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一般人は論破することに意味がない

論破という行為は、意見の言い合いの際に重要視され、いかに相手の反論を封じて自分の意見を主張する手段として捉えられることがありますが、それは単に相手を言い返せなくしただけに過ぎません。意見の言い合いの目的は論破して言い返せなくするのでも、勝ち負けでもなく、自分の意見と相手の意見を交換し、新しい洞察を得るための手段として捉えるべきです。
この意見のやり取りの過程で、自分の知識の不足や誤りを認識し、相手の意見を尊重して考えを修正することが可能となります。

一方、テレビやエンターテイメントにおいて、議論の際にどちらの意見が勝っているか、負けているか、どちらの意見が優れているかが評価されることがあります。
視聴者の中には過去に言い返せなかった経験を持つ人もいるため、他人が言い返せなくなる様子を見て喜ぶ人もいれば、困っている姿を見て喜ぶ人もいるので、それが娯楽として提供されることで視聴者が増える利点もあります。また一般の人々もこのような番組を視聴することで影響を受け、自らの意見を固め相手の意見に負けないように主張する傾向がありますが、それが本質的な議論や理解の向上につながるかは疑問です。

議論や意見の言い合いは、自分の知識の不足や誤りを認識し、自分の意見と相手の意見を融合させて新たな解決策や洞察を得ることが目的であり、単なる競争や勝ち負けではありません。むしろ、相互理解や知識の共有を促進する重要な手段です。その本質を見失わずに、お互いの意見を尊重し合い、建設的な議論を行うことが大切です。


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