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金髪な心意気

 私は公園のベンチに座って煙草を吸っていた。頭をらして、天に向かって煙を吐く。
 明香あすか、これからどうするつもり? 煙草なんか吸って。だから、あんたは……。
「だから、あんたは……」
 朝、親が呑み込んだ言葉を、煙の向こうの青空からするすると引き寄せた。
「……ダメなんだ」
 二か月前に離婚して、実家に戻ってきた。離婚のゴタゴタで精神的にぼろぼろで、希望も自信もなくなった。仕事を見つける気力もなく、実家でだらだらとした毎日を過ごしている。
「傷ついてるんだけどな。誰も慰めてくれないよね」
 青空と公園と鳥の声。そういうものが万人の心をいやすと思ったら大間違い、と最近私は学んだ。何にも癒されない私。
 絶望というタイトルの絵を描けと言われたら、この爽やかな景色と青いワンピースを着た女を描くだろうなぁと思ったあと、私は自分の思いつきをふんと嘲笑あざわらった。

 向こうから、犬を連れた白髪の女性が歩いてくる。この二か月、この公園で煙草を吸っているときによく見かける人だ。誰とも接触したくない私は、そっとうつむいて、女性が通り過ぎるのを待った。
「こんにちは」
 挨拶をされて、顔を上げると、白髪の女性が笑顔で目の前に立っていた。横にはくるんとした尻尾の白い犬がいる。
「ねぇ、あなた、いつも素敵なワンピースを着ているわね。それ、どこで買ってるの?」
 いきなり、思いもよらない質問をされた。
「えっ? あぁ、自分で作ったんです」
 私は、小さな声で答えた。
 不審者かどうか確かめているのか、白い犬が鼻先を私のふくらはぎに押しつけて匂いを嗅いでいる。
「まぁ、あなたが作ったの。洋裁が得意なのね、羨ましい」
 白髪の女性が私の隣に腰かけたので、慌てて煙草を揉み消した。
「あなたのワンピース、いつもお洒落よね。昨日着てた赤い花のも良かったけど、今日の青も素敵。私も、そんな感じのワンピースが欲しいなぁって思ってね、いつも見ていたの」
 足元で、白い犬がうんうんと頷くように、首を振っている。
「ねぇ、私のも作って欲しいって言ったら、怒る?」
「はぁ?」
 私は、目の前の白髪の女性の顔を見つめた。始終、笑顔の女性。
「いえ、怒りませんけど」
 洋服を作ることは、唯一の趣味で特技。その特技を褒められて、首の後ろがくすぐったい。 
 褒められること自体が本当に久しぶりだった。大人になってから褒められたことなんかあったっけ? 犬がじゃれつく足もくすぐったくて、私は犬の頭を撫でた。
「じゃあ、本当に作ってくれないかしら? 代金はもちろんお支払いします。ね、お願い」
 初めて言葉を交わした人が、両手を顔の前で合わせて子供のようにお願いをする。その顔から、視線を逸らすことが出来なかった。
「こんな服で良かったら、いいですよ。どうせ暇ですし」
「わぁ、本当? 嬉しいわ」
 白髪の女性は、手を叩いて大袈裟に喜んだ。
 白い犬もうぉーんと鳴いて、私の足をぺろぺろと舐め始めた。

 女性は由紀という名で、七十三歳だった。
「じゃ、さっそくお願いね」
 公園のすぐ側にある由紀さんの自宅に、私は連れて行かれた。
「この犬の名前はね、カツヤさん。私が昔、好きだった人の名前よ」
 犬のカツヤさんの頭を撫でながら、由紀さんはそう言った。
 古い家のリビングで、私は渡されたメジャーを使い、由紀さんの全身のサイズを測って、それを紙に書き留めた。 
 私は、高校生の頃から自分の服は自分で作っていた。東京に出ていったのも、服飾専門学校に行くためだった。洋服もお洒落も大好きだった。
 でも、人に頼まれて服を作ったことはない。由紀さんの身体のサイズを測りながら、ポルカドット柄のワンピースが似合いそうだなぁと思った瞬間に、私の身体の中で何かが踊りだした。タカタカタカタカ、ミシンを踏む音のようなリズムが、身体の中心部から聴こえる。
「何色がお好きですか?」
「ピンクと黒よ」
「布選びは、どうしましょう」
「明香ちゃんに任せるわ」
 犬のカツヤさんは、部屋の隅に寝そべったまま私と由紀さんを見つめている。ときどき尻尾を振りながら、にやりと笑うように舌を出した。

