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《良心を持たない人たち》紹介①

不倫をして世間から叩かれてもケロッとしている人ってサイコパスなのではないか、と思ったのがきっかけで、サイコパスについて調べた。
書籍があったので、買ってみた。金を出したので期待している。Wikipediaやpixiv、ニコニコ大百科以上の情報が欲しい。
買ったのはなんでこの本を選んだのかは分からないが、まあその時の気分だったのだろう。納品書には10月17日と書いてある。2ヶ月前(笑)


概要

2012年発売。
作者マーサ・スタウト。
単行本は2006年に発売されていたらしい。

平然と嘘をつき、涙で同情を誘い、都合が悪くなると逆ギレする─────本来、人間に備わるはずの良心をもたないがゆえに、他者への思いやりが絶対的に欠落し、手段を選ばずに自分の欲望を満たそうとする人たちがいる。25人に1人いるとされる”良心を持たないサイコパス”の実態を心理セラピストが明かす。彼らの被害者にならないための見分け方と対処法を教える一冊。

裏表紙

作者のマーサ・スタウト氏はハーバードの精神医学部で25年間勤め、カウンセリングを行っているとのこと。説得力がある。日本語訳は木村博江氏。
著作権違反にならないよう、内容はなるべく買えないまま、文章は変えています。

はじめに

人の心は、その顔以上に千差万別だ。

ヴォルテール

人は誰にでも良心が備わっていると、僕らは考えがちだ。なぜなら《良心が欠落した人間》というのを見たことがないから。猟奇的な殺人犯とかなら別だが、そんな人は滅多にいない。

良心がない人間はほとんどいない─────

いたとしても隠せずに極端な犯罪行為を起こす─────


本当は良心がないくせに、あるように見せかけられる人間がいるとしたら。

良心の呵責がなく、上昇志向が高い場合は道徳や倫理など一切無視し、証拠隠滅、裏切りだってなんのその。
達者な口から発するのは巧妙な嘘。真実も混ざっているからタチが悪い。
感情に足を引きずられず、常に合理的な判断ができるため、ビジネスにおいては成功しやすい。経営のためには解雇宣言だって罪悪感を持たないのだから。

能力が低い場合ならば、理想と現実のギャップで他者に怒りを覚え、人を脅すようになるだろうと本書には書いてある。自分より能力がある人間の足を、どんな手を使ってでも引っ張ろうとする。

暴力的な傾向があった場合は、前述したような殺人鬼になるとのこと。

中にはそういう《力》には全く興味のないサイコパスもいる。
何に対しても意欲は持たず、努力はしない。
そんな怠惰な人間を見れば、周りの人間は否定的な目でみてくるだろう。しかし良心がなく、罪悪感も感じないため、気にならない。
自分を無責任で怠惰で恥ずかしいとも思わないとのこと。

ただし表面的に擬態はする。口では「自分はダメ人間だ」「生きていることが恥ずかしい」と言う。
誰かと性的な関係を築けていた場合。その相手の良心に漬け込んで、生活費をむしり取ることだって造作もない。
合理的だと判断できれば、相手がどう思おうと実行するだけなのだ。

これらの性格タイプを専門家は《反社会性人格障害》とした。割合としては25人に1人らしい。
ざっと特徴を挙げている。

  1. 社会規範に適応しない

  2. 人を騙す

  3. 衝動的

  4.  易怒性

  5. 自己中心的

  6. 無責任

  7. 人を傷つけても、罪悪感を感じない

とのこと。

これは内面的な特徴なので、接していても気付きにくいが、表面上の特徴として、《口が達者》というものがあるらしい。
カリスマ性というものだと本書は説明している。
魅力的で─────と書いているが、そもそも魅力というのは人によって変わる。
気さくで真剣、セクシー、複雑、楽しいといった印象を与えるらしい。《複雑》というのは意味がよく分からないが。
《楽しい》ということは、よく喋るということだろう。
チャップリンでもない限り、無口で楽しい人などいない。
しかしこれも合理的な擬態なのだろう。

