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気づいたらピェンロー

 今年は白菜が安いらしい。
 軒並み物価が高騰する中、薄緑の外葉をまとってそびえたつ白菜は、まるで救世主のようである。その力強い姿を見ると、私の頭の中には、湯気の上がった「ピェンロー」が浮かんでくる。

 随分前にラジオで、舞台美術家をされている妹尾河童氏の著作「少年H」の朗読を聞いた。ながら聞きしていたので、内容までは思い出せないのだが、聞いていて、おなかがほこほことあったまる、そんな感覚になったのを憶えている。

 「少年H」はドラマ化もされて話題になった作品だ。今でも妹尾河童といえば「少年H」を連想する人は多いと思うが、妹尾さんは「ピェンロー」を日本に広めた人でもある。

 ピェンローは中国語で「扁炉」と書く。妹尾さんの著書「河童のスケッチブック」で紹介され、話題になった鍋料理である。数年前に吉高由里子主演のドラマにも登場し、それをきっかけに若い世代にも広く知られることとなった。


 私がピェンローを知ったのは、十年以上も前のことだ。一度食べたら病みつきになってしまった。鍋の季節になると必ず作る、我が家の定番鍋である。

 ピェンローは普通の寄せ鍋のように、食材豊富で色彩豊かといった賑やかな鍋ではない。出来上がったピェンローは香りはいいが、見た目は実に淡々としている。主な具材は、白菜、豚肉、鶏肉、春雨。ピェンローを知らない人に差し出せば、
「なんだ、ただの春雨スープか」
 そう落胆されるかもしれない。だが、ひとたび口にすれば、旨味の詰まったスープに酔いしれること請け合いである。 

 今月に入り、ピェンローは既に二回も我が家の食卓に上がっている。しかし、二回食べてみて、それなりに美味しかったのだが、心のどこかで、

 あれ? こんなもんだったっけ?

 という気持ちになった。十年以上食べ続けて、さすがに飽きたのだろうか。いつもならば口に含んだ途端、思わず、
「旨い!」
 と声を上げてしまうのだが、前回、前々回は、声を上げるほどではなかった。そのことに、私は物悲しさを感じていた。

 とうとう飽きてしまったか。

 あの味わいに舌が慣れ、感動がなくなってしまったのかもしれない。そう思いながらも、気づいたら私は、またピェンローを作ろうとしている。
 買い置きした白菜が悪くなる前に食べよう。
 冷凍した鶏肉があるなぁ。
 我が家には、夕飯をピェンローにする理由が、いくつも転がっているからだ。しかもその日は雨で寒かった。買い物にも行きたくない。
 私はいつものように白菜、鶏肉、豚バラ肉、春雨、ごま油。キッチンで食材の準備していて、ふと気が付いた。

 ピェンローって、材料これだけだっけ?

 何か大きな見落としをしている気がする。何かが足りない。でもそれが何だかわからない。顔は思い出せるのに、名前が出てこない有名人を探るようなもどかしさで、私は頭を巡らせる。

「あっ!」

 キッチンで私は大きな声を上げてしまった。 
 長年作り続けた鍋料理である。呼吸をするように調理できて当然なのに、それなのに、私は大事なものを忘れていた。それは、

 干しシイタケ

 である。
 おかしいと思っていた。前回、前々回とピェンローを作ったとき、何か物足りない気がしていたのだ。その「何か」こそ、干しシイタケだったのである。私は慌てて、残っていた干しシイタケを探し出し、水で戻した。

 ピェンローの作り方は実に簡単だ。
 白菜をザクザク切って(私はかなり細めに切る)鶏もも肉(私は手羽元を使う)と豚バラ肉を用意し、刻んだ干しシイタケを入れる。あとは干しシイタケの戻し汁も加えて、春雨と一緒に煮込むだけ。
 仕上げにごま油を回しかけ、あとは自分のお皿によそってから、塩を振って食べればいい。ピェンローは、鍋そのものには味をつけず、自分で好みの塩加減にする鍋料理だ。基本は塩味だが、我が家ではポン酢、七味、胡椒、かんずり、いろいろと味変して食べる。

 切って煮るだけの手軽さからは想像もできないような、旨味が詰まったスープができる。鶏の旨味はもちろんのこと、そこに豚が合わさることによって、スープの美味しさがさらに増す。しかし、ここに干しシイタケを入れることを決して忘れてはならない。

 それなのになぜか私は、前回、前々回と、干しシイタケのことを、きれいさっぱり忘れていたのである。なぜ、今まで一度も欠かしたことのない干しシイタケを、二回にわたって忘れてしまったのだろう。
「おかしいなぁ」
 私が首をひねっていると、夫がおどけた口調で言った。

「ピェンローなんて、もう目をつむってでも作れると思っていたんだろうね。ピェンローに対する慢心だね!」

 夫の手厳しい冗談に、私はそうかもしれないと真面目に頷いてしまった。

 慢心とは、いい気になること。自分を過大評価し、自信を持ちすぎていることや、おごり高ぶること、思い上がっていることを意味する。(weblio国語辞書より)

 思い返せば、干しシイタケの無いピェンローは、上辺だけの美味しさしかなく、どこか間が抜けていた。旨味もぼんやりしていて、引き締まった切れ味がない。もし、慢心というものに味が付いていたら、干しシイタケの無いピェンローのような味なのかもしれない。

 そんなことを思いながら私は、湯気がほこほこ上がる、干しシイタケ入りのピェンローをつついた。その味は慢心の味ではなく、思わず
「旨い!」
 と声を上げたくなるような、正しく美味しいピェンローの味であった。




十年以上前から私が参考にさせて頂いている料理サイトです。ピェンローはこちらの記事で知りました。他にも美味しいものがいっぱいです!


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