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花嫁の母と白い皿

 私が結婚したのは21歳になる年のことだ。
 もう23年も前になるが、当時、予想以上に早く訪れた娘の結婚に、母は興奮を隠し切れない様子であった。

 花嫁の母

 というシチュエーションは、母心を酔わせる最高のイベントであり、集大成であったのだ。

 私の結婚は、挙式をするでもなく、ただ婚姻届を出し、実家から転居するだけの、世間でいう地味婚だったのだが、それでも母ははしゃいでいた。周囲から、
「まるでお母さんが結婚するみたいだねぇ」
 などと言われ、私も鼻息を荒くしている母に困惑していた。

 そんなある日、2階にいた母が私を呼びつけた。
 階段を上がり部屋を覗くと、母は押し入れの天袋から取り出したと思われるダンボールに囲まれている。
「なに?」
 訝しげに言うと、母はその段ボールから、劣化のせいで黄ばんだビニールに包まれたものを、うやうやしく取り出した。

「自分の娘が結婚するときのために、これをずっと取っておいたのよっ!」

 年季の入ったビニールからは、未使用の食器や雑貨などがわんさか出てきた。きっと、私が生まれる前から保管されていたものに違いない。

「これなんか、凄くいいものなのよぉ」
 うっとりしながら母が言う。だが、私の目には全く魅力的に映らなかった。見せられるそれらの品々はデザインも古く、夫婦二人暮らしには持て余しそうなものばかりである。
 それでも、かろうじて使えそうなものを見つけ、
「じゃあ、これを2枚ずつ持って行くよ」
 と言うと、

「馬鹿! この食器は5枚でワンセットなのよ! 2枚だけ持って行く馬鹿がどこにいますか!」

 二度も馬鹿と言われてしまった。
 しかもワンセット持って行かないなら譲らないという。こっちもそこまで欲しくはないので、
「じゃあ、いらない」
 と突き返した。
「どうしてよぉ。この日のためにせっかく取っておいたのにぃ」
 べったりとした口調が耳にまとわりつく。
「これだって、これだって、ブランドものなのよぉ。引き出物で頂いたりした良いものなのに。これなんか本当に素敵よぉ」 
 私の好みを無視して、雑貨や皿を押し付けようとしてくる母に、私はうんざりした。
「そんなにいいものなら自分で使えばいいじゃない。私はこんなの要らないよ」
 私の素っ気ない態度に、母は信じられないといった様子で首を振った。

 新生活を迎えるにあたり、私はお皿は出来るだけ白いもので揃えようと考えていた。シンプルな方が管理も楽だし、割れても似たようなものを買い足ししやすい。統一性のないバラバラの柄物のお皿で料理を盛っても、何だか野暮ったい気がして嫌だったのだ。

 母があれこれ見せてくるお皿は、ブランドものではあるが、どこからどう見ても引き出物で、色もデザインもばらばら。昭和チックなデザインは、どこか所帯じみている。これでご飯を食べたら、新婚早々マンネリ夫婦になってしまいそうだ。こんなお皿が食卓に並ぶのを想像しただけで、料理のやる気まで奪われそうだった。

 しかし、一つ二つくらいは何か貰っておかないと、母の気持ちは収まりそうにない。仕方なしに、セットではない物から使えそうなお皿を数点選ぶと、母の機嫌は更に悪くなった。

「何よ! アンタが選んでるの、パン食べてもらったお皿ばっかりじゃないの!」


 毎年春になると、とある企業が自社製品に点数シールをつけ、それを集めれば、白いお皿と交換できるキャンペーンを行なっている。
 気づけば私は、その白いお皿ばかりを選んでいたのである。

 母はがっかりしていた。
 きっと母の頭の中では、
「わぁ!こんなものまで貰っていいの?」
 と言って喜ぶ娘の笑顔を期待していたのだろう。

 今から考えれば、使わなくても貰ってあげた方が親孝行だったかもしれない。

 母の期待に添えなくて申し訳なかったが、ウェディングドレスに袖も通さず、挙式もせず、記念写真1枚ない地味婚をした私には、キャンペーンで貰った白いお皿が、しっくりと身の丈にあっていたのである。





 この白いお皿以上に、丈夫で使い勝手のいいお皿があるのだろうか。
 使うたびにそう思うのですが、寄る年波か、お皿に引き換えるほどパンが食べられず、ここ数年お皿をもらえずじまいです。

歴代の白いお皿がこちらで確認できます。
皆さんがお持ちのお皿は何年製のものですか?


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