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ハッピー・プロポーズ 

 誕生日にプロポーズする。
 僕は、遠距離恋愛中の彼女の誕生日に、結婚を申し込むと決めていた。準備は万端に整えた。エンゲージリングも彼女には秘密で用意した。  

 今年の、彼女の誕生日は金曜日だった。
 仕事は午後から休みを取り、スーツ姿のまま、14時04分発、東京発長野行きの新幹線あさま615号に、僕は乗った。   
 自由席の車両は混んでいて、空いている席はひとつだけだった。白髪の老人の隣、通路側の席に僕は座った。
『今、新幹線に乗った』 
『1時間47分後に会えるね。楽しみ楽しみ』 
 ポケットからスマホを取り出しLINEを送ると、すぐに彼女からの返信。この二年間、僕たちは何度、このやり取りをしただろう。

 発車のアナウンスが流れる。
 文庫本でも読もうと、僕は膝の上に置いたリュックサックに手を入れた。とたんに、さぁーと音を立てるように血の気が引いた。
 うそだろ? 
 リュックサックを見た。ナイフで裂かれたような大きな切れ目がある。 
 ない。財布がない。そして、彼女へのプレゼント、エンゲージリングが入った小箱もない。  
 僕はスーツのポケット全てに手を入れた。立ち上がって、ズボンの前と後のポケットにも手を入れた。
 ない。本当にない。どこにもない。
 リュックサックの中のものを全て取り出して確認した。ホテルに一泊だけの予定だから、小さく畳んだシャツと下着と靴下を入れていた。あとは文庫本。それだけしかない。

「どうしたんだね?」
 顔色を変えて、立ったり座ったりゴソゴソする僕の姿を見かねたのか、隣の席の老人に声をかけられた。
「ここに入れてた財布とか、なくなってて」 
 パニック状態の僕は情けない声を出し、しつこくリュックサックの底をかき混ぜた。
「あぁ、やられたな。スリだね」
 リュックの裂け目を見た老人が、眉間に皺を寄せて、そう言った。
 僕はまだ諦めきれなくて、着ているもの全てのポケットの裏地をひっぱり、ひっくり返した。そうせずにはいられなかった。
「財布だけか? 盗られたのは? クレジットカードは?」
「スマホ決済を利用しているから、財布には現金が少しだけです。カードも入れていません」 
 老人は、うなずいた。
「あぁ、最近の人は現金を持たないな。わしは、現金派だが」
「あと、箱。指輪が入った箱も盗まれました」「指輪?」

 老人と話しているうちに、僕は少し落ち着きを取り戻した。いや、落ち着くために、老人に打ち明けた。
「今日、プロポーズする予定だったんです。彼女の誕生日なんです。箱にはエンゲージリングが入ってました」
「婚約指輪か。なるほど、誕生日にね」
 念入りに選んだ婚約指輪。給料三か月分を注ぎ込んだ、小さなダイヤモンドの付いた指輪。
「はぁああ」 
 ため息が出た。この日のために、どれだけの計画を立てたか。いや、それよりもなによりも縁起が悪くないか? 泣きたくなった。
 指輪なしでもプロポーズするか? それとも延期するか? 出鼻を挫かれたら、しない方が良いのか? 
 僕は考えた。考えている間にも新幹線は時速260キロで長野に向かっている。彼女に向かって走っている。

「実は、わしも五十年前、妻の誕生日に結婚を申し込んだ」
 隣の、窓際の席の老人が言った。
 僕は、思わず老人の顔を見た。
「金がなかったから、婚約指輪も結婚指輪もなし。式もなし。妻には苦労ばかりかけたけどな、わしは幸せだったよ。今日は、長野に、その妻の墓参りに行くところなんだ」
 車窓から見える景色は、すごいスピードで流れていく。老人の過去は、どれくらいのスピードで流れたのだろう。白髪の落ち着いた紳士。幸せな人生を歩んできたのだろう、皺まで微笑んでいるようだった。
「事情を説明して、結婚を申し込みなさい。指輪なしでも、いいじゃないか」 
 老人の静かな声。皺の中の優しい目。
 僕のあわあわと慌てていた心が、すうっと鎮まってきた。そうだ、縁起が悪いなんて考えるんじゃない。これからの生活は、僕たち次第なんだ。
「人生、予期せぬことは何度でも起こる。指輪がなくなったのはショックだろうが、それぐらいで諦めてたら、何も始まらないよ」
「はい。そうですね。そうします」
 腹は決まった。よし、やっぱり今日だ。彼女の誕生日に、プロポーズするんだ。  

