関係性を築き、実の子どものように見守り、時に愛情を持って厳しくも接してくださいました。
中にはそのやり方に馴染めない選手もいましたが、それまで専門の指導を受けておらず、初めての指導者が瀬古さんだった私は、その指導法にどっぷりハマりました。
指導を受けてまもなく、私自身も瀬古さんやその奥様のことを『東京の両親』のように思うようになりました。
時には甘え、愚痴を言ったりわがままを言ったりもしましたし、挙句には瀬古さんとさながら"親子喧嘩"のような言い争いを何度となくやりました。

現役引退後、私もすぐ指導者になり、コーチとしての瀬古さんを理想としながら上武大学の選手たちを指導する日々が始まりました。
そこで同じように絆を深めた選手たちと口論になるたびに、
"現役時代の自分は何と愚かで、そのうえ瀬古さんに甘えていたのか"
ということに気づきました。

現役時代の私が瀬古さんに対してそんな気持ちで接することができたのは、それだけ瀬古さんが私のために時間を作ってくださっていたからに違いありません。
正月、夏休み、冬休みと時期を問わず、私たちの練習や試合があれば行動を共にしてくださいました。また、チームが休暇期間中も、帰省もせず大会に向けて練習を続ける私を自宅に呼び、昴君ら子どもたちと一緒に夕食を食べさせてくださったこともありました。
当時の私は、そのことを当たり前のことのように思っていました。しかし自分が指導者になり、家庭や子どもを持つ父親になってみて、それがいかに愛情に満ちた行為で、自分が恵まれていたかに気づきました。今では感謝の気持ちしかありません。

昴君は闘病生活が長く、最後の数年は瀬古さんや奥様とも一緒に過ごす時間が多かったそうですが、そのことで家族の絆が深まったと聞きました。
葬儀に参列した際、闘病する昴君と瀬古さん、奥様とで撮られた写真を見て、本来は昴君が享受すべき貴重な『親子の時間』を奪ってしまった、もしくは瀬古さんが与えてくださったことで、私は一人前の選手として育ったのだとあらためて感じて、胸が熱くなりました。

私が日本代表としてアテネ世界陸上(1997年)のマラソンに出場し惨敗。帰国した際、帰りのタクシーの中でのこと。
瀬古さん:『花田、残念だったけど、また頑張ろう…この後は少し休みになるけど実家に帰るのか?』

私:『いえ、結果も悪かったですし、すぐ夏合宿もあるので帰りません。』

瀬古さん:『そうか…じゃあ、よかったらうちの別荘に一緒に行くか?家族で休み中に行くんだよ。』

おかげで私は瀬古さんのご家族と一緒に山中湖の別荘でBBQをしたり、サイクリングをしたりして、心を癒すことができました。
そして、"花田お兄ちゃん、結果は悪かったけれど、よく頑張ったね!"と言って、瀬古さんの子どもたちから"手作りの金メダル"をもらいました。

愛情に満ち溢れた瀬古さんのご家族にあらためて感謝の気持ちをお伝えするとともに、優しい心の持ち主だった昴君の安らかなるご冥福を心よりお祈りいたします。