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『マゼンタの心』

今、自分の心はマゼンタだ。と感じたことはある?

私は今がそう。心の中に鮮やかなアイデアがチョコレートファウンテンのように溢れ出して、今にも溺れそう。真っ赤なドレスがチョコレートの海を揺蕩っていて、コルセットを編み上げたように胸がぎゅっと締め付けられる。せき止められたたくさんの色が私の心をいっぱいにして、今にもはじけそうだからだ。


あの頃は、こんな風に思う日が来るなんて思わなかった。かつての私の目に映るものは無機質な白い壁紙と、使い古して薄汚れたピンクのカーテン越しの光だけ。全てがセピアみたいに、彩度をなくした世界。

世界中の全てを知り尽くしたあとでも、私はこれが好きと言うかもしれない。だけど私はこれ以外に何一つ知らなくて、これが好きだという気持ちに自信が持てないでいる。手元に鮮やかな色の絵の具がないから、白と黒だけを混ぜてくすんだ色の絵を描いただけだ。モノクロこそが最も鮮やかであるだとか、思わない訳では無いけれど。そんなふうに言えるほど、鮮やかなものを私は知らない。これしか知らないから、これしか描けないだけだ。


初めて手にしたのは、イエロー。世間知らずだったあの頃、通学路のひとつ先の道すら知らなかった。その色を見たことがなくても、辞書で引けばそれが何かは分かる。その気持ちを知らなくても、点が取れる答えは書ける。言われた通りにしていれば、良い学校へ行って良い仕事に就くことができる。だけど初めて、それでは嫌だと思えたあの日、私を包んだ黄昏の光。これは、湧き上がる勇気の色。


次に手にしたのはマゼンタ。愛を求めて傷つけあって、最後に残るものは何も無かった。だけど本当にそうだろうか。私は愛のために、未来のために戦った。たとえそれが間違っていたのだとしても。そんな私自身と、かつて共に戦ってくれた人を愛おしく思う。これは、初めて触れる愛の色。


最後に手にしたのはシアン。全てを失ったあとで、信じられるものは自分だけだった。それを今は悲しいとは思わない。どう誤魔化そうとも誰もがみな孤独であり、それを慰めるために寄り添うだけだ。これはそのひとつの手段。誰かと何かを分かち合うために、私は描き続ける。これは、何にも奪われない私の夢の色。


全部の色を混ぜ合わせたら、ノスタルジックなセピアになった。だけど今は、どんな色も作れる。どんな色も作れる私が描いたセピア色は、あの頃のセピアとは違う。他でもない私が選んだ、私だけの色だ。


それはアイシングで綴る言葉であり、耳を飾るアラザンのイヤリングであり、砂糖細工でできたドレスであり、そしてそのどれでもない。まだ見たことのない何かを見たい。私の心の中だけに存在するそれを形にしたい。マグマの中でゆっくりと育てられて、大切に磨きあげられた煌びやかな宝石にどれ一つとして同じものがないように、同じ名前で呼ばれても、同じ色をしていても、それは私だけのものなんだって、私の全てで叫び続けていたい。


『マゼンタの心』


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