 それから長野駅に着くまで、僕は隣の席の老人とおしゃべりをした。
 僕の祖父は、僕が幼いときに亡くなってしまったけれど、もし生きていたら、こんな風に僕の隣にいてくれたのかもしれない。
 15時51分、新幹線あさま615号は、彼女のいる長野駅に着いた。

 結果から先に言う。 
 盗まれた指輪は無事に戻ってきた。

 あの日、僕は彼女にプロポーズした。
 予約していたレストランで、指輪が盗まれたという事情を説明して「結婚してください」とシンプルな言葉で申し込んだ。
「はい」 
 彼女は笑顔で応えてくれた。 
 それから僕たちは食事をしながら将来について語り合い、幸せな気分でホテルに戻った。
 そして茶封筒を受け取った。ホテルのフロントに預けられた、僕宛ての茶封筒。
 封筒の表には僕の名前。封筒の裏には『新幹線で隣に座ったジジイより』とあった。 
 なんと、僕の財布と指輪は、その封筒の中から出てきたのだ。
「ええー、なんで? 」 
 茶封筒にはノートを破ったような紙も入っていた。えんぴつで書かれた手紙だった。僕と彼女は、その手紙を読んだ。

…………
 すまなかった。 
 スリたる者、盗んだ品を返却するなんて恥の極みとも思ったが、キミの話を聞いて、昔の幸せだった日々のことを思い出してしまった。  
 新幹線の通路で、わしがよろけたフリをしたとき、キミは後ろから手を差し伸べてくれた。そのときだよ、キミの後ろに居たわしの仲間が、キミのリュックをナイフで切った。
 スリの典型的な手口だから、今後は背後にも気をつけなさい。   
 仲間は発車前に新幹線から降りた。盗んだ品と一緒にね。
 わしは、キミに話した通り、墓参りに行く予定があったから、そのまま新幹線に残った。予定外だったのは、キミが隣の席に座ったということだ。
 キミと話すうちに、わしも年貢の納めどきだと思ったよ。最近は現金を持ち歩いている奴も減ったしね。ちょうど妻の墓参りに行く日に、プロポーズする青年に会ったのも、もう引退しろってことなのだろう。
 新幹線の中では、あぁ、孫が生きていたらキミのような好青年になっていただろう、なんて思ったけど、わしに子供はいないから、もちろん孫ができるはずもないな。
 孫もどきに、もうひとつ忠告しておこう。キミはペラペラしゃべり過ぎる。姓名判断だと言われて名前を教え、観光地を教えるというと宿泊先まで言った。キミのおしゃべりのおかげで、指輪は返せるのだけど、キミは典型的な騙される男だ。今後は、その点も気をつけるように。
 プロポーズは上手くいったかね? 
 若い二人の幸せを心から祈る。

 追伸 東京から長野まで盗んだ品を持ってきた、仲間の新幹線往復運賃だけは財布の中からいただいた。  

…………

 僕と彼女は、声もなく顔を見合わせた。先に彼女が吹き出した。次の瞬間、二人で笑った。腹の底から大きな声で笑った。
 そして、一度盗まれたエンゲージリングを彼女の指にはめた。二人とも笑いすぎたからか、目に涙を溜めていた。

 以上が、三か月前の彼女の誕生日、僕がプロポーズした日の出来事だ。 
 11月11日。本日、僕たちは入籍する。  


  

 参加させていただきます。  
 お題 #誕生日  

 2023.11.11 新作

   

 

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