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《仏教》世の中は理不尽

理不尽は人がつくるものだと思っていた。

しかしよくよく考えると、生物の機能そのものが理不尽を生んでいるということに気付いた。

代表的なものは、《》だ。
これは人間だけではなく、全ての生き物の定めだ。

致死率100%かつ、同じ人物としてのやり直しもきかない。
死んだら終わりなのだ。
そしてこの《死》というイベントは、いつ来るかが分からない。これも理不尽だ。目標があっても、財があっても、人脈があっても、5秒後に交通事故で死ぬ可能性がある。
自分自身ならまだしも、他人にもこのイベントは訪れるのでなおさら辛い。

そして《老い》だ。
これもどうにもならない。
必ず死ぬことを約束された上に、身体的な機能がだんだんと劣化してゆく。
思うように体が動かなくなる。これも約束されている上に、時間が経てば経つほど劣化も激しくなる。

さらに《》だ。
これも生物とは切っても切り離せない理不尽機能だ。
癌やアナフィラキシーショックなどはそうなのだが、自分の細胞が突然変異し、自分自身を攻撃し始める。
嫌がらせとしか思えない。
菌や外的要因の病ならまだマシなのだが、自分の内面にある要素が自分を苦しめることがある。特に癌は老いとセットで訪れるうえに、患う確率が非常に高い。

もっというと、それらを理不尽だと感じる人間の脳が理不尽だ。

僕はペットを飼っていた経験があるが、動物たちはそんなことを考えない。悩まない。その日その日をただ懸命に生きている。そして死んでいく。
余計なことなど考えずに天寿を全うしていく。
宗教や哲学にすがらなくても逞しい。

人間は中途半端に頭がいいから、中途半端に本質に気づいて苦しむ。
苦しむのは世の中に救いを求めているからだ。

救いなど無いと割り切ろう。

環境や他人だけではなく、自分自身の心体さえも思い通りにはならない。
この世は所詮、何ひとつ思い通りにはならない場所なのだ。
しかしそれを受け入れることで、皮肉なことに苦しみから解放される。

これは世の中の真理であり、真理に気づいた釈迦の思想である。

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