罪の意識に襲われて心がかき乱されたり、夜中にハッと目が覚めたりすることはけっしてない。

高いカリスマ性

サイコパスのカリスマ性は高い自尊心から来るものらしい。
罪悪感も感じず、恥も感じない無条件の自尊心であるため、人生の質は高いだろう。

そして何より、自分はいいが他者が気づき始めるそうだ。最初さえ擬態したお手本のようなカリスマ性で人々を魅了するが、よく接していると、周りの人間は胡散臭さを感じてくるとのこと。

そしてもうひとつの特徴として、サイコパスは刺激への探求衝動が強いらしい。
ゆえに倫理的、経済的、性的、酷いと法的に一線を越えることが多くなる。
規範意識の強い日本だと目立つし、嘘をつくためバレやすくなるのだ。
しかしそれでも責任感は皆無という性質を持っているので、問題行動をやめようとはしないのだろう。

感情の浅さもサイコパスの特徴であり、表面では喜怒哀楽をハッキリさせているように見えて、人との関係が長続きしないのはよくあることらしい。
とにかく冷酷。相手に感情移入することは無い。
結婚に対しての価値観も、所有物としての扱いだ。
失うことに抵抗があるが、それは人間としてではなく、家電のひとつが壊れてほしくないといったような物に対する執着だ。壊れれば残念だが、悲しくはない。
「壊れたからまた買わなきゃいけないのか」
という程度のものだろう。

ゾッとするほど冷たさを感じさせる。

この恐ろしい性格傾向が、現実に人口の4パーセント程度存在していると、本書は言い切っている。
100人いればその中の4人はサイコパスということ。
多弁ならば注意しよう。
…なんか人狼ゲームみたいだな。
でも本当にそんな人間がいたら厄介だ。
思い返してみると、当てはまりそうな人間はいた。
良心は無さそうだったけど、ホントのところは知らない。

手段は選ばない

しかし倫理観が無いということは、選択肢が他の人間より多いということになる。
それは確かに社会的な成功をしそうだ。手段を選ばないのだから。
…逮捕されなければの話だが。


作者のスタウト氏の元には、トラウマを負った患者が来る。そこでは災害や戦争などの他に、サイコパスと思われる人間からの被害も確認されたという。
そしてサイコパスから与えられる精神的な傷は深く、治りが遅い。
そのようなことに気づいたスタウト氏はサイコパスについて、社会がもっと認知することを重要視した。
善悪が分からないわけではない。善悪の区別はついている。その上で行動しているのだ。
つまり悪いことをしている自覚があってやっているのだ。しかし罪悪感は無い。
矛盾しているように思えるが、そうらしい。
僕自身サイコパスではないので、気持ちはわからない。
ゲームで市民を殺しているようなものだろうか。
グランド・セフト・オートなどで、通行人を車で轢き殺す…。僕もそれはゲームなのでなんとも思わない。なんだったら笑っている。
しかしそれはゲームだからだ。
現実がグランド・セフト・オート感覚だと色々問題だ。

できないことはなにもない人たちが二十五人に一人いる。


多くは目立たない

サイコパス=凶悪犯罪を犯す と思われがちだが、もっと身近にいるマイルドサイコパスに気づていない。
彼らは擬態しているため、分かりにくい分タチが悪い。

殺人と嘘に共通点は見出せないだろう。全く系統が異なっているものに見える。だがそこには確かに心理的な欠落がある。
倫理的に反した行為や、利己的な行為をする際のブレーキといった抑制機能が抜けているのだとスタウト氏は指摘する。
殺人者と詐欺師の違いは、単に趣向の違いであるだけで、行動原理は同じなのだ。

大抵の人に「欲しいものは盗むべきか」「子供に食事をあたえるべきか」という選択肢で迷う状況は無い。というかよほどな状況にならないと、選択肢にすら入れないだろう。しかしサイコパスという人種は、それを頻繁に行うと書いてある。
しかしそれらの選択肢は「盗むと捕まるから損」「ネグレクト扱いされ、時間が取られるから損」というあくまで損得の合理的思考によって抑制され、目立たない。

周りの人は、サイコパスの行動を、結果としては感情移入できても、行動に至るまでの心理的過程は理解できない。
他人に及ぼす影響を全く考えない思考過程とは、いったいどのような状態なのか。

夢をふくめて、それについて教えてくれる経験は自分の中に一つもない。近いのは、あまりに肉体的苦痛が強すぎた時に、理性の働きや行動能力が一時的に麻痺する状態かもしれない。

