テレビのある暮らし
若者はテレビをあまり見ないとよく言われているが、私はまあまあ見る方だと思う。
好きな番組を選んでの視聴ではあるが、何かしら毎日見ている。
しかし大学時代、一人暮らしを始めた頃の私は、テレビから離れようと決めてそれを実践していたこともあった。
なぜかというと、毎日無意識でリモコンに手を伸ばし、心から面白いと感じているのか分からないままテレビを見ることに疑問を抱いたからだ。
当時は、バラエティーだけでなく、ニュースも含めてあまり見ないようにしていた。
その代わりに、配信サービスで、興味のある映画やドラマを視聴した。
結果として、それはそれで有意義な時間を過ごせたのだが、いつしか何とも言い表しがたい寂しさ・疲れのような感情を覚えるようになった。
何だか、心もとないのだ。
実家では、朝や夕方には、自分の部屋にいるとニュースの音が遠くから聞こえていた。それが自然だった。
一方、音がない生活は、少しの期間は新鮮で価値あるものに感じられたが、しばらくすると味気なさも生じてきたように思えた。
そして、数ある映画やドラマの中から1つ選んで集中して見るという行為にも、疲れてきた。
物語を楽しむには、それなりの心のエネルギーを要する。
適当に流れているテレビをぼんやり見る、という行為とは良くも悪くも異なるのだと実感した。
そうして、私はテレビを見ることを自分にまた許し始めた。
ニュースは時に知らなくてもいい情報まで伝えてくるし、テレビ番組を見ている時間は有意義とは言いがたいかもしれない。
でも、四六時中有意義な生活を送る必要はないだろう。
ある意味、私にとってテレビをぼんやり見る時間というのは、無駄で、だからこそリラックスできる時間であるのかもしれない。
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