見出し画像

夜の来訪者

じわりじわりと時計の針が進むように、君は気づくとそこにいる。

最初は、ほんの小さな気配。
気のせいかもしれない、と思う。
夜だから、変な時間に起きちゃったから、眠いのか、そうじゃないのかもわからない。身体が迷子になっているだけだよ。と言い聞かせる。

眠れずに、または眠らずにいると隣にやってくる。
膨らんだ違和感を追い払うことはもうできなくて、小指の先をぎゅっと握られている。

せっかくそんなに近くにいてくれるなら、抱きしめて「だいじょうぶだよ」と言ってくれればいいのに。

それができないから、君の名前は「不安」と言うんだろう。

君との付き合いはもう長いものだから、やさしく受け止めることもできる。
わたしのほうからぎゅっと手を握って、「大丈夫だ」と言う。
不安には理由があって、それをひとつずつ紐解いてあげればいい。
眠れないのが不安なら、「目をつむるだけで体力は回復するよ」「起きるまでの時間はたくさんある」と言い聞かせ、「うとうとしている時間って、なかなか幸福ではないか」と明るく肩を叩く。
眠れない理由が明日の仕事のことならば、手順を考える。もしかしたらわたしが間違えていたかもしれない、と不安になるけれど「どちらにせよ、電話をして確認をしなければ物事は進まない」と理解する。間違えていたら送り直せばいいだけだ。それは、楽しい仕事ではないけれど、取り返しのつかないことではない。

物事を順番に考えることで、不安は帰っていったり、小さくなっていったりする。
そのことを、わたしはもう知っている。

知っているのに、握られた小指がじんわりと熱いまま、動けない夜がある。
そういうときは決まって夜だった。
うまく眠れない。
うまく逃げ出せない。

花の水を替えて、洗濯をしたけどだめだった。
淹れた紅茶が妙に美味しくなかったのも、悪手となってしまった。

たぶん、誰も気にしていないのにわたしだけが気にしている。
これはわがままで、身勝手な考え方なのかもしれない、と思う。
「言わなきゃよかった」とか
「わたしが我慢すればよかったのかな」とか
「嫌だと感じてしまうわたしが卑小なのではないか」とか

ほんとうは誰かに「そんなことないよ」と言って欲しかった。
親愛なるひとはきっと、「最初から言ってくれればよかったのに」と笑ってくれるだろう。
そう、わかっているのに。
その声を聞くまで、安心できないような夜がある。

だから不安は、どこへも行かない。
誰かの言葉を待っている。
わたしが、「大丈夫だ」「そんなことはない」と、言ってあげられたらよかったのに。

気づいたら朝になっていた。
ひかりが、さっきまで見えなかった部屋の様子を映している。
わたしはここに、座っていただけなのに。
紅茶はまずいままなのに。
見えるものが増えたことに安心してしまうのは、ひとの本能だろうか。

わたしは冷蔵庫を開けた。

不安と孤独がやってくるときは、おなかが空いていることが多い。
「満腹の幸福」は、けっこう強気に招かれざる隣人をはねのけてくれる。

こんなときは、あたたかいものを食べよう。
特別に美味しくなてもいいから、いつものお茶を淹れよう。
食べることは生きることで、
懸命に生きていれば、自然と、気づくと解決してゆくことがあると、わたしはもう知っている。
何かが解決するわけではない。後回しにしているだけかもしれない。
でも、あたたかいものに満たされたわたしが平気な顔で笑って、解決してくれると信じている。
少なくとも、いまのわたしよりはましなことを言ってくれる。
うん、そうだ。信じよう。

わたしの小指は、ゆっくりと開放された。
不安は朝日が苦手だった。あたたかいお茶も、むやみに信じる心も。

そして、「もう遊んでくれないのか」とでも言うように唇を尖らせたあと、溶けるように帰っていった。






※今日のBGM(夜)


※今日のBGM(朝)




スタバに行きます。500円以上のサポートで、ご希望の方には郵便でお手紙のお届けも◎