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本日、地球最後の日

 あー、大地震でも起こらないかなぁ。
 あー、宇宙人が襲来しないかなぁ。
 あー、地球が滅亡しないかなぁ。

 8月31日になると、子供の頃の私はそんな不謹慎な想像ばかりしていた。

 私にとって、夏休みはただの休みではなく、朝が来ることに気を揉まないでいられる、心の休暇だった。

 カレンダーに目をやりながら、あと三週間、まだ二週間、もう一週間。目減りしていく夏休みを眺める。日を追うごとに、心の中は空気でも入れたように圧迫し、小さな棘一つで破裂してしまいそうになった。
 そして、あと一日。

 明日からまた、朝が来ることを憂う日々が始まる。圧迫した空気を逃がすような、大きなため息が漏れる。明日なんて来なければいいのに、と思う。

「今日を地球最後の日にしたい人この指とーまれ!」

 そう言って指を突き立てたら、どれくらいの子がこの指を掴んでくれるだろう。掴もうと近づいてくる子はいるかもしれないが、指を握ってくる子は案外少ないかもしれない。

 もし本当に大地震が起こったら、それを願ってしまった自分のせいだと考えてしまう。そんなことを願ったせいで誰かが辛い思いをするのなら、自分が我慢すればいい。とうの昔に我慢の限界に達しているのに、いざとなったら唇を噛み、諦めたように傷を負うことを受け入れてしまう。
 そして、そういう心根の子を見つける嗅覚に優れた輩が、その子の9月1日を奪っていくのだ。

 あー、大地震でも起こらないかなぁ。
 あー、宇宙人が襲来しないかなぁ。
 あー、地球が滅亡しないかなぁ。

 そう思ったあとには必ず、私の胸に黒い雲のような罪悪感が垂れ込めた。良からぬことを考えている自分を責める気持ちがわいた。

 今日が地球最後の日になることを願いながら、それをダメだダメだと打ち消し続け、それでもやっぱり、今日が地球最後の日になってほしいと願った。子供のくせに、本音と建て前を心の中で戦わせ、どちらも勝たせることができずに、私ひとりの負け戦になった。明日のせいで、8月31日がつらかった。

「明日が来る」

 これを希望の言葉にできるまで、どれほどの朝を迎えなければならないのだろう。そう思った8月31日。今、あの頃の私と同じような気持ちを抱える子たちのことを考える。

 せめて今日くらいは思う存分、地球の最後を願わせてあげたい。不謹慎だなんて責めたりしないで、地震や宇宙人、地球の滅亡を願うことでしか救われない子供たちの願いを聞いてあげたい。

 毎年8月31日になると、私は不謹慎ながら、そんなことを思ってしまうのだ。




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