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触察ハラスメント

 地元の盲学校の小学部だった頃、校外学習で水産加工場に行った時のこと。
 先生がおねがいしたのか、対応してくれた加工場の人のご厚意だったのかは分からないが、せっかくだからとカニの腸を触らせてもらえることになった。
 それまで覆われていた堅い殻が開いて、露わにされたカニの内臓を触った瞬間、プチプチっとした何とも言えないような感触と音に気持ち悪くなり、その場に座り込んでしまった。
 以来このことがトラウマとなりカニが食べられなくなった。

 そんな話を、昨日の作業のプログラムの時に話したところ、担当だったスタッフのTさんがこう言った。
「全盲だからなんでもかんでも触らせてあげればいいっていうような対応もおせっかいですよねえ。その人にとって絶対に触りたくない物だってあるんだからさあ」
 そのような言葉が支援してくださる側の立場の人間から出てきたことが、私はとても嬉しかった。と同時に、触りたくないと思う物を触らせられることが、自分はとても苦痛に思っていたことに今更ながら気がついた。

 私は子どもの頃から、虫や魚や爬虫類といった毛のない生き物に触るのが嫌いだった。
 しかし盲学校や作業所にいた時など、先生やスタッフさんから「触ってみないと分からないから」とそのような物に触らせられる機会がよくあった。
 私が「触りたくない」とどんなに拒否しても、「見えないんだから触らなきゅ分からないでしょ」と言われて、嫌嫌ながら触らされていた。
 目が見えないからどんな物でも触らないといけないんだよなあと思って、いつしか触りたくないと思う気持ちを諦めるようになっていたのかもしれない。だからそのようなことを苦痛だとは思わなくなっていたのだろう。

 もしかしたらこのようなことは、今の時代ハラスメントになりそうな事案かもしれない。
 触察ハラスメント、略して触ハラだろうか。
 なんでもかんでもハラスメントで片付けてしまう現代の風潮も果たしてどうなのだろうかとも思う。
 しかし全盲者にとって、触りたくない物をむりやり触らせられることで、抱えなくてもいいトラウマを植え付けられてしまったり、よけいにいろんな物に触ろうとする意欲や好奇心が削がれる可能性だってあると思う。そっちの方が問題ではないだろうか。

 私はべつに触察ハラスメント、触ハラを世の中に浸透させたいとまでは思っていない。
 それでも全盲者に何かを触らせる時には、その人の触りたいか触りたくないかの意思を、触らせる側は尊重してあげる必要はあると思う。
 そして触らせられる全盲者側も、自分は○○は嫌いだから、○○の感触が気持ち悪いから触りたくないという意思を、もっと相手にはっきり伝えてもいいと思う。

 確かに全盲者は触らないと分からないことの方が多いかもしれない。それでも自分が触りたくないと思う気持ちは、けっして捨てなければいけないものではないのだ。
 昨日のTさんの言葉で、ようやく何かから解放されたみたいで、心がすっと軽くなったような気がした。

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