中国人、韓国人、日本人それぞれに欠かせない「それ」
北東アジアに暮らすそれぞれの国の人たちは、地球上のどこに行っても欠かせない「それ」があるようだ。その「それ」とは。
1 中国人の場合
搾菜(ザーサイ)
中国人は搾菜を好むようだ。地球上のどこに行っても「あの味」が楽しめるよう搾菜の真空パックなどがもてはやされる。以前東アフリカのセイシェル島の離小島へ観光に行った時、たまたま中国人グループと出会した(中国人とは地球上のどこに行っても遭遇するが。「アフリカの角」ソマリアの隣国ジブチでも同様の体験を)。ランチタイムになり観光客がそれぞれ持参した弁当などを食べ始めると私たちを見て中国人と思ったのか中国人グループの一人が中国語で話しかけて来た。私たち日本人だとわかると彼が持っていた「搾菜」のパックを私たちに「恵んでくれた」。 こんなところにまで「搾菜」を持って来ているのかと驚くと同時に日本を出てから数年経ってのことだったので、その「搾菜」の味が特段のご馳走として、また懐かしい味として五臓六腑に染み渡ったことを思い出す。中国人にとっては「搾菜」は欠かせない一品か。
2 韓国人の場合
キムチ
中国人の「搾菜」同様、韓国人がどこにでも持ち歩く「それ」はキムチ。今では日本中のどこのスーパーの店頭にも並ぶキムチ。その昔学生時代に韓国がまだ軍事政権時に訪韓した時、韓国の明洞ですらまだまだ発展途上で釜山に至っては田舎町の様相だった。その釜山と山口県下関を結ぶ関釜フェリーに乗り込んで日本に帰国した時にみた光景が今でも忘れられない。
釜山を出港した途端、私たちの周りにいた乗客が取り始めた行動。それは持参した夕食弁当と「キムチ」だった。周りはほぼ韓国人だらけで、その周りの人々が一斉に「キムチ」を食べ始めたのだから船内はキムチ臭が漂い、息苦しいくらい。この時思った。韓国人にとっての「それ」はキムチなんだと。
日本と韓国の悲劇の根源は、支配した側と支配された側があまりに近かったという地政学的なものも一因と言われ、これまで日本におけるキムチの市民権も低かったがその後キムチの有益性なども見直され今やキムチが嫌いな日本人はいないくらい普及し「和風キムチ」なるものも出現し、スーパーで好みのキムチを選ぶのにも結構迷ってしまうほど。
3 日本人の場合
日本人の場合、それは人によって違うと思われるが現代ほど海外旅行が日常化して世界のどこにでも日本食レストランや日本食材を販売するスーパーが普及していなかった頃には海外出張でそれぞれの海外都市に居住していた方々、そして自分が海外に居住していた頃に喜ばれ、嬉しかった品々は
梅干し、お茶漬け、沢庵、醤油、日本茶
など「それ」がないとホームシックになりやすく、また心から欲しがる一品だった。この他にも
生ふりかけ、虎屋の羊羹、日本のお菓子、チキンラーメン、日本のカップヌードル、明太子、おかき
などが嬉しかったことを思い出す。今でも海外旅行に出かける年配の方々などは身に覚えがあるのでは?
ことほど左様に、中国韓国日本の人々が海外に出てもなくてはならない「それ」はある意味嗜好が共通しているように思える。国は違えど北東アジアという括りで言えば嗜好が似ていても不思議ではないのかな。
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