先程仮想現実に例えた。
ゲーム内の登場人物はいくら殺しても良心は痛まない。だってそれらはただのプログラムだから。だがゲームにだって罪悪感を覚えることはある。シミュレーションゲームで人々が困っていると、助けてあげたくなる。プログラムなのにだ。
ゲームですら完全に良心を消すことは出来ないのだ。
しかし本書では《全く無視》と書いている。ゲームのキャラクターではなく、害虫に置き換えたらいいのだろうか。
ゴキブリを殺しても何とも思わない。困っていてもそちらが侵入者だ。


良心のない人たらし

ブリティッシュコロンビア大学のロバート・ヘア教授曰く、サイコパスという人種は専門家も含めて誰もが騙されて甘言に乗せられると話す。
どんな相手の琴線にも触れられるそうだ。

美しさ、醜さ、そして善、悪、愛、恐怖、ユーモアなどはごく表面的にしか意味をもたず、彼らを動かす力にはなりえない

ハーヴェイ・クレックレー


一見勝ち組

当人は悩んでいない。
むしろ満足感さえ覚えているらしい。
ので、自ら精神科のドアを叩くこともない。
患者になる時も、他者の迷惑を考えてのことではなく、自分の損得だ。他者のために、社会のために自分を変えたいとは思わない。

良心の呵責の欠落というのは性格なのか病気なのか。

最も恐ろしい心理学の最前線と言えるだろう。

個人的なレベルにおいて利己的な人間は、資本主義と相性が良い。良心を持たないで進めたビジネスが、結果的に巨万の富を生んだり、結果的に多くの人間にとって役に立つものを生んだりする例は枚挙に遑がない。

そのような観点で見るとたしかに良心は足枷となる。
スタウト氏の同僚、バーニ=も「良心はなんのためにあるんだろう」と疑問を述べていた。

─────良心があっても負け組になるだけ

バーニ=はそう言った。
スタウト氏はバーニ=に「もしサイコパスになれるか、良心を持った人間になるかで選べたらどうする?」と問いかけた。
バーニ=は良心を持った人間だと答えた。理由を聞いたがバーニ=は答えに詰まった。理屈ではないらしい。
スタウト氏は、良心を持つことの意義を、心理学的に証明してみたいとのこと。

この本は「良心はなんのためにあるのか」という質問にたいする、心理学者としての私の答えである。

彼ら以外の九六パーセントの人びとが、小うるさくて重荷で、たしかに行動を制約する良心をもつことの価値を、もっと前向きにとらえることがでるように。

まあ、サイコパスは自身の性格について悩んだりしないので、サイコパスについての本は読まないと思うが。
いや、もしかしたら良心を持っている人間が、自分たちをどのような目線で見ているのかを、この本を通して擬態の材料として見ているのかもしれない。深淵をのぞく時、深淵もこちらを覗いているという言葉の通りだと思う。
指摘されても焦ることはなく、むしろネタにして、観測者の認識をより撹乱かくらんしてくることも予想できる。

スタウト氏は心理学者としても、一個人としても、良心が欠落している人間の問題行動によって、人生が狂わされた人間を多く目にしてきた。
擬態を見抜くのは極めて難しい。専門家でも目を雲らされるのだから。

犯罪行為を行わなくても、人の人生を狂わせ、社会全体を混乱させることが上手い。
治療法は無い。泥棒を家に入れないためには鍵をかけたり、警備会社と契約する必要がある。それと同じように、自衛をしなければならない。

自論

サイコパスにも弱点はある。
あくまで擬態であり、心の底から思っている訳では無いため、ふと出した擬態が、周囲の価値観とズレていることがある。周囲の反応により学習し、歳をとるごとにそのズレも無くなっていくのだろうが、若いうちは学習不足により、そのズレが出やすいと思う。
なので子供の頃から非行や虚言などをしている人間は、疑った方がいい。

サイコパスのいいところ

身内が殺されても《愛ゆえの憎悪》は抱かない。
合理的に考えるから、サイコパスの人間だけがいる国で、報復合戦のようなものは起こらないのではないかと思う。

↓↓↓続きです。


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