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母とウエストサイド物語

 私の母は、指を鳴らすのがうまい。
 中指と親指をこすってスライドさせると、
「パチン!」
 と小気味よい音が鳴る。小さい頃、母を真似て、私も指を鳴らそうとしたが、子供の小さい指では摩擦が少なく、やってもやっても、頼りない音しか出なかった。

 私と姉の前で得意気に指を鳴らしている母を、祖母はよく叱っていた。
「そんな、お行儀の悪いことを子供の前でするんじゃありません!」
 それでも母は、「怒られちゃったぁ」と言った感じで、ペロッと舌を出すと、もう一度、パチンと指を鳴らすのである。
「コラ!」
 祖母が一喝すると、「ヘヘヘっ」と笑ってやめる。こんな母を見ていると、わざと母親に怒られたがる子供のように見えた。

 母は、指を鳴らすときは、必ず、
「ウエストサイド物語のジョージ・チャキリスが本当にカッコよかったのよぉ!」
 と言って身悶えていた。

 「ウエストサイド物語」は1961年に公開された、ミュージカル映画だ。作曲はあのレナード・バーンスタイン。全ての曲が名曲である。
 ジョージ・チャキリスは、その映画で、プエルトリコ系の不良グループ、シャーク団のリーダー、ベルナルドを演じていた。

 映画の冒頭、ベルナルドの初登場シーンで、ベルナルドとその仲間たちの手がアップになる。その指から、パチンパチンと音が鳴っている。指を鳴らしながらステップを踏み、それがやがて力強いダンスへと変わっていく。

 本来であれば、あの素晴らしいダンスを真似して踊りたいところだったのだろうが、いきなりYの字に脚を高く上げられるものではない。母は、せめてあの指鳴らしだけでもマスターしたいと、祖母に隠れて特訓をしたらしい。

 母の指があれほどまでに「パチン!」とキレイに鳴るのは、そんな努力の賜物でもあるのだ。祖母に見つかり、
「不良みたいなことするんじゃありません!」
 と叱られながら、母がひたすら、指をパチパチしていたと思うと、何とも微笑ましい。

 母は、ウエストサイド物語をレンタルビデオ店で借りてきて、私と姉に見せた。ベルナルドの登場シーンで、母は一緒になって指を鳴らして盛り上がってしまい、ちょっとうるさかったのを憶えている。

 確かに、テレビの画面から飛び出してきそうな迫力で踊るジョージ・チャキリスは、とてもカッコよかった。今見ても、大きな襟の赤いシャツを着たベルナルドの色気は、すさまじいものがある。ウエストサイド物語を初めて観た母の瞳が、ハートでいっぱいになったのも無理はない。

 ウエストサイド物語は、移民や、低所得者が暮らすウエストサイドが舞台である。2つの不良グループ、ジェッツ団とシャーク団の対立が、主人公であるマリアとトニーの恋に暗い影を落としていく。
 同じ街で暮らす、同じ年頃の若者たちの対立。何事もなければ、夜通し語りあい、親睦を深め合えたかもしれない。しかし、この若者たちが手を取り合うことはない。ただただ、いがみ合うのだ。
 2つのグループの若者たちの間には、貧困、差別など、様々な社会的問題が底深い川のように流れている。こういった分断が、命を奪い、恋人たちを引き裂いていったのだ。
 シェイクスピアのロミオとジュリエットを下地にした物語でありながら、ウエストサイド物語は、当時のアメリカの問題点を突いた作品でもあった。

 その作品を、スピルバーグが新たに映画化した。
 なぜ今?と思ったが、きっと今だからなのだろう。かつてのウエストサイド物語を観たことのない世代が、新たなウエストサイドストーリーを観る。それは、名作を次の世代に引き継ぐだけではない意味があるのだと思う。
 分断や争いは、今もあちこちで続いている。
 名曲が織りなすドラマは、昔も今も変わらぬ悲劇を、私たちに伝え続けている。




 



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