「まぁ、明香ちゃん、あなた天才?」
 出来上がったワンピースを持参すると、由紀さんはすぐにそれを着て、大きな鏡の前に立ち、くるくると身体を回転させた。
 ダーツを駆使して作ったワンピースは、由紀さんの垂れてしまった胸やお尻を丸く包み、優しい曲線を描いた。私自身も満足のいく出来だった。
「由紀さん、ちょっと良いですか?」
 私は、由紀さんの肩まである白髪をまとめて結び、ピンで留めてあげた。そうすると今度は化粧も気になった。
「由紀さん、お化粧品、貸してください」
 眉を描き、口紅を塗ってあげた。
 鏡の中の、由紀さんの目がより輝いた。私の母親よりも年上の女性。その顔が、表情が、どんどん変化していく。
 やっぱり女って良いなぁ、と久しぶりに思った。

 二枚目のオーダーは、ブラウスとパンツのセットアップだった。出来上がったものを由紀さんの家に持参すると、他に三人の女性が待っていた。七十代八十代の女性たちだった。
「私が着てるのを見てね、みんなが、素敵、モデルさんみたいって褒めてくれてね、欲しい欲しいって言ってるの。明香ちゃん、みんなにも作ってくれない?」
 それからは、出来上がったものを納品するたびに、由紀さんの友達を紹介された。田舎街に住む女の口コミは、最強の威力を持っている。友達の友達、そのまた友達。顧客がみるみるうちに増えていった。
 私は、それぞれのデザインや柄が重ならないように気を配った。各々の体型や個性が生かせるように工夫をして、心を込めて作った。
 出来上がったものを持って行くと、由紀さんの家に集まった女性たちが、すぐに試着した。
「まぁ、それ着たら、吉永小百合みたい」
「あなた、十歳若く見えるわよ」
 部屋中に響くシニア世代の笑い声。この世代がこんなに華やかだとは、私は知らなかった。試着をして、持ち寄ったお菓子を食べながらお茶を飲み、けたけたと笑う。
 その笑い声のあいだをぬって、犬のカツヤさんがハァハァと息を弾ませよだれを垂らしながら、嬉しそうに走りまわった。

「明香ちゃん、今度、ファションショー開催してみない?」
 ある日、由紀さんが言った。
「はい? ファッションショーって?」
「明香ちゃんのお洋服のショーよ」
 私の背中をぱしぱしと叩いて言う。
「モデルはね、私やお友達。場所は公民館のホールが良いと思うの」
 眉の描き方も上達して、由紀さんはますます綺麗になっている。私は、由紀さんの顔をまじまじと見た。
「ねぇ、ファションショー。すごく面白くなると思わない?」
「私なんかに、できるかな?」
「できるわよ」
 由紀さんの頭上にスポットライトが見えた。ライトは、自分の心で設置して、自分に当てることができる。昨日より、ちょっとだけでも明るい顔になれたら良い。そう、由紀さんが教えてくれたことだ。
「そうですね。できる。うん、やります」
「決定ね」
 由紀さんは、私の手を握って飛び跳ねた。
「明香ちゃん、ひとつだけお願い」
「はい?」
「モデルの私には、金髪のカツラかぶせてね。私、死ぬまでに一回、金髪になりたかったの」
「金髪ですかぁ」
 私は笑った。心の底から。
 そして、金髪に似合う色は何色だろうと、もう考え始めていた。
「ワンワンへっへっへっ」
 部屋の隅で、犬のカツヤさんも笑っていた。




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今日は、昨日よりちょっと明るい、そんな日々の繰り返しになりますように。それが #2024ねんのゆめ
今年もよろしくお願いいたします。



 

 
 

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